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ヴァルハルトの夜風は、私の故郷アストレア王国よりも少しだけ冷たく、そして鉄の匂いがしました。
私は一人、客室のテラスに出て夜空を見上げていました。
……正直に言いましょう。疲れましたわ。
悪役令嬢を演じるのは、私にとっての矜持であり、最高の娯楽でした。
でも、それはあくまで「嫌われる」ための手段だったのです。
それなのに、ここでは何をやっても「格好いい」「強い」「覇王だ」と称賛されてしまいます。
「……本当は、私、そんなに強くないのですけれどね」
ポツリと、誰にも聞こえないような小さな声で呟きました。
私はただの、少しばかり演技が上手いだけの、どこにでもいる(性格のキツい)公爵令嬢なのです。
「何を仰っている、ミクル殿」
背後から響いた低い声に、私は心臓が跳ね上がるのを感じました。
振り返ると、そこには月光を浴びて彫像のように佇むカイル殿下の姿がありました。
「……殿下。人の部屋に無断で入るなんて、相変わらず無作法ですわね」
私は咄嗟にいつもの仮面を被り、扇子で顔を隠しました。
しかし、カイル殿下は歩みを止めず、私のすぐ傍までやってきました。
「君が一人で寂しそうな覇気を放っていたからな。気になって、つい来てしまった」
「寂しそうな覇気って何ですのよ。意味が分かりませんわ」
私は溜息をつき、今度こそこの誤解を解こうと決意しました。
このままでは、私は本当にこの国で「戦神」か何かに祀り上げられてしまいます。
「殿下、聞いてください。わたくし、殿下が思っているような立派な人間ではありませんの。本当は……弱くて、怖がりで、ただの我がままな女なんですのよ?」
私は扇子を閉じ、真っ直ぐにカイル殿下の瞳を見つめました。
演技ではない、本当の私の「告白」です。
これなら、流石の彼も「なんだ、普通の女だったのか」と失望してくれるはず。
ところが、カイル殿下の瞳は、失望どころか、今までに見たこともないほどの熱を帯びて輝き始めたのです。
「……ああ、やはりそうか。君はどこまで気高いのだ、ミクル殿」
「は……? 今、わたくし『弱い』と言いましたわよね?」
カイル殿下は私の両肩をがっしりと掴み、顔を近づけました。
彼の瞳には、深い感動と、抑えきれない情熱が渦巻いています。
「強者とは、自らの弱さを知る者のことだ。君は今、己の限界を認めることで、さらなる高みへ至ろうとしているのだな! 今の君の震え……それは恐怖ではない、未知の強敵を前にした武者震いだ!」
「違いますわ! これはただの寒さと、殿下の圧迫感による物理的な震えですわ!」
「謙遜するな! 君ほどの覇気を持ちながら、なおも自分を『ただの女』だと言い切るその精神性。これこそが真の王者の孤独……。私は今、君の魂の深淵に触れた気がする!」
カイル殿下の視線は、もはや私の「素顔」を突き抜けて、存在しない「究極の戦士像」を見つめているようでした。
あまりの熱量に、私は言い返す言葉を失いました。
(……ダメですわ。この方には、何を言っても『格好いい方向』に変換されてしまいますのね)
私が一歩引こうとすると、カイル殿下はさらに距離を詰め、私の耳元で低く囁きました。
「安心しろ、ミクル。君がどれほど自分を『弱い』と蔑もうと、私は知っている。君のその瞳が、決して折れることのない鋼であることを。……私は、そんな君のすべてを愛している」
心臓が、ドクンと大きく跳ねました。
愛している。
そう、真正面から、逃げ場のないほどの熱量で言われたのは初めてでした。
カイル殿下の大きな手が、私の頬を優しく撫でました。
その手は驚くほど温かく、そして……不器用なほどに震えていたのです。
(……この方も、緊張していらっしゃいますの?)
