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王宮の廊下を、私は音もなく、それでいて威厳に満ちた足取りで進んでいました。
すれ違うメイドや騎士たちが、一瞬で顔を強張らせて道を開け、深々と頭を下げていきます。
「お疲れ様です、ミクル姐さん!」
背後から飛んでくる、もはや聞き慣れてしまった野太い挨拶。
私は振り返ることなく、ただ扇子を小さく振って応え、自室へと滑り込みました。
重厚な扉を閉め、カチャリと鍵をかけた、その瞬間です。
「――やってしまいましたわぁぁぁ!」
私はドレスの裾も気にせず、天蓋付きの豪華なベッドへとダイブしました。
枕に顔を埋め、足をバタつかせながら、消え入りそうな声で叫びます。
「跪きなさい、ですって? 駄犬ですって!? わたくし、何を口走っていますの!? 相手は一国の精鋭騎士団ですわよ! あんな岩みたいな筋肉の人たちに、あんなこと言ったら普通は即刻処刑ですわ!」
そうです。
皆様はお忘れかもしれませんが、私は前世の記憶などこれっぽっちもない、ただの公爵令嬢なのです。
「悪役令嬢とはこうあるべき」という独自の美学を拗らせているだけで、中身は驚くほど小心者で普通の女の子なのです。
私はガバッと起き上がり、鏡の中に映る自分の顔を凝視しました。
そこには、恐怖で瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな「ただのミクル」がいました。
「……怖い。正直に言って、あの演習場の熱気、めちゃくちゃ怖かったですわ」
私は自分の肩を抱いて、ガタガタと震えました。
あんなに汗臭くて、筋肉がはち切れそうな男たちが数百人も集まっている場所なんて、本来なら近づくことすら避けるべき場所です。
それなのに、私の「悪役スイッチ」が入ると、どうしてあんなに口が回ってしまうのでしょうか。
「舌を引き抜く」だなんて、一度もやったことも見たこともないのに、どうしてあんなに自然にセリフが出てくるのか。
「おーっほっほっほ! なんて笑っていますけれど、心臓はバクバクで、胃に穴が空きそうですわよ」
私はベッドの端に丸まり、膝を抱えました。
アストレア王国にいた頃は、まだ良かった。
アルヴィス王子は私の演技を「嫌な女」として受け止めてくれましたし、周囲も「近寄りがたい公爵令嬢」として適度な距離を置いてくれていました。
でも、この国は違います。
私が毒を吐けば吐くほど、なぜか支持率が急上昇していくのです。
「『姐さん』って何ですの、姐さんって。わたくし、いつから任侠の世界の人間になりましたの?」
あのボルグという副団長の顔。
「駄犬」と呼ばれた時の、あの恍惚とした表情。
思い出すだけで、背筋に冷たいものが走ります。
「……もう、逃げ出したいですわ。でも、今更『実はあれ、全部演技なんです』なんて言える雰囲気ではありませんし」
もし正体をバラしたら、あの熱狂的な騎士たちが「裏切られた!」と怒り狂って、私をプロテインの粉末に変えてしまうかもしれません。
そう思うと、もう一生この「完璧な悪役令嬢」を演じ続けるしかないのです。
「ううっ、お父様、お母様。わたくし、とんでもないところに嫁ぎに来てしまったかもしれませんわ」
私はシーツをぎゅっと握りしめ、ポロリと一粒の涙をこぼしました。
昼間のあの堂々とした態度はどこへやら、今の私はただの、ホームシックに震える寂しい娘です。
その時、コンコンと控えめなノックの音が響きました。
「ミクル、まだ起きているか? 少し顔が見たくなってな」
カイル殿下の声です。
私は飛び上がり、即座に鏡の前で表情を作り直しました。
目元の涙を拭い、髪を整え、口角を吊り上げます。
「……あら。殿下。夜分に淑女の部屋を訪ねるなんて、相変わらず無作法な方ですわね」
私は扉を開け、冷徹な微笑を浮かべて彼を迎えました。
足の震えを隠すために、ドレスの裾を強く握りしめながら。
カイル殿下は私の顔を見るなり、満足げに目を細めました。
「ほう、その潤んだ瞳……。もしや、夜通し新しい呪いの研究でもしていたのか? あまり無理をするなよ。君の覇気が研ぎ澄まされすぎて、廊下の衛兵たちが緊張で気絶しそうになっているぞ」
「……ただのスキンケアですわ。殿下には関係のないことですわよ」
私はフンと鼻で笑って、ドアを閉めました。
扉一枚隔てた向こう側で、カイル殿下の「ははは! 相変わらず冷たいな、そこが最高だ!」という声が聞こえます。
彼が去った後、私は再びベッドに崩れ落ちました。
「…………スキンケアで覇気が上がるって、どういう理屈ですのよ」
私の「本当の自分」がバレる日は、まだまだ遠そうです。
いえ、バレた時が私の人生の終わりかもしれません。
