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「……お嬢様。本日は『カボチャ』ではなく、少しばかり上質な『紅茶』がご来店です」
レオン王子の門前払いから数日。
サロンの喧騒の中で、エクレアが耳元で静かに囁いた。
「紅茶? 新しい茶葉の納品なら、裏口へ回るように言ってちょうだい」
私は売上の集計作業をしながら、気のない返事をした。
「いいえ。お持ちになったのは茶葉ではなく、磨き抜かれた外交官の身分証でございます。……隣国アールグレイ王国からの公使、フィナンシェ伯爵がお見えです」
「……アールグレイ王国の?」
私はようやく顔を上げた。
アールグレイ王国といえば、我が国よりも歴史が古く、文化と経済の両面で凌駕している大国だ。
そこの公使が、わざわざ私の店に?
「お待たせいたしました、ミルフィー様。……お噂は、我が国の王都まで届いておりますよ」
サロンの入り口に立っていたのは、夜の帳のような深い紺色の礼装に身を包んだ、涼しげな美青年だった。
レオン王子が「キンキラキンの太陽」だとしたら、彼は「静寂を湛えた銀の月」といった風情だ。
「……フィナンシェ伯爵。ようこそ、しがない元令嬢のサロンへ。……エクレア、最高の席へご案内して」
「承知いたしました」
フィナンシェ伯爵は、優雅な足取りで私の正面の席に座った。
その所作一つ一つに、無駄がない。
……正直、あのカボチャ王子とは比べ物にならないほど「本物」の気配がする。
「しがない元令嬢、とは謙遜がすぎますね。婚約破棄を逆手に取り、わずか数ヶ月で王都の経済を揺るがすサロンを作り上げた。貴女の商才は、我が国の商務大臣も注目しておりますよ」
伯爵は、スッと差し出された紅茶に口をつけ、満足げに目を細めた。
「……お世辞は結構ですわ。それで? 大国の公使が、ただのお菓子を食べにきたわけではないでしょう?」
「単刀直入ですね。嫌いではありませんよ。……実は、我が国で近々開催される『建国記念祭』のメインパビリオンを、貴女にプロデュースしていただきたいのです」
「……プロデュース?」
思わぬ提案に、私は扇を持つ手を止めた。
「はい。貴女の審美眼、そしてクララ嬢という『原石』を磨き上げた手腕。それを我が国の貴婦人たちにも見せつけていただきたい。もちろん、報酬は今の売上の……一年分を提示しましょう」
一年分。
その額を想像し、私は思わず計算尺を取り出しそうになった。
「……ちょっと待ってくださいぃぃ!」
そこへ、トレイを高く掲げたクララが、猛烈な勢いで割り込んできた。
「フィ、フィナンシェ伯爵と言いましたか!? お姉様をどこか遠くへ連れて行くつもりですか!? そんなの、私が、このクララ・シュークリームが許しません!」
クララは私の前に立ちふさがり、伯爵を親の仇のように睨みつけた。
「おや。貴女が噂の……『悪役令嬢の秘蔵っ子』クララ嬢ですか。間近で見ると、なるほど、実に素晴らしい生命力だ。……ですが、連れ去るわけではありませんよ。あくまでビジネスのパートナーとして……」
「ビジネスなんて嘘です! お姉様を見るその目が、なんだかこう……『美味しそうなケーキをじっくり選んでいる時の目』をしています! 私には分かります!」
「……ほう。鋭いですね。確かに、私はミルフィー様の才能に……そして彼女自身に、非常に強い興味を持っています」
フィナンシェ伯爵が、不敵に口角を上げた。
その視線が私を捉え、わずかに熱を帯びる。
(……あら。この人、レオン王子とは別の意味で厄介そうだわ)
「クララ、落ち着きなさい。……伯爵、お話は伺いました。ですが、私は今、この店を守ることで手一杯ですの。国外へ出るなど、まだ……」
「ふふ、即答しなくて結構ですよ。滞在期間中、私は毎日ここへ通わせていただきます。……貴女のその鉄壁の守りを、どう崩すか。それも外交官の醍醐味ですから」
伯爵は立ち上がり、私の手を取って、指先に軽く口づけをした。
「では、また明日。……お嬢様。そのマドレーヌ、絶品でしたよ」
彼は風のように爽やかに去っていった。
後に残されたのは、激怒して顔を真っ赤にしたクララと、冷や汗を流すエクレア、そして困惑する私だけだった。
「お、お姉様ー! あんなチャラチャラした銀髪男に騙されちゃダメです! あいつ、絶対にお姉様をアールグレイの海に沈めるつもりです!」
「沈めないわよ、普通。……でも、確かに少しばかり調子が狂うわね」
「お嬢様。カボチャの次は、銀の狼ですか。当サロン、なかなかに猛獣使いの才能が必要なようでございます」
エクレアのツッコミに、私は深くため息をついた。
自由を手に入れたはずなのに、どうして私の周りには、こうも一癖も二癖もある男たちが集まってくるのかしら。
新たな影……それは、甘い紅茶の香りと共に、私の平穏な日常を再びかき乱そうとしていた。
レオン王子の門前払いから数日。
サロンの喧騒の中で、エクレアが耳元で静かに囁いた。
「紅茶? 新しい茶葉の納品なら、裏口へ回るように言ってちょうだい」
私は売上の集計作業をしながら、気のない返事をした。
「いいえ。お持ちになったのは茶葉ではなく、磨き抜かれた外交官の身分証でございます。……隣国アールグレイ王国からの公使、フィナンシェ伯爵がお見えです」
「……アールグレイ王国の?」
私はようやく顔を上げた。
アールグレイ王国といえば、我が国よりも歴史が古く、文化と経済の両面で凌駕している大国だ。
そこの公使が、わざわざ私の店に?
