赤の他人ということでよろしいですね?婚約破棄、承りました。

恋の箱庭

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「……重い」

私は鏡の前で呟いた。

今夜は、隣国ガルディア帝国の通商代表団を歓迎する夜会が開かれる。

宰相閣下のパートナー(※業務上の補佐官、兼、対外的な見せつけ要員)として出席する私は、閣下が用意した特注のドレスを着せられていた。

深いミッドナイトブルーの生地に、無数のダイヤモンドが散りばめられたそのドレスは、歩く宝石箱といっても過言ではない。

「総額、金貨三千枚……。私が転んだら、国が傾きますね」

「転ばせないさ。私が支えている」

背後から、アレクセイ閣下が声をかけた。

彼もまた、私のドレスと色を合わせた濃紺の礼服を完璧に着こなしている。

並ぶと完全に「ペアルック」なのだが、彼はそれが嬉しくてたまらないらしい。

「行くぞ、リーナ。今夜は君の『価値』を、あの愚か者たちに再認識させてやる場でもある」

「愚か者たち?」

「見ればわかる」

閣下は不敵に笑い、私の手を取ってエスコートした。

***

会場となる王城の大広間は、すでに多くの貴族たちで賑わっていた。

私たちが姿を現すと、会場の空気が一瞬で変わった。

「あれは……アレクセイ公爵と、リーナ嬢か?」

「なんて美しい……」

「まさか、噂通りあのお二人が?」

羨望と嫉妬、そして畏怖の視線。

それらを浴びながら、私たちは悠然と会場を横切る。

その視線の先には、明らかに居心地の悪そうな集団がいた。

ギルバート王太子と、ミミア、そして彼らの取り巻きたちだ。

ギルバートは少し痩せたようで、目の下のクマを化粧で隠しているのが丸わかりだった。

ミミアに至っては、着ているドレスのサイズが合っていないのか、あるいはストレスで痩せたのか、背中のあたりがだぶついている。

「あ……リーナ……」

ギルバートが私を見て、呆然と呟いた。

かつて自分が婚約破棄した女が、自分よりもはるかに高価なドレスを身に纏い、国の実力者にエスコートされているのだ。

面白くないはずがない。

「ふん、着飾ったところで中身はあの冷血女だ」

ギルバートが聞こえるように悪態をつく。

「おい、ミミア。行くぞ。帝国の代表団に挨拶をして、私の外交手腕を見せつけてやるんだ」

「は、はいぃ。頑張りますぅ」

二人は私たちを無視し、会場の上座にいる来賓の方へ向かった。

そこには、昨晩中庭で会った「彼」――帝国の第三皇子クリスが、ワイン片手に談笑していた。

「やあやあ! ようこそ我が国へ、クリス殿下!」

ギルバートが調子の良い声を張り上げて近づく。

クリス皇子が会話を止め、ゆっくりとギルバートを見た。

「……君は?」

「ははは、ご冗談を。この国の王太子、ギルバートですよ!」

「ああ、王太子……。ああ、はいはい。噂の」

クリス皇子は、何か汚いものを見るような目で笑った。

「聞きましたよ。『自分からダイヤモンドをドブに捨てて、代わりにガラス玉を拾った』という、あの有名な王太子殿下ですね?」

「は……?」

会場が凍りついた。

「だ、ダイヤモンド……?」

「ええ。最高の技術と美貌を持つ婚約者を捨てたと聞きました。……で、そのガラス玉というのは、隣にいるそのお嬢さんですか?」

クリス皇子の視線が、ミミアに向けられる。

ミミアは顔を真っ赤にして震え出した。

「し、失礼な! ミミアはガラス玉などではありません! 私の真実の愛です!」

ギルバートが抗議するが、クリス皇子は鼻で笑った。

「真実の愛? 愛で国が富みますか? 愛で民が食えますか? 統治者たるもの、常に『損益分岐点』を見極めねばならない。君にはそのセンスが欠落しているようだ」

「な、なんだと……!」

「僕なら、有能な人間には敬意と対価を払う。無能な人間には……まあ、それなりの対応をするだけさ」

クリス皇子はギルバートたちに背を向け、真っ直ぐに私たちの方へ歩いてきた。

そして、私の目の前で優雅に跪いた。

「やあ、麗しのリーナ嬢。昨夜ぶりだね」

「ごきげんよう、クリス殿下。昨夜の不審者とは別人のように立派ですね」