私は枕を抱きしめ、明日もまた「最強の姐さん」を演じ抜くための気合を注入するのでした。
すれ違うメイドや騎士たちが、一瞬で顔を強張らせて道を開け、深々と頭を下げていきます。
「お疲れ様です、ミクル姐さん!」
背後から飛んでくる、もはや聞き慣れてしまった野太い挨拶。
私は振り返ることなく、ただ扇子を小さく振って応え、自室へと滑り込みました。
重厚な扉を閉め、カチャリと鍵をかけた、その瞬間です。
「――やってしまいましたわぁぁぁ!」
私はドレスの裾も気にせず、天蓋付きの豪華なベッドへとダイブしました。
枕に顔を埋め、足をバタつかせながら、消え入りそうな声で叫びます。
「跪きなさい、ですって? 駄犬ですって!? わたくし、何を口走っていますの!? 相手は一国の精鋭騎士団ですわよ! あんな岩みたいな筋肉の人たちに、あんなこと言ったら普通は即刻処刑ですわ!」
そうです。
皆様はお忘れかもしれませんが、私は前世の記憶などこれっぽっちもない、ただの公爵令嬢なのです。
「悪役令嬢とはこうあるべき」という独自の美学を拗らせているだけで、中身は驚くほど小心者で普通の女の子なのです。
私はガバッと起き上がり、鏡の中に映る自分の顔を凝視しました。
そこには、恐怖で瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな「ただのミクル」がいました。
「……怖い。正直に言って、あの演習場の熱気、めちゃくちゃ怖かったですわ」
私は自分の肩を抱いて、ガタガタと震えました。
あんなに汗臭くて、筋肉がはち切れそうな男たちが数百人も集まっている場所なんて、本来なら近づくことすら避けるべき場所です。
それなのに、私の「悪役スイッチ」が入ると、どうしてあんなに口が回ってしまうのでしょうか。
「舌を引き抜く」だなんて、一度もやったことも見たこともないのに、どうしてあんなに自然にセリフが出てくるのか。
「おーっほっほっほ! なんて笑っていますけれど、心臓はバクバクで、胃に穴が空きそうですわよ」
私はベッドの端に丸まり、膝を抱えました。
アストレア王国にいた頃は、まだ良かった。
アルヴィス王子は私の演技を「嫌な女」として受け止めてくれましたし、周囲も「近寄りがたい公爵令嬢」として適度な距離を置いてくれていました。
でも、この国は違います。
私が毒を吐けば吐くほど、なぜか支持率が急上昇していくのです。
「『姐さん』って何ですの、姐さんって。わたくし、いつから任侠の世界の人間になりましたの?」
あのボルグという副団長の顔。
「駄犬」と呼ばれた時の、あの恍惚とした表情。
思い出すだけで、背筋に冷たいものが走ります。
「……もう、逃げ出したいですわ。でも、今更『実はあれ、全部演技なんです』なんて言える雰囲気ではありませんし」
もし正体をバラしたら、あの熱狂的な騎士たちが「裏切られた!」と怒り狂って、私をプロテインの粉末に変えてしまうかもしれません。
そう思うと、もう一生この「完璧な悪役令嬢」を演じ続けるしかないのです。
「ううっ、お父様、お母様。わたくし、とんでもないところに嫁ぎに来てしまったかもしれませんわ」
私はシーツをぎゅっと握りしめ、ポロリと一粒の涙をこぼしました。
昼間のあの堂々とした態度はどこへやら、今の私はただの、ホームシックに震える寂しい娘です。
その時、コンコンと控えめなノックの音が響きました。
「ミクル、まだ起きているか? 少し顔が見たくなってな」
カイル殿下の声です。
私は飛び上がり、即座に鏡の前で表情を作り直しました。
目元の涙を拭い、髪を整え、口角を吊り上げます。
「……あら。殿下。夜分に淑女の部屋を訪ねるなんて、相変わらず無作法な方ですわね」
私は扉を開け、冷徹な微笑を浮かべて彼を迎えました。
足の震えを隠すために、ドレスの裾を強く握りしめながら。
カイル殿下は私の顔を見るなり、満足げに目を細めました。
「ほう、その潤んだ瞳……。もしや、夜通し新しい呪いの研究でもしていたのか? あまり無理をするなよ。君の覇気が研ぎ澄まされすぎて、廊下の衛兵たちが緊張で気絶しそうになっているぞ」
「……ただのスキンケアですわ。殿下には関係のないことですわよ」
私はフンと鼻で笑って、ドアを閉めました。
扉一枚隔てた向こう側で、カイル殿下の「ははは! 相変わらず冷たいな、そこが最高だ!」という声が聞こえます。
彼が去った後、私は再びベッドに崩れ落ちました。
「…………スキンケアで覇気が上がるって、どういう理屈ですのよ」
私の「本当の自分」がバレる日は、まだまだ遠そうです。
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