赤の他人ということでよろしいですね?婚約破棄、承りました。

恋の箱庭

文字の大きさ
22 / 28

22

しおりを挟む
「いってらっしゃい! 二度と帰ってくるな……いや、早く帰ってきてくれぇぇぇ!」

王都の城門前で、クリス皇子の悲痛な叫びがこだました。

私とアレクセイ(これからは『あなた』と呼ぶ練習中だ)を乗せた馬車が、ゆっくりと動き出す。

見送りに来たクリス皇子の手には、私が作成した『宰相代理業務マニュアル(全五十巻)』が握りしめられていた。

「クリス殿下。お土産は期待していてください」

私が窓から声をかけると、彼は涙目で叫び返した。

「土産なんかいらない! 僕が欲しいのは睡眠時間だ! なんだこのスケジュールの密度は! 宰相ってこんなに働いていたのか!?」

「私の夫は働き者ですので。では、国の運営をよろしく頼みます(丸投げ)」

「鬼ぃぃぃぃ!」

遠ざかるクリス皇子の絶叫をBGMに、私たちのハネムーンは始まった。

***

今回の行き先は、大陸南部に位置するリゾートアイランド『ソレイユ島』。

アレクセイが島を一つ丸ごと貸し切ったらしい。

「……貸し切り、ですか」

揺れる馬車の中で、私は眉をひそめた。

「ハイシーズンに島一つを占有するコストを計算しましたか? 一般開放して入場料を取った方が、収益率は……」

「リーナ」

アレクセイが私の唇を指で塞いだ。

「今は仕事の話は禁止だ。この旅行の目的は『保養』と『愛の育み』だ。損益分岐点は忘れろ」

「……職業病です。電卓がないと手が震えます」

「禁断症状か。……なら、私の手を握っていろ」

彼は私の手を包み込み、指を絡めた。

「私の体温で落ち着くだろう?」

「……少し熱すぎますが、悪くはありません」

私は素直に彼の方へもたれかかった。

窓の外には、のどかな田園風景が流れていく。

こうして二人きりでゆっくり過ごすのは、思えば初めてかもしれない。

***

数日後。

私たちは港から船に乗り換え、目的地の『ソレイユ島』に到着した。

「ここが……」

船を降りた私は、息を呑んだ。

エメラルドグリーンの海、白い砂浜、そして中央の丘に建つ白亜のヴィラ。

絵に描いたような楽園だ。

「どうだ、気に入ったか?」

「ええ。素晴らしい景観です。観光開発すれば、年間数億枚のインバウンド収益が見込めますね」

「だから開発はせんと言っているだろう。ここは私と君だけの楽園だ」

アレクセイは苦笑しながら、私を抱き上げて桟橋を歩き始めた。

「ちょ、歩けます!」

「新婚旅行だ。地面を歩く必要はない」

甘やかされ放題である。

ヴィラに到着すると、そこには人の気配がなかった。

「使用人は?」

「全員、本島に帰した。滞在中の家事はすべて私がやる」

「宰相閣下に炊事洗濯をさせるのですか? 人件費の無駄遣いです」

「愛妻のための労働はプライスレスだ」

彼はそう言って、本当にエプロンを着け始めた。

氷の宰相が、花柄のエプロン(私が選んだ)を着けてキッチンに立つ姿。

このレア映像だけで、旅行費の元は取れたかもしれない。

***

その夜。

波の音だけが響く静かなテラスで、私たちはディナーを楽しんでいた。

アレクセイの手料理は、悔しいけれど絶品だった。

「……美味しいです」

「そうか。君の口に合ってよかった」

彼はワイングラスを揺らしながら、満足げに微笑む。

「リーナ。こうしていると、王都の喧騒が嘘のようだな」

「そうですね。書類の山も、ギルバート殿下のわめき声もありません」

「……幸せか?」

真っ直ぐな問いかけ。

私はフォークを置き、少し考えてから答えた。

「定義によりますが……現在の私の心拍数、血圧、ホルモンバランスは極めて安定し、かつ幸福感を示す数値が上昇しています」

「相変わらず理屈っぽいな」

「つまり、幸せです」

私が認めると、彼は立ち上がり、私の隣に来て跪いた。

「リーナ。私は君に誓った通り、一生君を大切にする。……だから」

彼の顔が近づいてくる。

甘い雰囲気。

完璧なムード。

その時だった。

ピロリロリン!

