悪役令嬢は断罪される前に、既に攻略済ですわ。

恋の箱庭

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「……お嬢様。外に、昨日のドブ川から這い上がってきたと思われる『金色のゾンビ』が、バラの花束を持って立っております」


開店直後の『サロン・ド・ミルフィーユ』。
エクレアが、窓の外を確認しながら事務的なトーンで告げた。


「ゾンビ? そんな不衛生なもの、うちの敷地に入れないでちょうだい」


私は帳簿にペンを走らせながら、顔を上げずに答えた。


「……失礼。言い直します。正式な礼装に身を包み、全盛期の三倍ほどの香水を振りかけたレオン殿下が、営業妨害レベルの笑顔で立っております」


「余計にタチが悪いわね。……クララ、貴女は裏でマドレーヌの型抜きをしていなさい。毒に当てられるといけないわ」


「はい、お姉様! でも、あの人なんだかキラキラ光る粉を撒き散らしていますよ!? 公害じゃないですか!?」


クララが厨房の隙間から外を覗いて怯えている。
……仕方ないわね。一度引導を渡してあげないと、この店のお肌に良い空気が汚染されてしまうわ。


私は重い腰を上げ、店の入り口へと向かった。
扉を開けた瞬間、暴力的なまでのバラの香りと、眩しすぎる自称・主人公のオーラが私を襲った。


「……お待たせしたね、ミルフィー。いや、マイ・スウィート・ハニー」


レオン王子が、片膝をついて花束を差し出してきた。
その後ろには、申し訳なさそうに遠くを見つめる近衛騎士たちが控えている。


「……お引き取りください。あと、ハニーと呼ぶなら蜂の巣に叩き込んであげますわよ」


「ふふ、照れなくていい。昨日の手荒い歓迎で、私はようやく気づいたのだよ。君は、私を嫉妬させるためにあんな芝居をしていたのだね?」


「……は?」


「クララと仲良くするのも、店を成功させたのも、すべては私に『これほど有能で美しい女を失っていいのか』と訴えかけるため……。ああ、健気じゃないか、ミルフィー!」


私は、隣に立つエクレアと無言で視線を交わした。
エクレアは、静かに自分のこめかみを指でトントンと叩いた。
……『手遅れですね』という合図だ。


「殿下。貴方のその底なしのポジティブさは、もはや国家機密レベルの脅威ですわ。ですが、真実を申し上げましょう。私は今、人生で一番幸せですの。貴方の自慢話を聞かなくて済む、この一分一秒が宝石のように輝いておりますわ」


「強がらなくていい。さあ、この手を。君を再び婚約者として迎え入れよう。今なら、特例でクララを側室として飼うことも許してあげるよ」


「……側室として、飼う?」


背後で、ガタッと音がした。
厨房から、麺棒を手にしたクララが般若のような顔で現れた。


「……お姉様。今、このカボチャ頭、私のことをペットショップのハムスターみたいに言いました?」


「……ええ、そう聞こえたわね、クララ」


「レオン様。私、お姉様の『マブダチ』であって、殿下の『スペア』じゃありません! それに、お姉様は今、自分のお店でバリバリ働く格好いい女性なんです! 殿下の隣で鏡を持たされるだけの生活に戻るわけないじゃないですか!」


クララがレオン王子の鼻先に麺棒を突きつけた。


「ク、クララ……。君も照れているのだね。大丈夫だ、私の愛は広い……」


「黙れ、この自己中金ピカ野郎! お姉様に謝れ! 昨日のお肌パックの代金も払え!」


「……殿下。クララの言う通りですわ。私にとって、貴方との復縁は『一生ダイエットに成功した後に、腐ったバターの塊を丸呑みしろ』と言われるより嫌なことですの」


私は一歩踏み出し、王子の持つバラの花束を扇で叩き落とした。


「復縁なんて死んでも嫌ですわ。……いいえ、死んでもお断りです。墓場まで追いかけてこられたら、私は幽霊になってでも貴方を呪い殺します。……エクレア、塩を」


「はい。清めの岩塩、バケツ三杯分用意いたしました」


「待て、ミルフィー! 私は……私は君を許してやると言っているんだぞ! 私の王妃になれる唯一のチャンスを……!」


「そのチャンス、ドブ川に捨ててきてくださる? あ、昨日もう落ちていらしたわね。……さようなら、殿下。二度と当店の敷居を跨がないで。……閉門!」


私は力一杯、店の重厚な扉を閉めた。
ガチャン、という鍵の閉まる音が、これほど心地よく響いたことはない。


「……ふぅ。これで少しは空気が綺麗になったかしら」


「お姉様! 最高に格好良かったです! 私、一生お姉様についていきます!」


「……貴女はまず、その麺棒を置きなさい。粉が飛び散っているわよ」


扉の向こうからは、「信じられん……! 私の魅力が通じないだと!? これはきっと、何かの試練……」という、絶望的にポジティブな独り言が漏れ聞こえていた。


「お嬢様。次の作戦は、殿下の立ち入り禁止区域を王都全域に広げるための署名活動でしょうか?」


「いいわね。……でもその前に、クララ。新作のタルト、焼き上がっているでしょう? 気分直しに食べましょう」


「はい、お姉様! カボチャ味じゃないやつですよね!」


私たちは、門前払いという最高のスパイスを堪能した後、再び自分たちの愛する「城」の仕事へと戻っていった。
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