「お待たせいたしました、ミルフィー様。……お噂は、我が国の王都まで届いておりますよ」
サロンの入り口に立っていたのは、夜の帳のような深い紺色の礼装に身を包んだ、涼しげな美青年だった。
レオン王子が「キンキラキンの太陽」だとしたら、彼は「静寂を湛えた銀の月」といった風情だ。
「……フィナンシェ伯爵。ようこそ、しがない元令嬢のサロンへ。……エクレア、最高の席へご案内して」
「承知いたしました」
フィナンシェ伯爵は、優雅な足取りで私の正面の席に座った。
その所作一つ一つに、無駄がない。
……正直、あのカボチャ王子とは比べ物にならないほど「本物」の気配がする。
「しがない元令嬢、とは謙遜がすぎますね。婚約破棄を逆手に取り、わずか数ヶ月で王都の経済を揺るがすサロンを作り上げた。貴女の商才は、我が国の商務大臣も注目しておりますよ」
伯爵は、スッと差し出された紅茶に口をつけ、満足げに目を細めた。
「……お世辞は結構ですわ。それで? 大国の公使が、ただのお菓子を食べにきたわけではないでしょう?」
「単刀直入ですね。嫌いではありませんよ。……実は、我が国で近々開催される『建国記念祭』のメインパビリオンを、貴女にプロデュースしていただきたいのです」
「……プロデュース?」
思わぬ提案に、私は扇を持つ手を止めた。
「はい。貴女の審美眼、そしてクララ嬢という『原石』を磨き上げた手腕。それを我が国の貴婦人たちにも見せつけていただきたい。もちろん、報酬は今の売上の……一年分を提示しましょう」
一年分。
その額を想像し、私は思わず計算尺を取り出しそうになった。
「……ちょっと待ってくださいぃぃ!」
そこへ、トレイを高く掲げたクララが、猛烈な勢いで割り込んできた。
「フィ、フィナンシェ伯爵と言いましたか!? お姉様をどこか遠くへ連れて行くつもりですか!? そんなの、私が、このクララ・シュークリームが許しません!」
クララは私の前に立ちふさがり、伯爵を親の仇のように睨みつけた。
「おや。貴女が噂の……『悪役令嬢の秘蔵っ子』クララ嬢ですか。間近で見ると、なるほど、実に素晴らしい生命力だ。……ですが、連れ去るわけではありませんよ。あくまでビジネスのパートナーとして……」
「ビジネスなんて嘘です! お姉様を見るその目が、なんだかこう……『美味しそうなケーキをじっくり選んでいる時の目』をしています! 私には分かります!」
「……ほう。鋭いですね。確かに、私はミルフィー様の才能に……そして彼女自身に、非常に強い興味を持っています」
フィナンシェ伯爵が、不敵に口角を上げた。
その視線が私を捉え、わずかに熱を帯びる。
(……あら。この人、レオン王子とは別の意味で厄介そうだわ)
「クララ、落ち着きなさい。……伯爵、お話は伺いました。ですが、私は今、この店を守ることで手一杯ですの。国外へ出るなど、まだ……」
「ふふ、即答しなくて結構ですよ。滞在期間中、私は毎日ここへ通わせていただきます。……貴女のその鉄壁の守りを、どう崩すか。それも外交官の醍醐味ですから」
伯爵は立ち上がり、私の手を取って、指先に軽く口づけをした。
「では、また明日。……お嬢様。そのマドレーヌ、絶品でしたよ」
彼は風のように爽やかに去っていった。
後に残されたのは、激怒して顔を真っ赤にしたクララと、冷や汗を流すエクレア、そして困惑する私だけだった。
「お、お姉様ー! あんなチャラチャラした銀髪男に騙されちゃダメです! あいつ、絶対にお姉様をアールグレイの海に沈めるつもりです!」
「沈めないわよ、普通。……でも、確かに少しばかり調子が狂うわね」
「お嬢様。カボチャの次は、銀の狼ですか。当サロン、なかなかに猛獣使いの才能が必要なようでございます」
エクレアのツッコミに、私は深くため息をついた。
自由を手に入れたはずなのに、どうして私の周りには、こうも一癖も二癖もある男たちが集まってくるのかしら。
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