婚約破棄、できないなんて聞いてないんですけど?

恋の箱庭

文字の大きさ
12 / 28

12

しおりを挟む
王宮の執務室。そこは、帝国の最重要機密と、山のような公務が処理される神聖な場所だ。


……だったはずなのだが。


「ケイン! 至急、隣国の鉱山王に親書を書いてくれ。宛名は『我が最愛の婚約者に地底の財宝を捧げたい男より』で頼む」


「却下します。外交問題どころか、正気を疑われて帝国の株が大暴落します。あと、宛名は普通にしてください」


私は手に持っていた羽根ペンを置き、深いため息をついた。

私の名はケイン。アルカディア帝国の第一王子、レオンハルト殿下の側近を務めている。


世間では「若き天才官僚」などと呼ばれているが、実態は「世界一愛が重い男の尻拭い係」だ。


「なぜだい? マリアはあんなに熱心に、宝石の原石を求めていたじゃないか」


「殿下、あれは単なる八つ当たりです。彼女はあなたに嫌われたくて、わざと贈り物を投げ捨てたんですよ。理解してください」


「ははは、ケインは冗談が上手いな。マリアが僕を嫌う? そんな天変地異のような話があるわけないだろう。彼女は照れ屋さんなだけだ」


レオンハルト殿下は、幸せそうにマリア様から送られた(といっても、中身はただの白紙だ)手紙を眺めている。


私は、この数週間の悪夢を思い返した。


マリア様が高価な壺を割れば、殿下は「呪いの壺から僕を救ってくれた」と感動し。

マリア様が奇怪な高笑いをすれば、殿下は「喉の病だ」と心配し。

マリア様が顔を毒々しく塗れば、殿下は「最先端の芸術だ」と絶賛する。


正直に言おう。この主君は、頭が良すぎるせいで一周回ってバカになっている。


「……殿下。マリア様の侍女、アンナと先日話をしました」


「おや、彼女はマリアの良き理解者だね。何かマリアについて新しい情報でも?」


「彼女、泣いていましたよ。『うちのお嬢様が、毎日変な練習をしていて不憫でならない』と」


「練習? ああ、僕を驚かせるためのサプライズの練習だね! なんて健気なんだ、マリア……」


「殿下。いい加減に、マリア様が『悪役令嬢』として婚約破棄されたがっているという現実を直視してください。彼女のあの必死な形相は、あなたを愛でているのではなく、あなたから逃げようとしているんです」


私はあえて、突き放すように言った。

これが忠臣としての義務だ。このままでは、ベル伯爵家が「変人の家系」として社交界から孤立しかねない。


レオンハルト殿下は、一瞬だけ動きを止めた。

金色の瞳が、冷徹な理知を取り戻したかのように見えた。


「……ケイン。僕がそれを知らないとでも思っているのかい?」


「え?」


殿下の声のトーンが、一段下がった。

冷や汗が背中を伝う。


「彼女が『自分は無能だから、僕にふさわしくない』と思い込んでいることも。だから僕を嫌わせようとして、慣れない悪事を必死に計画していることも。全部、知っているよ」


「……知っていて、あんなポジティブ変換を?」


「当然だろう。マリアが僕のためにあんなに一生懸命になっているんだ。だったら、僕は彼女の『悪事』という名の愛情を、すべて『最高の形』で受け取ってあげたい。それが、愛する男の誠実さというものじゃないか?」


この人、確信犯だった。

天然のポジティブ脳ではなく、マリア様を逃がさないために、意図的に逃げ道を塞いでいたのだ。


「……殿下。性格が悪すぎます。マリア様が可哀想です」


「ひどいな。僕はこんなに誠実に、彼女の望み(悪事を働くこと)を叶えてあげているのに」


「彼女の本当の望みは、あなたとの婚約解消です」


「それは僕が認めないから、無効だね」


レオンハルト殿下は、再び「誠実な王子様」の仮面を被り、優雅に紅茶を啜った。


「さあ、ケイン。明日はマリアを連れて、社交界の夜会に行くよ。彼女、きっとまた何か『悪役らしいこと』を仕掛けてくるはずだ。楽しみで今夜も眠れそうにないよ」


「……私は胃痛で眠れそうにありません」


私は、主君の歪んだ愛と、それに翻弄される不憫な令嬢の姿を思い浮かべ、そっと胃薬を口に放り込んだ。


この主従と令嬢の三角関係(?)は、どう考えても正常な結末を迎える気がしない。


「(マリア様……逃げてください。いえ、もう手遅れかもしれませんが……)」


私は、窓の外に見える穏やかな王宮の庭園を眺めながら、自分に一週間の有給休暇が与えられる日はいつになるのだろうかと、遠い目をするのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

今さら救いの手とかいらないのですが……

カレイ
恋愛
 侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。  それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。  オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが…… 「そろそろ許してあげても良いですっ」 「あ、結構です」  伸ばされた手をオデットは払い除ける。  許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。  ※全19話の短編です。

前世の旦那様、貴方とだけは結婚しません。

真咲
恋愛
全21話。他サイトでも掲載しています。 一度目の人生、愛した夫には他に想い人がいた。 侯爵令嬢リリア・エンダロインは幼い頃両親同士の取り決めで、幼馴染の公爵家の嫡男であるエスター・カンザスと婚約した。彼は学園時代のクラスメイトに恋をしていたけれど、リリアを優先し、リリアだけを大切にしてくれた。 二度目の人生。 リリアは、再びリリア・エンダロインとして生まれ変わっていた。 「次は、私がエスターを幸せにする」 自分が彼に幸せにしてもらったように。そのために、何がなんでも、エスターとだけは結婚しないと決めた。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

真実の愛のおつりたち

毒島醜女
ファンタジー
ある公国。 不幸な身の上の平民女に恋をした公子は彼女を虐げた公爵令嬢を婚約破棄する。 その騒動は大きな波を起こし、大勢の人間を巻き込んでいった。 真実の愛に踊らされるのは当人だけではない。 そんな群像劇。

手放してみたら、けっこう平気でした。

朝山みどり
恋愛
エリザ・シスレーは伯爵家の後継として、勉強、父の手伝いと努力していた。父の親戚の婚約者との仲も良好で、結婚する日を楽しみしていた。 そんなある日、父が急死してしまう。エリザは学院をやめて、領主の仕事に専念した。 だが、領主として努力するエリザを家族は理解してくれない。彼女は家族のなかで孤立していく。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...