20 / 28
20
しおりを挟む
「……いらっしゃいませ。死ぬほど苦いお茶と、地獄のように辛いタルトはいかがですか?」
『サロン・ド・ミルフィーユ』の入り口で、クララがかつてないほどのドスの利いた声で接客をしていた。
その視線の先にいるのは、今日も涼しげな顔で現れた隣国の公使、フィナンシェ伯爵である。
「ふふ、お招きありがとうございます、クララ嬢。死後の世界を体験できるメニューがあるとは、この店のサービス精神には恐れ入る」
フィナンシェは動じることなく、優雅に帽子をエクレアに預けた。
「……お嬢様。入り口でクララ様が、外交問題に発展しかねないレベルの『嫌がらせメニュー』を提示しておりますが、よろしいのですか?」
二階のテラス席で状況を眺めていた私に、エクレアが小声で問いかける。
「……いいわよ。あの子に少しは毒気があった方が、変な虫がつかなくて済むわ。……とはいえ、伯爵を本当に毒殺されたら困るけれど」
私はため息をつき、一階へ降りていった。
「伯爵、お早いお着きですわね。……クララ、お客様に失礼でしょう。さっさと奥へ下がって、マドレーヌの耳掃除でもしてなさい」
「お姉様! ダメです! この男は危険です! さっきからお姉様のいる二階を、鷹が獲物を狙うような目でじろじろ見ていたんですよ!」
「それは、美しいオーナーへの当然の敬意ですよ。……ところでミルフィー様、今日のドレスも素敵だ。その落ち着いた紫色は、貴女の理知的な美しさを引き立てている」
フィナンシェが私の手を取ろうとする。その瞬間、シュバッ!と音を立てて、クララが二人の間に割って入った。
「触っちゃダメです! お姉様の手は、私の頭を撫でるためと、美味しいケーキを作るためにだけあるんです! 不純な外交官の指先で汚されてたまるもんですか!」
「……おや。私へのガードが、昨日よりさらに固くなっているようだね」
「当たり前です! 私、昨夜一睡もせずに考えたんです! お姉様を守るための『鉄壁の防衛布陣』を!」
クララは胸を張り、スッと指を鳴らした。
すると、キッチンの奥から屈強な……いえ、厳選された「目つきの悪い」ウェイターたちが現れ、フィナンシェのテーブルを囲むように配置についた。
「……何かしら、この威圧的な接客は」
「名付けて『お姉様に近づく男は全員骨折させるフォーメーション』です! この人たちの前で変な動きをしたら、即座に私が麺棒を持って駆けつけます!」
「……クララ。貴女、いつの間にうちの従業員を私兵化したのよ」
私は頭を抱えた。エクレアを見れば、彼女は「教育の成果ですね」と誇らしげに頷いている。……違う、そうじゃない。
「ふふ、面白い趣向だ。……では、私はこの包囲網の中で、貴女に求愛をすればいいのかな? スリルがあって、より情熱的になれそうだ」
フィナンシェは余裕の笑みを崩さず、椅子に深く腰掛けた。
「求愛!? 今、はっきり言いましたね、この狼男! お姉様、聞こえましたか!? こいつ、ビジネスじゃなくて、お姉様をアールグレイの海に沈める気満々ですよ!」
「だから、沈めないって言ってるでしょう。……伯爵、私の妹分が失礼をいたしました。……クララ、貴女はもういいから、お客様に普通のお茶を出しなさい」
「嫌です! 私がお茶を淹れます! 伯爵には、特製の『嫉妬のスパイス(わさび)』入り紅茶を……!」
「出しなさいと言っているのよ、クララ」
私が少しトーンを落として命じると、クララは「うぅ……」と小さく唸って、泣きそうな顔で厨房へ消えていった。
「……申し訳ありません、伯爵。あの子、私を独占したい欲求が少しばかり強すぎて」
「いいえ、愛されている証拠だ。……そして、私もそれほどまでに貴女に執着してみたいものだ。ミルフィー様、貴女の周囲にあるこの賑やかな壁を、一つずつ壊していくのが楽しみで仕方ない」
フィナンシェの瞳が、獲物を定めた捕食者のように妖しく光った。
(……全く。カボチャの次は狼だなんて、私の自由な人生はどうなっているのかしら)
厨房からは、ガシャーン!と何かが割れる音と共に「お姉様は私のものですぅー!」というクララの絶叫が聞こえてきた。
私の店は今日も、甘い香りと、激しい嫉妬と、怪しい恋の予感で満ち溢れていた。
