可愛げがないと捨てられた悪役令嬢、隣国に最高値で買い取られる。

恋の箱庭

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「……おい、これはどういうことだ。なぜ今月の私の私的予算が、残り金貨三枚しかないのだ!?」

 
 王宮の一角、第一王子ジュリアンの執務室に、彼の絶叫が木霊した。
 手元にあるのは、王宮の財務官から突きつけられた「残高報告書」である。
 かつてリーナが管理していた頃は、常に潤沢な余剰金が確保されていたはずの口座が、見るも無残な空き地と化していた。

 
「お答えいたします、殿下。これまではリーナ様が、殿下の浪費……失礼、諸経費を細かく精査し、無駄な支出を公爵家の個人資産から密かに補填、あるいは適正な予算項目へと振り替えておられました。それが無くなった今、現実の数字が牙を剥いた次第です」

 
 無表情な財務官の言葉に、ジュリアンは机を叩いた。

 
「補填していただと!? そんな話、私は聞いていないぞ! あいつはいつも『予算を削れ』『節約しろ』と口うるさく言っていたではないか!」

 
「ええ、リーナ様は口うるさく言うことで、殿下を『破産』から守っておられたのです。ちなみに、こちらの未払い請求書の束をご覧ください。メアリ様が『真実の愛の証明』として、王宮御用達の宝飾店でツケで購入された品々です」

 
 財務官が差し出したのは、もはや鈍器になりそうな厚みの請求書の山だった。
 そこへ、ふわふわとしたドレスを纏ったメアリが、無邪気な笑顔で飛び込んできた。

 
「ジュリアン様ぁ! 見てください、この新作のティアラ。とっても素敵でしょう? リーナ様がいなくなって、ようやく窮屈な予算会議から解放されましたわね。私、幸せですわ!」

 
「……メ、メアリ。そのティアラ、いくらしたんだ?」

 
「あら、野暮なことを聞かないでください。愛はお金で買えないものですわ。……あ、でも店員さんは金貨八百枚だって言ってましたわね。ツケにしておきましたから、大丈夫ですわよね?」

 
 ジュリアンの顔が、見る間に土気色へと変わっていく。
 金貨八百枚。
 それは、リーナが「一回の舞踏会の運営費」として必死に交渉して削り出していた額と同等である。

 
「……だ、財務官。この請求書をアッシェン公爵家に回せ。あそこは金があるだろう」

 
「無理でございます、殿下。リーナ様から『今後、王太子の私的な負債について我が家が関与することはない。一リーブルでも請求書が届いたら即座に法的措置を執る』との公証人役場を通した通告書が届いております」

 
「なっ……! あいつ、そこまで徹底しているのか!」

 
「さらに、殿下がこれまで『経費』として落としていた、メアリ様との深夜のティータイム用最高級茶葉。これもリーナ様が独自ルートで仕入れた私物だったため、今後は市場価格の三倍、プラス運搬費を請求するとのことです」

 
 ジュリアンは頭を抱えた。
 リーナがいた頃、彼は自分の財布が無限だと思い込んでいた。
 どこへ行っても極上のサービスが受けられ、不自由したことは一度もない。
 それは全て、リーナが裏で「金」と「人脈」を完璧にコントロールしていたからに他ならない。

 
「ジュリアン様、どうされたのですか? そんな怖い顔をして……。もしかして、私への愛が冷めてしまったのですか……?」

 
 メアリが潤んだ瞳で見つめてくる。
 いつもなら「そんなことはない、愛しているよ」と即答するところだが、今のジュリアンの脳裏を占めているのは「金貨三枚で一ヶ月をどう過ごすか」という絶望的な計算だった。

 
「……あ、いや、メアリ。少し、そのティアラは返品できないだろうか」

 
「ええっ!? ひどいですわ! 私を辱めるおつもりですか!? リーナ様なら、こんなケチなことおっしゃいませんでしたわ!」

 
「いや、あいつはケチだった! ケチだったが……あいつのケチには、理論武装された守りがあったんだ……!」

 
 皮肉なことに、リーナを「可愛げがない」と切り捨てたジュリアンが、今一番求めているのは彼女の「冷徹な家計管理」だった。

 
「殿下。もう一つ、重要なお知らせが。……殿下の私室にある特注のベッド。あれのリース代が滞っております。リーナ様の個人所有物ですので、本日中に返却するか、買い取るか選んでほしいとのことですが」

 
「なんだと!? 寝床まで没収する気か!?」

 
「リーナ様曰く、『契約が切れた以上、私の資産を他人に無償で貸与する理由は一ミクロンも存在しない』とのことです」

 
「…………あいつ、鬼か!」

 
「いいえ、プロの経営者でございます。……さて、殿下。お支払いができない場合は、王宮の備品のパイプベッドに変更となりますが、よろしいですね?」

 
 ガタン、とジュリアンの椅子が揺れた。
 「真実の愛」の代償は、あまりにも高く、そしてあまりにも具体的な「数字」となって彼を追い詰めていく。

 
 一方その頃、リーナは隣国へ向かう豪華な馬車の中で、優雅に帳簿をつけていた。

 
「ふふっ。元婚約者のベッドを中古家具市場に流せば、さらに金貨五十枚の上乗せね。思い出なんて、現金化してこそ価値が出るというものですわ」

 
 彼女のペン先は、迷うことなく次なる収益目標へと進んでいく。
 愛よりも正確な、数字の世界へ。
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