婚約破棄、できないなんて聞いてないんですけど?

恋の箱庭

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
「……完璧。これこそ、子供が泣き出し、夜会の淑女たちが気絶する『悪の美学』ですわ」


私は鏡の中に映る自分を見つめ、満足げに口角を上げた。


本日の作戦は、視覚的恐怖による嫌悪感の誘発。

性格や行動が「愛」に変換されるなら、見た目そのものを「生理的に受け付けないレベル」にまで叩き落とせばいいのだ。


私の顔面は、今や芸術的なカオス状態にあった。

目の周りには、殴られた跡と見紛うばかりの濃い紫のアイシャドウを塗りたくり、唇には毒々しいまでの黒ずんだ口紅。

さらには、頬に真っ赤なチークを「おてもやん」も驚くほどの濃度でのせている。


「お嬢様……。一応確認しますが、それは何かの呪術の儀式に向かう正装ではありませんよね?」


背後で、アンナが頭を抱えて震えている。


「何を言っているの。これは最新の『バッド・ヴィラン・メイク』よ。さあ、この顔でレオンハルト殿下を仰天させて、引導を渡してあげますわ!」


私は重たい瞼(化粧の層が厚すぎて重い)を必死に持ち上げ、意気揚々と謁見の間へと向かった。


廊下ですれ違う騎士たちが、「ひっ」と短い悲鳴を上げて壁に張り付く。

よし、順調だ。この反応こそ私が求めていたもの!


謁見の間では、レオンハルト殿下が書類を片手にケイン様と話し合っていた。


「失礼いたしますわ、殿下! お迎えに上がりました……オーーッホッホッホ!」


私は扉を勢いよく開き、わざとらしく顔を光の当たる場所へと突き出した。


「……っ!?」


ケイン様が手に持っていたペンを落とし、目を見開いて硬直する。

よし、まずは一人撃沈!


さあ、レオンハルト様。

あなたの愛する婚約者が、魔界から来た化け物のような姿になっていますわよ。

さっさと絶望して、婚約解消の書類にサインをなさい!


レオンハルト様は、ゆっくりと顔を上げた。

彼は数秒間、無言で私の顔を見つめていた。


静寂が場を支配する。

彼の瞳が、細められる。


(さあ、くるわ! 『不気味だ!』『近寄るな!』という罵声が……!)


「……マリア」


レオンハルト様が、掠れた声で呟いた。


「はい、殿下! この恐ろしい顔に、言葉も出ませんでしょう!?」


「なんてことだ……。君は、どこまで僕を驚かせてくれるんだ」


レオンハルト様は椅子から立ち上がると、弾かれたように私のもとへ駆け寄った。

そして、私の頬を包み込むように手を添えた。

……手が、化粧で汚れますわよ?


「君は……僕のために、自らを『夜空』に変えたんだね?」


「……は?」


「見てごらん、ケイン。この深い紫は夜の帳を、この赤い頬は昇りゆく月を、そしてこの黒い唇は神秘的な闇を表している。マリア、君は今日という日を、僕との『特別な夜』として祝福するために、自らの顔をキャンバスにしたんだね!」


レオンハルト様の瞳には、怒りどころか、宇宙の真理でも発見したかのような感動の光が宿っていた。


「殿下、眼科に行きましょう。今すぐに」


ケイン様の冷静な進言も、今の王子には届かない。


「違うんです、殿下! これは嫌がらせです! あなたに嫌われるために、わざと汚く……」


「汚い? 何を言っているんだ、マリア。これは『アバンギャルド(前衛的)』というやつだろう? 既存の美の概念を破壊し、僕への独占欲を表現してくれた……。ああ、誰にも見せたくない。このあまりにも個性的で愛らしい君を、僕だけの宝物庫に隠しておきたいよ!」


レオンハルト様は、私の「毒々しい顔」を至近距離で見つめ、あろうことか愛おしそうに目を細めている。


「……殿下。この顔を見て、怖くないのですか? 悪魔の使いに見えませんか?」


「バカなことを。僕には、必死に化粧品を混ぜ合わせ、僕を驚かせようと鏡の前で奮闘する君の健気な姿が見える。その努力そのものが、僕にとっては世界で一番美しい宝石だよ」


「…………」


勝てない。

この男のポジティブ思考は、もはや防御不能の領域に達している。


「マリア。せっかくの素晴らしいメイクだ。今すぐお抱えの画師を呼んで、肖像画を描かせよう。タイトルは『献身の女神と夜の調べ』だ」


「絶対に嫌ですわ!! 末代までの恥になります!!」


「照れなくていいんだよ。ああ、少し化粧が落ちてしまったな……。僕が塗り直してあげよう。その辺の赤いのを、もっと濃くすればいいのかな?」


「触らないでください! 殿下の白い軍服が真っ赤に染まりますわ!」


私は、自分を「芸術」として崇め奉ろうとする王子から逃げるように、その場を後にした。


自室に戻り、クレンジングオイルで顔を洗い流しながら、私は虚無感に包まれていた。


「(次は……次はもっと、精神的にくるやつにしないと……)」


鏡の中に現れた、元の「平凡で無能な」自分の顔が、今はやけに頼りなく見えた。


悪役令嬢への道。

第三の作戦も、王子の「盲目すぎる審美眼」によって、私の黒歴史を1ページ増やすだけで終わったのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

手放してみたら、けっこう平気でした。

朝山みどり
恋愛
エリザ・シスレーは伯爵家の後継として、勉強、父の手伝いと努力していた。父の親戚の婚約者との仲も良好で、結婚する日を楽しみしていた。 そんなある日、父が急死してしまう。エリザは学院をやめて、領主の仕事に専念した。 だが、領主として努力するエリザを家族は理解してくれない。彼女は家族のなかで孤立していく。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

今さら救いの手とかいらないのですが……

カレイ
恋愛
 侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。  それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。  オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが…… 「そろそろ許してあげても良いですっ」 「あ、結構です」  伸ばされた手をオデットは払い除ける。  許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。  ※全19話の短編です。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

真実の愛のおつりたち

毒島醜女
ファンタジー
ある公国。 不幸な身の上の平民女に恋をした公子は彼女を虐げた公爵令嬢を婚約破棄する。 その騒動は大きな波を起こし、大勢の人間を巻き込んでいった。 真実の愛に踊らされるのは当人だけではない。 そんな群像劇。

処理中です...