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その夜、ヴァルハルトの王宮は、いつになく穏やかな静寂に包まれていました。
騒がしい騎士たちの宴も終わり、私はカイル殿下に誘われて、城で最も高い場所にある展望塔へとやってきました。
ここからは、ヴァルハルトの街並みと、遠くに広がる深い森が一望できます。
「ミクル、今夜の月は一段と輝いているな。君の鋭い瞳の光によく似ている」
カイル殿下は、手すりに腕をついて夜空を見上げていました。
いつもの暑苦しいほどの熱気は影を潜め、その横顔は驚くほど端正で、落ち着いています。
「あら、殿下。詩人のような真似をして、わたくしを油断させるつもりかしら? 毒を吐く隙を与えない作戦なら、無駄な努力ですわよ」
私はいつものように扇子を広げ、不敵な笑みを浮かべました。
でも、胸の奥は少しだけざわついていました。
アルヴィスたちが失脚したと聞いてから、私の心には小さな穴が空いたような、妙な落ち着かなさがあったのです。
「ミクル、一つ聞いてもいいか」
カイル殿下がゆっくりとこちらを向き、私を真っ直ぐに見つめました。
その瞳には、私の「覇気」を賞賛するいつもの熱狂ではなく、もっと深くて静かな、真実を求める光が宿っていました。
「何かしら。わたくしの次の『断罪』のターゲットの相談なら、いつでも受け付けてよくてよ?」
「君は、無理をしていないか」
唐突な言葉に、私の心臓が大きく跳ねました。
扇子を握る指先が、わずかに震えるのを自分でも感じます。
「……何を仰るのかしら。わたくしが、無理? おーっほっほ! 傑作ですわ! この完璧な公爵令嬢たるわたくしが、そんな軟弱なことをするとでも?」
「夜、君が一人で部屋で反省会をしているのを、実は知っているんだ」
(――なっ!?)
私は絶句しました。
頭の中が真っ白になり、顔から火が出るほどの羞恥心が全身を駆け巡ります。
まさか、あの、枕に顔を埋めて「やってしまいましたわー!」と叫んでいた姿を見られていたのですか!?
「わ、わたくしのプライバシーを侵害するなんて、なんて野蛮な王子様なのかしら! 今すぐその目を潰して差し上げてもよくてよ!」
私は必死に虚勢を張りました。
でも、カイル殿下は一歩踏み出し、私の震える肩に大きな手を置きました。
「責めないでくれ。君の部屋の衛兵たちが、たまに心配そうにしているのを聞いていただけだ。……ミクル。君がどれほど繊細で、本当は優しくて、そして怖がりなのか。私は、薄々気づいていたよ」
「……っ。だったら、どうして」
「それでも、君が皆の前で『悪役』を演じ続ける理由も、分かる気がするんだ」
カイル殿下の手が、私の頬を優しく撫でました。
その温かさに、私の目元がじわりと熱くなります。
「君は、誰よりも誇り高い。弱さを見せることを恥とし、自らが盾となって周囲を導こうとしている。アストレア王国で君がやってきたこともそうだ。嫌われ役を買って出て、あんな無能な王子に代わって国を支えていたんだろう?」
「それは……わたくしの、ただの自己満足ですわ。わたくしは、自分の美学に従っただけ……」
「ああ、その美学が私は好きなんだ。演技でもいい。虚勢でもいい。君が、自分の意志でその強さを選んでいるのなら、私はそれを全力で肯定したい」
カイル殿下は、私の目を見つめ、これまでにないほど真剣な声で告げました。
「ミクル。私は、君の覇気が好きだ。だが、それ以上に、その覇気を生み出している君の『魂の気高さ』を愛している。例え君の正体が、夜に枕を濡らす泣き虫だったとしても、私の気持ちは一ミリも変わらない」
私は言葉を失いました。
これまで、誰も私の「演技」の裏側を見ようとはしませんでした。
「嫌な女」だと忌み嫌われるか、あるいは「有能な道具」として利用されるか。
でも、この人は。
私の嘘も、虚栄も、小心な部分もすべて飲み込んだ上で、「好きだ」と言ってくれたのです。
「……ずるいですわね。殿下は」
私は扇子を閉じ、顔を俯かせました。
ポタポリと、冷たい石畳に涙が落ちる音がしました。
「わたくし、本当に性格が悪いですのよ? 殿下の筋肉を暑苦しいと思っているし、プロテインの味見も本当は面倒なんですのよ?」
「ははは! 知っているよ! 君がプロテインを飲む時に、いつも『えぐい味ですわ』という顔をしているのは気づいていた!」
「だったら、どうして笑っていられるのですか!」
「それが君だろう? 正直で、不器用で、誰よりも真っ直ぐな、私の愛する悪役令嬢だ」
カイル殿下は私を優しく抱き寄せました。
その胸板は鋼のように硬いけれど、今はどんなシルクのクッションよりも心地よく感じられました。
「ミクル。これから先も、君は君のままでいい。私の前だけで弱音を吐いて、皆の前では最高の悪女でいてくれ。君のその誇り高き『悪の道』を、私がこの命を懸けて守り抜くから」
私は、彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣きました。
これまでの孤独も、プレッシャーも、すべてが彼の温かさの中に溶けていくようでした。
「……絶対に、後悔させますわよ? わたくし、本当にわがままですもの」
「ああ、望むところだ。世界一わがままな女王に仕えるのは、騎士として最高の栄誉だからな」
月光の下、私たちは静かに誓いを交わしました。
演技ではない、本当の心が通じ合った瞬間。
私の「悪役令嬢」としての物語は、ここで本当の意味で、新しい章へと踏み出したのです。