私のポケットの中で、緊急通信用の魔道具が鳴り響いた。

「……ッ!」

アレクセイの動きが止まる。眉間に深い皺が刻まれる。

「……出なくていい」

「緊急コールです。無視できません」

私は申し訳なさそうに魔道具を取り出した。

発信元は……クリス皇子だ。

「はい、もしもし」

『あ、リーナ!? 助けてくれ! 緊急事態だ!』

通信機から、クリスの悲鳴が聞こえてくる。

「どうしました? 帝国の刺客でも現れましたか?」

『違う! 王城の備品管理システムがダウンしたんだ! トイレットペーパーの在庫がどこにあるか分からなくて、国王陛下がトイレから出られなくなっている!』

「……は?」

あまりに低レベルな緊急事態に、私は絶句した。

「在庫リストは棚の三番目のファイルです。予備鍵は金庫の中」

『その金庫の番号が分からないんだよ!』

「0000です。初期設定のまま変えていませんから」

『えっ、そんな単純なの!? ……あ、開いた! ありがとう、これで陛下のお尻は守られた!』

ブツッ。

通信が切れた。

静寂が戻る。

アレクセイの顔からは、完全に表情が消えていた。

「……トイレットペーパー」

「……のようですね」

「私のハネムーンの夜が、国王の尻事情で中断されたのか」

ゴゴゴゴゴ……。

アレクセイの周囲温度が急激に下がる。南国の夜風が、一瞬でブリザードに変わろうとしていた。

「閣下、落ち着いて。ヴィラが凍ります」

「……クリスの奴、帰ったらタダではおかん。帝国の領土を半分もらい受ける」

「それは国際問題になります」

私は彼の手を取り、冷たくなった指先を温めた。

「気を取り直しましょう。……まだ、夜はこれからですよ?」

私が上目遣いで言うと、アレクセイはようやく殺気を収めた。

「……そうだな。邪魔者は排除した(通信機の電源を切った)。ここからは、私だけの時間だ」

彼は私を軽々と抱き上げ、寝室へと向かった。

「覚悟しておけ、リーナ。今まで我慢していた分、たっぷりと徴収させてもらう」

「……お手柔らかにお願いします。過剰請求は却下しますよ?」

「却下は認めん。強制執行だ」

その夜、南の島のヴィラは、甘く、そして熱い夜に包まれた。

翌朝、私の計算機能(頭脳)が半日ほど再起動しなかったのは、言うまでもない計算外の事態だった。

***

しかし、平穏なハネムーンがこのまま終わるはずもなかった。

二日目。

私たちがビーチで日光浴(という名の肌のメンテナンス)をしていると、水平線の彼方から、一隻の船が猛スピードで近づいてくるのが見えた。

「……なんだ、あれは」

アレクセイがサングラスを外す。

船には、見覚えのある紋章が描かれていた。

「あれは……ガルディア帝国の軍艦?」

「クリスの国の船か? なぜここに?」

船が桟橋に横付けされると、甲板から大勢の兵士たちが降りてきた。

そして、その中心にいたのは――。

「おーい! リーナさーん! 宰相どノー!」

手を振っているのは、クリス皇子……ではなく、彼とよく似た顔立ちの、初老の男性だった。

「誰ですか?」

「……クリスの父親、ガルディア皇帝だ」

アレクセイが呻くように言った。

「やあやあ! 息子がお世話になっているね! 君たちの結婚式の噂を聞いて、どうしても祝いたくて駆けつけたのだよ!」

皇帝陛下は満面の笑みで、巨大なマグロ(一本釣り)を引きずりながら近づいてきた。

「祝いの品だ! さあ、宴会をしよう!」

「……」

私とアレクセイは顔を見合わせた。

「……リーナ」

「はい、あなた」

「追加料金を請求しよう」

「賛成です。『プライベート侵害料』として、帝国予算の一割をいただきましょう」

私たちの静かなハネムーンは、皇帝の乱入によって「マグロ解体ショー&外交接待」へと変更された。

労働基準法適用外のハネムーンは、まだまだ続く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

婚約破棄ありがとう!と笑ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました

ほーみ
恋愛
「――婚約を破棄する!」  大広間に響いたその宣告は、きっと誰もが予想していたことだったのだろう。  けれど、当事者である私――エリス・ローレンツの胸の内には、不思議なほどの安堵しかなかった。  王太子殿下であるレオンハルト様に、婚約を破棄される。  婚約者として彼に尽くした八年間の努力は、彼のたった一言で終わった。  だが、私の唇からこぼれたのは悲鳴でも涙でもなく――。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!

パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

婚約破棄?悪役令嬢の復讐は爆速で。

八雲
恋愛
「リリム・フォン・アスタロト! 貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの最中、婚約者である王太子エリオットから身に覚えのない罪を突きつけられた公爵令嬢リリム。隣には「真実の愛」を語るマシュマロ系男爵令嬢シャーリーの姿。 普通の令嬢なら泣き崩れる場面――だが、リリムは違った。

処理中です...