私が皮肉を言うと、彼は楽しそうに笑った。

「君に会うために正装してきたんだ。どうだい? このあと一曲。僕と踊ってくれないか?」

彼が手を差し出す。

それは、公衆の面前でのあからさまなアプローチだった。

ギルバートたちが「なんであいつが!」と悔しそうに見ている。

しかし、その手を取るよりも早く、横からぬっと伸びてきた手がクリス皇子の手を払いのけた。

「……お断りだ」

アレクセイ閣下である。

「痛いな、宰相殿。レディの選択権を奪うのはマナー違反だよ?」

「私のパートナーが、害虫に触れるのを防ぐのは管理者の義務だ」

バチバチバチッ!

二人の間に、目に見えそうな火花が散る。

イケメン二人の対立。

本来ならロマンチックな展開なのだが、当事者である私にとっては「面倒な案件」以外の何物でもない。

「あの、お二人とも。ここは外交の場ですので……」

「リーナ、君はどっちを選ぶんだい?」

クリス皇子が詰め寄る。

「僕の国に来れば、君専用の研究所を作ってあげるよ」

「リーナ、騙されるな。そんな箱物より、私は君に国家予算の決裁権の一部を与えよう」

アレクセイ閣下が被せる。

「なっ、決裁権だと!? 卑怯だぞ!」

「なんとでも言え。使える手札(予算)は全て使うのが私の流儀だ」

二人が私の頭越しに、とんでもない条件闘争を始めた。

周囲の貴族たちは「愛の告白合戦か?」と騒いでいるが、聞こえてくる単語は「研究所」「予算」「決裁権」といった生々しいものばかりだ。

私は溜息をつき、懐から電卓を取り出した。

「……静粛に願います」

私の冷たい声に、二人が動きを止める。

「お二人とも、私の労働力を過大評価されているようですが、私は定時で帰りたいだけの善良な市民です」

「善良な市民は、慰謝料五億枚もふんだくらないよ」

クリス皇子がツッコミを入れる。

「それは正当な対価です。……さて、ダンスの件ですが」

私はクリス皇子に向き直った。

「私はダンス一曲につき、特別手当として『時給の三倍』を請求いたしますが、よろしいですか?」

「え?」

「ドレスが重くて消耗が激しいので、危険手当も加算されます。さらに、足を踏んだ場合の治療費は別途請求。それでもよろしければ、踊って差し上げても構いません」

私はビジネスライクに告げた。

ムードもへったくれもない提案に、クリス皇子は目を丸くし、そして吹き出した。

「ぶっ……あはははは! 最高だ! 金を取るのかい!」

「時は金なり。私の時間はタダではありません」

「いいよ、払おう! いくらでも請求してくれ! こんな面白い女性と踊れるなら安いものだ!」

クリス皇子は笑いながら私の手を取ろうとした。

しかし、それより早く、私の体は宙に浮いた。

「きゃっ!?」

アレクセイ閣下が、私をお姫様抱っこしていたのだ。

「か、閣下!?」

「その商談、私が買い占める」

アレクセイ閣下は不機嫌そうに言った。

「ダンスの相手も、その後の時間の使い道も、全て私が独占契約する。……言い値でな」

会場から「きゃああああ!」と黄色い悲鳴が上がる。

「おのれ、独占禁止法違反だぞ!」

クリス皇子が叫ぶが、アレクセイ閣下は無視して歩き出した。

「行くぞ、リーナ。ここは騒がしすぎる。……別室で、今後の契約更新についてじっくり話し合おうか」

「ちょ、降ろしてください! ドレスが皺になります!」

「新しいのを買えばいい」

「そういう問題ではありません! 経費の無駄遣いです!」

私がバタバタと暴れるが、閣下はびくともしない。

私たちはそのまま、呆然とするギルバートたちと、爆笑するクリス皇子を残して会場を後にした。

背後から、ギルバートの惨めな声が聞こえた。

「な、なんなんだあいつらはぁぁぁ……!」

こうして、歓迎パーティーは「アレクセイ宰相によるリーナ強奪」という衝撃的な幕切れで終わった。

だが、これは新たな波乱の序章に過ぎなかった。

翌日、クリス皇子から正式に『我が国との通商条約の条件として、リーナ嬢のレンタル移籍を要求する』という、ふざけた公文書が届いたのだから。
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