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「お嬢様、移転準備が整いました。すべての荷物を馬車へ積み込み終えております。所要時間は、わずか十二分です」
昨夜の「逃がし屋」改め、私の臨時秘書となった青年・ジャックが、ストップウォッチを片手に報告してきました。
私は、もはや私物が一つも残っていない自室の真ん中で、満足げに頷きました。
公爵家の令嬢が家を出るとなれば、通常は数週間かけて荷造りをするものですが、私にそんな無駄な時間はありません。
「素晴らしいわ、ジャック。予定より一分早いわね。浮いた一分で、新しいオフィスの看板にワックスをかける時間が作れるわ」
「……それにしてもお嬢様。この、ラベルが貼られた大量の段ボール箱……。これ、いつから準備されていたんですか?」
ジャックが、呆れたように部屋の隅に積まれた「予備」の箱を指さしました。
そこには『婚約破棄後・生活必需品(夏用)』『対王室用・脅迫……いえ、交渉材料フォルダ』『再就職先リスト(年収一千万ルグ以上)』といった不穏なタイトルが並んでいます。
「あら、三年前からですわ。カイル殿下と婚約したその日の夜から、私はこの日のためにパッキングを始めていましたの」
「三年前!? 婚約した初夜に、もう別れる準備をしてたんですか?」
「当たり前ではありませんか。人生という名のプログラムにおいて、カイル殿下という変数はあまりにも不安定。エラーが発生する確率は九八パーセントと算出されましたわ。バグ(婚約破棄)が出てからデバッグ(片付け)を始めるなんて、二流のすることです」
私は、一分の隙もなく整頓されたクローゼットの扉を閉めました。
そこには、もう一枚のドレスも残っていません。
「お嬢様……。時々、あなたの血は青いインクでできているんじゃないかと不安になります」
「失礼ね、ジャック。私の血は、情熱的な『黒字』の色ですわよ」
ホールへ降りると、そこには父・ログ公爵が、腕を組んで立っていました。
彼は、次々と運び出されていく箱の山を見て、ふむ、と顎を撫でました。
「メター。一つ聞いていいか。あの『お父様の弱み・全五巻』という箱は何だ。なぜ私の私物が、お前のパッキングに含まれている」
「あら、お父様。それは移転先での『精神的支柱』ですわ。もし公爵家からの援助が打ち切られた際、これを市場に流せば……あ、失礼。お父様との良好な関係を維持するための、大事なリマインダーです」
「……お前というやつは。まあいい、持っていけ。その代わり、王都の目抜き通りにある一等地、私が所有している元・宝石店をオフィスとして貸してやろう」
「お父様! それは……」
「賃料は相場の二倍、さらに利益の十パーセントを上納しろ。それが、デ・アルゴリズム家の『家族愛』というものだ」
「さすがはお父様! その血も涙もない条件、喜んでお受けいたしますわ!」
私たちは、熱い握手を交わしました。
愛なんていう不確かなものではなく、契約と利権で結ばれた強固な父娘の絆。
これこそが、我が家の理想的な形です。
「では、行ってまいります。次に会うときは、王宮の時価総額を抜いたときかもしれませんわよ」
「期待しているぞ、メター。納税だけは忘れるな」
私は、意気揚々と公爵邸を後にしました。
馬車に揺られること三十分。王都の中心部、貴族や富豪が行き交う一等地に、私の新しい城――『メター・円満退去コンサルティング』の本部が姿を現しました。
「……ほう。ここが、新しい戦場ですか」
オフィスの前で待っていたのは、今日も今日とてクマがひどい会計官、ゼノン様でした。
彼は、私の馬車から次々と運び出される「用意周到すぎる荷物」を見て、目を見開いています。
「ゼノン様。まだ営業開始前ですが、何か?」
「……いえ。王宮から逃げ出してきた職員たちが、あなたのオフィスの前で座り込みを始めていまして。彼らをどうにかしてくれないかと」
見れば、建物の影に十数人の文官たちが、うなだれた様子で並んでいます。
彼らは私の顔を見るなり、地獄で仏に出会ったような表情で駆け寄ってきました。
「メター様! 助けてください! ブリュレ様が『予算の帳簿に可愛いお花のシールを貼りたい』と言って聞かないんです!」
「それだけじゃない! カイル殿下が、夜会の経費を捻出するために『近衛兵の昼食を抜きにしろ』という無茶な命令を……!」
私は、集まった文官たちを一人ずつ丁寧に見つめ、それからジャックに指示を出しました。
「ジャック、すぐに看板を出しなさい。それから、一階のサロンに椅子を並べて。メニューは三つよ」
「メニュー、ですか?」
私は、手帳にさらさらと書き込みました。
「一、愚痴聞きサービス(十分・金貨一枚)。二、王宮脱出シミュレーション(一回・金貨五枚)。三、殿下への『論理的対抗策』テンプレート配布(一通・金貨三枚)」
ゼノン様が、私の手帳を覗き込んで、深いため息をつきました。
「……メター様。あなたは本当に、災難を金に変える天才ですね」
「あら、ゼノン様。災難は、放置すればただのコストですが、管理すれば貴重なリソースですわ」
私は、新しく新調したばかりの「所長」と書かれたデスクに座り、足を組みました。
窓の外には、カイル王子とブリュレ様が生み出した「非効率」に悩む人々が溢れています。
「さあ、業務開始ですわ! 世界から無駄な涙と、無駄な残業を駆逐しましょう!」
私の声が、ピカピカに磨かれた新しいオフィスに響き渡りました。
婚約破棄からわずか数日。
