喜んで!悪役令嬢を極めすぎて王子にドン引きされました!

恋の箱庭

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ミクルが隣国のカイル殿下に連れ去られてから、数時間が経過しました。
アストレア王国の王宮、その一角にある執務室では、重苦しい沈黙が漂っています。

第一王子アルヴィスは、デスクの上に山積みになった書類の束を前に、眉間に深い皺を寄せていました。

「……おい、この予算申請書の承認印はどうなっている。以前は、私がここに来る頃にはすべて終わっていたはずだが」

アルヴィスが苛立ちを隠さずに問うと、傍らに控えていた側近のバルト卿が冷や汗を拭いました。

「申し訳ございません、殿下。それらの下調べと整理は、すべてミクル様が……いえ、あのアストレア公爵令嬢が、夜会や公務の合間に一人でこなしておりましたので」

アルヴィスは手に持っていたペンをデスクに叩きつけました。

「あんな性格のねじ曲がった女が、これほどの量を? ふん、どうせ公爵家の権力を使って、誰かにやらせていたに決まっている。リリィ、君はどう思う?」

部屋のソファで優雅に紅茶を飲んでいたリリィが、花が咲くような微笑みを浮かべて顔を上げました。

「まあ、アルヴィス様。そんなに怒らないでくださいませ。ミクル様はきっと、自分を大きく見せるために無理をなさっていたのでしょうね。かわいそうな方……」

リリィはカップを置くと、アルヴィスの元へ歩み寄り、その肩にそっと手を置きました。

「ミクル様がいなくなって、ようやくこの王宮も浄化されましたわ。あのような、常に周囲を威圧して高笑いするような女性が、王妃に相応しいはずがありませんもの」

「……それは、そうだな」

アルヴィスはリリィの柔らかな声に毒気を抜かれたように頷きました。
しかし、その視線は再びデスクの惨状に戻ります。

「だが、現に実務が止まっている。リリィ、君は聖女としての慈愛だけでなく、教養も深いと聞いている。この外交文書の返信を少し手伝ってくれないか?」

リリィの表情が一瞬だけ、凍りつきました。

「えっ……。あ、あの、アルヴィス様。わたくし、今日は聖女としての祈りを捧げすぎて、少し目眩がいたしますの……。それに、わたくしのような清らかな者が、このような世俗的な数字を扱うのは、少し怖くて……」

リリィは目を潤ませ、弱々しくフラついた振りをしました。
アルヴィスは慌てて彼女の腰を支えます。

「ああ、すまない! 君にそんな苦労をさせるわけにはいかないな。バルト、後のことは騎士団の事務官に回せ!」

「は、はっ。ですが、事務官たちもミクル様の毒舌指導がないと、全く動かない連中でして……」

バルト卿の言葉に、アルヴィスは再びイライラを募らせました。

「どいつもこいつもミクル、ミクルと! あんな悪女、今頃隣国の野蛮な男に泣かされているに決まっている。カイル殿下も、一時の気の迷いでお持ち帰りしたのだろうが、すぐに正気に戻るはずだ」

リリィは、アルヴィスの胸に顔を埋めながら、心の中でほくそ笑んでいました。

(ふふん、せいぜい筋肉だらけのヴァルハルトで苦労すればいいわ。あの女、プライドだけは高いから、今頃ボロ雑巾のように扱われて絶望しているかしら)

リリィは、ミクルがいなくなったことで、自分が唯一無二のヒロインになれると確信していました。
しかし、彼女は気づいていなかったのです。
ミクルが「悪役」としてすべての泥を被り、完璧に整えていたこの王国の土台が、どれほど脆いものだったかということに。

「……ところで、アルヴィス様。ヴァルハルトのカイル殿下って、そんなに凄まじい方なのですか?」

リリィが何気なく尋ねると、アルヴィスの顔が再び強張りました。

「……ああ。個人としての武勇、そして率いる騎士団の練度。どれをとっても大陸最強と言われている。私とは、その……少し方向性が違うがな」

アルヴィスは「実力差」という言葉を飲み込みました。
パーティー会場で、自分の婚約者を堂々と奪っていったあの男の、圧倒的な存在感。
そして、それに一歩も引かずに「覇気」をぶつけ合っていたミクルの姿。

「……あんな女の、どこがいいんだか」

アルヴィスは吐き捨てるように言いましたが、その胸の奥には、正体不明の焦燥感が渦巻いていました。

一方のリリィは、鏡に映る自分の愛らしい姿を確認し、勝利の笑みを深めます。

「きっと、ミクル様はヴァルハルトで、その『覇気』とやらを筋肉で粉砕されているに決まっていますわ。おーっほっほっほ! ……あら、失礼。わたくしとしたことが、つい下品な笑い方をしてしまいましたわ」

リリィは慌てて口元を押さえましたが、その心は醜い優越感で満たされていました。

アストレア王国の平穏は、急速に崩れ始めていました。
完璧な悪役令嬢という「最大の功労者」を失った代償は、想像以上に高くつくことになります。
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