騒がしい騎士たちの宴も終わり、私はカイル殿下に誘われて、城で最も高い場所にある展望塔へとやってきました。
ここからは、ヴァルハルトの街並みと、遠くに広がる深い森が一望できます。
「ミクル、今夜の月は一段と輝いているな。君の鋭い瞳の光によく似ている」
カイル殿下は、手すりに腕をついて夜空を見上げていました。
いつもの暑苦しいほどの熱気は影を潜め、その横顔は驚くほど端正で、落ち着いています。
「あら、殿下。詩人のような真似をして、わたくしを油断させるつもりかしら? 毒を吐く隙を与えない作戦なら、無駄な努力ですわよ」
私はいつものように扇子を広げ、不敵な笑みを浮かべました。
でも、胸の奥は少しだけざわついていました。
アルヴィスたちが失脚したと聞いてから、私の心には小さな穴が空いたような、妙な落ち着かなさがあったのです。
「ミクル、一つ聞いてもいいか」
カイル殿下がゆっくりとこちらを向き、私を真っ直ぐに見つめました。
その瞳には、私の「覇気」を賞賛するいつもの熱狂ではなく、もっと深くて静かな、真実を求める光が宿っていました。
「何かしら。わたくしの次の『断罪』のターゲットの相談なら、いつでも受け付けてよくてよ?」
「君は、無理をしていないか」
唐突な言葉に、私の心臓が大きく跳ねました。
扇子を握る指先が、わずかに震えるのを自分でも感じます。
「……何を仰るのかしら。わたくしが、無理? おーっほっほ! 傑作ですわ! この完璧な公爵令嬢たるわたくしが、そんな軟弱なことをするとでも?」
「夜、君が一人で部屋で反省会をしているのを、実は知っているんだ」
(――なっ!?)
私は絶句しました。
頭の中が真っ白になり、顔から火が出るほどの羞恥心が全身を駆け巡ります。
まさか、あの、枕に顔を埋めて「やってしまいましたわー!」と叫んでいた姿を見られていたのですか!?
「わ、わたくしのプライバシーを侵害するなんて、なんて野蛮な王子様なのかしら! 今すぐその目を潰して差し上げてもよくてよ!」
私は必死に虚勢を張りました。
でも、カイル殿下は一歩踏み出し、私の震える肩に大きな手を置きました。
「責めないでくれ。君の部屋の衛兵たちが、たまに心配そうにしているのを聞いていただけだ。……ミクル。君がどれほど繊細で、本当は優しくて、そして怖がりなのか。私は、薄々気づいていたよ」
「……っ。だったら、どうして」
「それでも、君が皆の前で『悪役』を演じ続ける理由も、分かる気がするんだ」
カイル殿下の手が、私の頬を優しく撫でました。
その温かさに、私の目元がじわりと熱くなります。
「君は、誰よりも誇り高い。弱さを見せることを恥とし、自らが盾となって周囲を導こうとしている。アストレア王国で君がやってきたこともそうだ。嫌われ役を買って出て、あんな無能な王子に代わって国を支えていたんだろう?」
「それは……わたくしの、ただの自己満足ですわ。わたくしは、自分の美学に従っただけ……」
「ああ、その美学が私は好きなんだ。演技でもいい。虚勢でもいい。君が、自分の意志でその強さを選んでいるのなら、私はそれを全力で肯定したい」
カイル殿下は、私の目を見つめ、これまでにないほど真剣な声で告げました。
「ミクル。私は、君の覇気が好きだ。だが、それ以上に、その覇気を生み出している君の『魂の気高さ』を愛している。例え君の正体が、夜に枕を濡らす泣き虫だったとしても、私の気持ちは一ミリも変わらない」
私は言葉を失いました。
これまで、誰も私の「演技」の裏側を見ようとはしませんでした。
「嫌な女」だと忌み嫌われるか、あるいは「有能な道具」として利用されるか。
でも、この人は。
私の嘘も、虚栄も、小心な部分もすべて飲み込んだ上で、「好きだ」と言ってくれたのです。
「……ずるいですわね。殿下は」
私は扇子を閉じ、顔を俯かせました。
ポタポリと、冷たい石畳に涙が落ちる音がしました。
「わたくし、本当に性格が悪いですのよ? 殿下の筋肉を暑苦しいと思っているし、プロテインの味見も本当は面倒なんですのよ?」
「ははは! 知っているよ! 君がプロテインを飲む時に、いつも『えぐい味ですわ』という顔をしているのは気づいていた!」
「だったら、どうして笑っていられるのですか!」
「それが君だろう? 正直で、不器用で、誰よりも真っ直ぐな、私の愛する悪役令嬢だ」
カイル殿下は私を優しく抱き寄せました。
その胸板は鋼のように硬いけれど、今はどんなシルクのクッションよりも心地よく感じられました。
「ミクル。これから先も、君は君のままでいい。私の前だけで弱音を吐いて、皆の前では最高の悪女でいてくれ。君のその誇り高き『悪の道』を、私がこの命を懸けて守り抜くから」
私は、彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣きました。
これまでの孤独も、プレッシャーも、すべてが彼の温かさの中に溶けていくようでした。
「……絶対に、後悔させますわよ? わたくし、本当にわがままですもの」
「ああ、望むところだ。世界一わがままな女王に仕えるのは、騎士として最高の栄誉だからな」
月光の下、私たちは静かに誓いを交わしました。
演技ではない、本当の心が通じ合った瞬間。
私の「悪役令嬢」としての物語は、ここで本当の意味で、新しい章へと踏み出したのです。
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