私の人生は、公爵令嬢という「飾りの椅子」から、世界を操る「実務の椅子」へと、完璧なシフトチェンジを果たしたのです。
昨夜の「逃がし屋」改め、私の臨時秘書となった青年・ジャックが、ストップウォッチを片手に報告してきました。
私は、もはや私物が一つも残っていない自室の真ん中で、満足げに頷きました。
公爵家の令嬢が家を出るとなれば、通常は数週間かけて荷造りをするものですが、私にそんな無駄な時間はありません。
「素晴らしいわ、ジャック。予定より一分早いわね。浮いた一分で、新しいオフィスの看板にワックスをかける時間が作れるわ」
「……それにしてもお嬢様。この、ラベルが貼られた大量の段ボール箱……。これ、いつから準備されていたんですか?」
ジャックが、呆れたように部屋の隅に積まれた「予備」の箱を指さしました。
そこには『婚約破棄後・生活必需品(夏用)』『対王室用・脅迫……いえ、交渉材料フォルダ』『再就職先リスト(年収一千万ルグ以上)』といった不穏なタイトルが並んでいます。
「あら、三年前からですわ。カイル殿下と婚約したその日の夜から、私はこの日のためにパッキングを始めていましたの」
「三年前!? 婚約した初夜に、もう別れる準備をしてたんですか?」
「当たり前ではありませんか。人生という名のプログラムにおいて、カイル殿下という変数はあまりにも不安定。エラーが発生する確率は九八パーセントと算出されましたわ。バグ(婚約破棄)が出てからデバッグ(片付け)を始めるなんて、二流のすることです」
私は、一分の隙もなく整頓されたクローゼットの扉を閉めました。
そこには、もう一枚のドレスも残っていません。
「お嬢様……。時々、あなたの血は青いインクでできているんじゃないかと不安になります」
「失礼ね、ジャック。私の血は、情熱的な『黒字』の色ですわよ」
ホールへ降りると、そこには父・ログ公爵が、腕を組んで立っていました。
彼は、次々と運び出されていく箱の山を見て、ふむ、と顎を撫でました。
「メター。一つ聞いていいか。あの『お父様の弱み・全五巻』という箱は何だ。なぜ私の私物が、お前のパッキングに含まれている」
「あら、お父様。それは移転先での『精神的支柱』ですわ。もし公爵家からの援助が打ち切られた際、これを市場に流せば……あ、失礼。お父様との良好な関係を維持するための、大事なリマインダーです」
「……お前というやつは。まあいい、持っていけ。その代わり、王都の目抜き通りにある一等地、私が所有している元・宝石店をオフィスとして貸してやろう」
「お父様! それは……」
「賃料は相場の二倍、さらに利益の十パーセントを上納しろ。それが、デ・アルゴリズム家の『家族愛』というものだ」
「さすがはお父様! その血も涙もない条件、喜んでお受けいたしますわ!」
私たちは、熱い握手を交わしました。
愛なんていう不確かなものではなく、契約と利権で結ばれた強固な父娘の絆。
これこそが、我が家の理想的な形です。
「では、行ってまいります。次に会うときは、王宮の時価総額を抜いたときかもしれませんわよ」
「期待しているぞ、メター。納税だけは忘れるな」
私は、意気揚々と公爵邸を後にしました。
馬車に揺られること三十分。王都の中心部、貴族や富豪が行き交う一等地に、私の新しい城――『メター・円満退去コンサルティング』の本部が姿を現しました。
「……ほう。ここが、新しい戦場ですか」
オフィスの前で待っていたのは、今日も今日とてクマがひどい会計官、ゼノン様でした。
彼は、私の馬車から次々と運び出される「用意周到すぎる荷物」を見て、目を見開いています。
「ゼノン様。まだ営業開始前ですが、何か?」
「……いえ。王宮から逃げ出してきた職員たちが、あなたのオフィスの前で座り込みを始めていまして。彼らをどうにかしてくれないかと」
見れば、建物の影に十数人の文官たちが、うなだれた様子で並んでいます。
彼らは私の顔を見るなり、地獄で仏に出会ったような表情で駆け寄ってきました。
「メター様! 助けてください! ブリュレ様が『予算の帳簿に可愛いお花のシールを貼りたい』と言って聞かないんです!」
「それだけじゃない! カイル殿下が、夜会の経費を捻出するために『近衛兵の昼食を抜きにしろ』という無茶な命令を……!」
私は、集まった文官たちを一人ずつ丁寧に見つめ、それからジャックに指示を出しました。
「ジャック、すぐに看板を出しなさい。それから、一階のサロンに椅子を並べて。メニューは三つよ」
「メニュー、ですか?」
私は、手帳にさらさらと書き込みました。
「一、愚痴聞きサービス(十分・金貨一枚)。二、王宮脱出シミュレーション(一回・金貨五枚)。三、殿下への『論理的対抗策』テンプレート配布(一通・金貨三枚)」
ゼノン様が、私の手帳を覗き込んで、深いため息をつきました。
「……メター様。あなたは本当に、災難を金に変える天才ですね」
「あら、ゼノン様。災難は、放置すればただのコストですが、管理すれば貴重なリソースですわ」
私は、新しく新調したばかりの「所長」と書かれたデスクに座り、足を組みました。
窓の外には、カイル王子とブリュレ様が生み出した「非効率」に悩む人々が溢れています。
「さあ、業務開始ですわ! 世界から無駄な涙と、無駄な残業を駆逐しましょう!」
私の声が、ピカピカに磨かれた新しいオフィスに響き渡りました。
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