婚約破棄に歓喜で高飛びしたいのに、逃してくれません

恋の箱庭

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「――以上が、『魔法銀加工貿易特区』設立による、向こう十年の収支予測です」

私は指示棒で、ホワイトボードに書き込まれた最終的な利益額――金貨百万枚という天文学的な数字を叩いた。

「結論を申し上げます。隣国との絆を深めるために必要なのは、政略結婚という『人質』ではありません。共通の『財布』です」

大会議室は、静まり返っていた。

国王陛下は感嘆の溜息を漏らし、隣国のレオン伯爵は「素晴らしい!」と拍手喝采している。

そして、最大の壁であるアークライト公爵は、腕を組んだまま、じっと数字を見つめていた。

「……金貨百万枚、か。確かに、王女の持参金とは桁が違う」

公爵は重々しく口を開いた。

「だが、テレナ嬢。金は裏切ることもある。条約など、紙切れ一枚で破棄できる。だが、血の繋がり(婚姻)はそうはいかん」

「お言葉ですが、公爵閣下」

私は一歩も引かずに反論した。

「歴史を紐解けば、政略結婚をした国同士が数年後に戦争を始めた例など、枚挙にいとまがありません。愛のない夫婦喧嘩が、国同士の争いに発展することすらあります」

「……む」

「対して、このプロジェクトは違います。工場が稼働すれば、両国の数万人の雇用と生活がかかるのです。戦争をすれば工場は止まり、両国の経済は死にます。……誰も、自分の財布を燃やすような真似はしません」

私はニヤリと笑った。

「人間の『損得勘定』ほど、信用できるものはありませんわ」

「……ふっ、ははは!」

公爵が、突然笑い出した。

「面白い。実に面白い! 『愛』よりも『欲』を信じるとはな!」

公爵は立ち上がり、バシッと机を叩いた。

「気に入った! この案、採用しよう!」

「父上!」

セリウス閣下が顔を輝かせる。

「ただし!」

公爵は人差し指を立てた。

「この計画には、高度な計算能力と、冷徹なまでの管理能力を持つ責任者が必要だ。……テレナ嬢。君が責任者(トップ)になることが条件だ」

「へ?」

「セリウスの嫁になるなら、それくらいの激務はこなしてもらわんと困る。……王女よりも遥かに『高くつく』女を娶るのだからな」

公爵はニヤリと笑い、私とセリウス閣下を交互に見た。

「認めよう。セリウスの伴侶には、大人しい王女よりも、この猛獣使い……いや、猛獣そのものの方が似合いだ」

「……感謝します、父上」

セリウス閣下は深く頭を下げた。

「ありがとうございます。……ですが『猛獣』扱いは訂正を求めます」

私が抗議すると、陛下もレオン伯爵もドッと笑った。

こうして、私たちのプレゼンは完全勝利に終わった。
政略結婚は白紙撤回。
そして私の『南国移住計画』も、完全に消滅した(責任者に任命されてしまったため)。

          ◇

会議が終わり、関係者が退出した後。
私とセリウス閣下は、二人きりで会議室に残っていた。

「……終わったな」

閣下は椅子に深く腰掛け、ネクタイを緩めた。

「ええ。完全勝利です。これで閣下の自由は守られました」

私は書類を整理しながら言った。
手足が少し震えているのは、プレゼンの緊張が解けたからだけではない。

昨夜の言葉。
『君の答えを聞かせてくれ』。

その締め切りが、刻一刻と迫っているからだ。

「……テレナ」

ほら、来た。
閣下が立ち上がり、私の元へ歩み寄ってくる。

「約束通り、答えを聞こうか」

「……えっと、その……」

私は視線を泳がせた。
さっきまで、国王陛下相手に堂々と演説していた舌が、急に回らなくなる。

「条件面の話でしょうか? それとも契約期間の……」

「誤魔化すな」

閣下は私の腰を引き寄せ、逃げ場を塞いだ。

「仕事の話ではない。私と君の……これからの話だ」

至近距離。
銀色の瞳が、熱を帯びて私を見下ろしている。

「私は君が好きだ。愛している。……君は?」

ストレートすぎる。
変化球なしの剛速球だ。

私の脳内コンピュータが、必死に計算を始める。

(メリット:顔が良い、地位が高い、金持ち、話が早い、私の能力を理解している)
(デメリット:仕事が忙しくなる、周囲の目がうるさい、たまに重い)

計算結果……『利益率測定不能(無限大)』。

「……ずるいです、閣下」

私は俯いて、ボソリと言った。

「ん?」

「そんな風に言われたら……私が断れないことくらい、計算済みでしょう?」

「計算などしていない。願望だ」

「……私もです」

「え?」

私は意を決して、顔を上げた。

「私も……計算できませんでした」

「何をだ?」

「貴方がいない未来の収支決算です。……貴方が隣にいないと、どんなに稼いでも、どんなに自由でも、私の人生は『赤字』なんです」

言ってしまった。
ああ、恥ずかしい。顔から火が出そうだ。

「だから……責任を取ってください。私の人生を黒字にするために、死ぬまで私を雇用し続けてください」

それが、私なりの精一杯の告白だった。

セリウス閣下は、一瞬きょとんとして、それから破顔した。
氷が溶けるような、春の日差しのような笑顔。

「……承知した。終身雇用契約だ」

「ええ。キャンセル不可ですよ」

「もちろんだ」

閣下の顔が近づいてくる。
今度こそ、邪魔は入らない。文官もいない。

触れ合う唇。
最初は優しく、触れるだけのキス。
でもすぐに、それは深く、甘く、溶けるような熱に変わっていった。

「……んっ」

長い、長いキスの後。
閣下は私の耳元で囁いた。

「……テレナ。耳が赤いぞ」

「う、うるさいです……! これは血行が良くなっただけで……!」

「顔も赤い」

「部屋の温度設定がおかしいんです!」

「可愛いな」

「っ……!」

私は閣下の胸に顔を埋めた。
もう無理だ。キャパオーバーだ。

「……覚悟しておけよ、テレナ」

閣下は私の背中に腕を回し、愛おしそうに抱きしめた。

「これから毎日、君が嫌がるくらい愛を囁いてやる。君のその鉄壁の理性を、メロメロに溶かしてやるからな」

「……謹んで、辞退いたします」

「却下だ。これは決定事項だ」

私たちは抱き合ったまま、静かに笑い合った。

これにて、私の『悪役令嬢としての破滅回避』および『老後の資金稼ぎ』という物語は、一応のハッピーエンドを迎えた――はずだった。

だが。

「……あれ?」

ふと、私の視界がぐらりと歪んだ。

「テレナ?」

「……なんか、世界が回って……」

足の力が抜ける。
閣下の腕の中に、崩れ落ちるように倒れ込む。

「おい! どうした! テレナ!」

閣下の焦った声が遠くなる。

(……ああ、そういえば)

私は薄れゆく意識の中で思い出した。

ここ一週間、プレゼン準備で平均睡眠時間二時間。
食事はサンドイッチとコーヒーのみ。
そこに極度の緊張と、人生最大の告白イベント(心拍数急上昇)。

私の体力の限界値を、完全に計算に入れ忘れていた。

「……計算外の……エラ……」

私はガクッと意識を失った。

「テレナァァァァァッ!!」
「医者だ! 誰か医者を呼べぇぇぇ!!」

執務室に、愛の言葉ではなく、宰相閣下の悲鳴が響き渡った。

私の『最強の補佐官』としての伝説に、「キスのしすぎで気絶した」という不名誉な項目が追加された瞬間だった。
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