そう気づいた瞬間、私の心の中にあった「真実を話して楽になりたい」という甘えは、どこかへ消え去ってしまいました。
この男の期待を裏切ることは、今の私には……なぜか、負けを認めるよりも悔しいことに思えたのです。
私は、彼の掌を自分の手で払い除けました。
そして、これ以上ないほど傲慢で、美しい微笑を浮かべてみせたのです。
「……おーっほっほっほ! 殿下、少し調子に乗りすぎですわ。わたくしの魂に触れるなど、あと百年早くてよ!」
「……っ! 今の拒絶の覇気……完璧だ!」
カイル殿下は、弾かれたように身を乗り出し、感銘を受けたという顔で私を見つめました。
「いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、わたくしが本当の『最強』というものを見せてさしあげますわ。せいぜい、振り落とされないようにしっかりついてくることですわね!」
私は扇子をバサリと広げ、月光の下で堂々と立ち誇りました。
本当の自分を隠し、理想の悪役令嬢を演じ抜く。
それが、私に愛を囁いたこの男に対する、私なりの「礼儀」だと確信したのです。
「ああ、望むところだ、ミクル殿! 君という高嶺の花を、必ずや我が国の頂に咲かせてみせる!」
カイル殿下の咆哮が夜の王宮に響き渡りました。
私は、その後ろ姿を見送りながら、深いため息をつきました。
(……わたくし、ついに自分から『最強』への道を歩み始めてしまいましたわ)
もう後戻りはできません。
私は、この脳筋国家の「覇王妃」になるまで、この完璧な演技を続けるしかないようです。
私は一人、客室のテラスに出て夜空を見上げていました。
……正直に言いましょう。疲れましたわ。
悪役令嬢を演じるのは、私にとっての矜持であり、最高の娯楽でした。
でも、それはあくまで「嫌われる」ための手段だったのです。
それなのに、ここでは何をやっても「格好いい」「強い」「覇王だ」と称賛されてしまいます。
「……本当は、私、そんなに強くないのですけれどね」
ポツリと、誰にも聞こえないような小さな声で呟きました。
私はただの、少しばかり演技が上手いだけの、どこにでもいる(性格のキツい)公爵令嬢なのです。
「何を仰っている、ミクル殿」
背後から響いた低い声に、私は心臓が跳ね上がるのを感じました。
振り返ると、そこには月光を浴びて彫像のように佇むカイル殿下の姿がありました。
「……殿下。人の部屋に無断で入るなんて、相変わらず無作法ですわね」
私は咄嗟にいつもの仮面を被り、扇子で顔を隠しました。
しかし、カイル殿下は歩みを止めず、私のすぐ傍までやってきました。
「君が一人で寂しそうな覇気を放っていたからな。気になって、つい来てしまった」
「寂しそうな覇気って何ですのよ。意味が分かりませんわ」
私は溜息をつき、今度こそこの誤解を解こうと決意しました。
このままでは、私は本当にこの国で「戦神」か何かに祀り上げられてしまいます。
「殿下、聞いてください。わたくし、殿下が思っているような立派な人間ではありませんの。本当は……弱くて、怖がりで、ただの我がままな女なんですのよ?」
私は扇子を閉じ、真っ直ぐにカイル殿下の瞳を見つめました。
演技ではない、本当の私の「告白」です。
これなら、流石の彼も「なんだ、普通の女だったのか」と失望してくれるはず。
ところが、カイル殿下の瞳は、失望どころか、今までに見たこともないほどの熱を帯びて輝き始めたのです。
「……ああ、やはりそうか。君はどこまで気高いのだ、ミクル殿」
「は……? 今、わたくし『弱い』と言いましたわよね?」
カイル殿下は私の両肩をがっしりと掴み、顔を近づけました。
彼の瞳には、深い感動と、抑えきれない情熱が渦巻いています。
「強者とは、自らの弱さを知る者のことだ。君は今、己の限界を認めることで、さらなる高みへ至ろうとしているのだな! 今の君の震え……それは恐怖ではない、未知の強敵を前にした武者震いだ!」
「違いますわ! これはただの寒さと、殿下の圧迫感による物理的な震えですわ!」
「謙遜するな! 君ほどの覇気を持ちながら、なおも自分を『ただの女』だと言い切るその精神性。これこそが真の王者の孤独……。私は今、君の魂の深淵に触れた気がする!」
カイル殿下の視線は、もはや私の「素顔」を突き抜けて、存在しない「究極の戦士像」を見つめているようでした。
あまりの熱量に、私は言い返す言葉を失いました。
(……ダメですわ。この方には、何を言っても『格好いい方向』に変換されてしまいますのね)
私が一歩引こうとすると、カイル殿下はさらに距離を詰め、私の耳元で低く囁きました。
「安心しろ、ミクル。君がどれほど自分を『弱い』と蔑もうと、私は知っている。君のその瞳が、決して折れることのない鋼であることを。……私は、そんな君のすべてを愛している」
心臓が、ドクンと大きく跳ねました。
愛している。
そう、真正面から、逃げ場のないほどの熱量で言われたのは初めてでした。
カイル殿下の大きな手が、私の頬を優しく撫でました。
その手は驚くほど温かく、そして……不器用なほどに震えていたのです。
(……この方も、緊張していらっしゃいますの?)
そう気づいた瞬間、私の心の中にあった「真実を話して楽になりたい」という甘えは、どこかへ消え去ってしまいました。
この男の期待を裏切ることは、今の私には……なぜか、負けを認めるよりも悔しいことに思えたのです。
私は、彼の掌を自分の手で払い除けました。
そして、これ以上ないほど傲慢で、美しい微笑を浮かべてみせたのです。
「……おーっほっほっほ! 殿下、少し調子に乗りすぎですわ。わたくしの魂に触れるなど、あと百年早くてよ!」
「……っ! 今の拒絶の覇気……完璧だ!」
カイル殿下は、弾かれたように身を乗り出し、感銘を受けたという顔で私を見つめました。
「いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、わたくしが本当の『最強』というものを見せてさしあげますわ。せいぜい、振り落とされないようにしっかりついてくることですわね!」
私は扇子をバサリと広げ、月光の下で堂々と立ち誇りました。
本当の自分を隠し、理想の悪役令嬢を演じ抜く。
それが、私に愛を囁いたこの男に対する、私なりの「礼儀」だと確信したのです。
「ああ、望むところだ、ミクル殿! 君という高嶺の花を、必ずや我が国の頂に咲かせてみせる!」
カイル殿下の咆哮が夜の王宮に響き渡りました。
私は、その後ろ姿を見送りながら、深いため息をつきました。
(……わたくし、ついに自分から『最強』への道を歩み始めてしまいましたわ)
もう後戻りはできません。
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