『サロン・ド・ミルフィーユ』の入り口で、クララがかつてないほどのドスの利いた声で接客をしていた。
その視線の先にいるのは、今日も涼しげな顔で現れた隣国の公使、フィナンシェ伯爵である。
「ふふ、お招きありがとうございます、クララ嬢。死後の世界を体験できるメニューがあるとは、この店のサービス精神には恐れ入る」
フィナンシェは動じることなく、優雅に帽子をエクレアに預けた。
「……お嬢様。入り口でクララ様が、外交問題に発展しかねないレベルの『嫌がらせメニュー』を提示しておりますが、よろしいのですか?」
二階のテラス席で状況を眺めていた私に、エクレアが小声で問いかける。
「……いいわよ。あの子に少しは毒気があった方が、変な虫がつかなくて済むわ。……とはいえ、伯爵を本当に毒殺されたら困るけれど」
私はため息をつき、一階へ降りていった。
「伯爵、お早いお着きですわね。……クララ、お客様に失礼でしょう。さっさと奥へ下がって、マドレーヌの耳掃除でもしてなさい」
「お姉様! ダメです! この男は危険です! さっきからお姉様のいる二階を、鷹が獲物を狙うような目でじろじろ見ていたんですよ!」
「それは、美しいオーナーへの当然の敬意ですよ。……ところでミルフィー様、今日のドレスも素敵だ。その落ち着いた紫色は、貴女の理知的な美しさを引き立てている」
フィナンシェが私の手を取ろうとする。その瞬間、シュバッ!と音を立てて、クララが二人の間に割って入った。
「触っちゃダメです! お姉様の手は、私の頭を撫でるためと、美味しいケーキを作るためにだけあるんです! 不純な外交官の指先で汚されてたまるもんですか!」
「……おや。私へのガードが、昨日よりさらに固くなっているようだね」
「当たり前です! 私、昨夜一睡もせずに考えたんです! お姉様を守るための『鉄壁の防衛布陣』を!」
クララは胸を張り、スッと指を鳴らした。
すると、キッチンの奥から屈強な……いえ、厳選された「目つきの悪い」ウェイターたちが現れ、フィナンシェのテーブルを囲むように配置についた。
「……何かしら、この威圧的な接客は」
「名付けて『お姉様に近づく男は全員骨折させるフォーメーション』です! この人たちの前で変な動きをしたら、即座に私が麺棒を持って駆けつけます!」
「……クララ。貴女、いつの間にうちの従業員を私兵化したのよ」
私は頭を抱えた。エクレアを見れば、彼女は「教育の成果ですね」と誇らしげに頷いている。……違う、そうじゃない。
「ふふ、面白い趣向だ。……では、私はこの包囲網の中で、貴女に求愛をすればいいのかな? スリルがあって、より情熱的になれそうだ」
フィナンシェは余裕の笑みを崩さず、椅子に深く腰掛けた。
「求愛!? 今、はっきり言いましたね、この狼男! お姉様、聞こえましたか!? こいつ、ビジネスじゃなくて、お姉様をアールグレイの海に沈める気満々ですよ!」
「だから、沈めないって言ってるでしょう。……伯爵、私の妹分が失礼をいたしました。……クララ、貴女はもういいから、お客様に普通のお茶を出しなさい」
「嫌です! 私がお茶を淹れます! 伯爵には、特製の『嫉妬のスパイス(わさび)』入り紅茶を……!」
「出しなさいと言っているのよ、クララ」
私が少しトーンを落として命じると、クララは「うぅ……」と小さく唸って、泣きそうな顔で厨房へ消えていった。
「……申し訳ありません、伯爵。あの子、私を独占したい欲求が少しばかり強すぎて」
「いいえ、愛されている証拠だ。……そして、私もそれほどまでに貴女に執着してみたいものだ。ミルフィー様、貴女の周囲にあるこの賑やかな壁を、一つずつ壊していくのが楽しみで仕方ない」
フィナンシェの瞳が、獲物を定めた捕食者のように妖しく光った。
(……全く。カボチャの次は狼だなんて、私の自由な人生はどうなっているのかしら)
厨房からは、ガシャーン!と何かが割れる音と共に「お姉様は私のものですぅー!」というクララの絶叫が聞こえてきた。
私の店は今日も、甘い香りと、激しい嫉妬と、怪しい恋の予感で満ち溢れていた。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる