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「……私、最低ですわ。悪役令嬢を通り越して、ただの極悪人ですわ……」
昨夜の激辛シチュー事件から一夜明け、私は自室のソファで丸まっていた。
いくら嫌われたいからといって、あんな兵器のような料理を殿下に食べさせるなんて。
もし、もしも殿下の胃に穴が空いていたら?
もし、あまりの熱さに味覚を失ってしまっていたら?
「……マリア様、そんなに落ち込まないでください。殿下は今朝も元気に牛一頭食べそうな勢いで朝食を召し上がっていましたから」
アンナが呆れ顔で紅茶を差し出してくれる。
「アンナ……あなたは優しいわね。でも、私は自分のしたことが怖ろしいの。殿下の喉が焼けるような音、今も耳に残っていますわ。私は、あんなに誠実な方を傷つけようとした……」
「それを『悪役令嬢の作戦』と呼んでいたのは、どこのどなたでしたっけ?」
「そうなの! 私は悪役になりたいのに、いざ殿下が苦しむ姿を想像すると、胸がキリキリと痛むのですわ! これ、もしかして、毒を盛る側の才能もないということかしら……!」
私はシーツに顔を埋めて悶絶した。
悪役になりきれない自分。そして、取り返しのつかないことをしたという重い罪悪感。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「マリア、入ってもいいかな?」
「ひっ……!? で、殿下!?」
私は飛び起きた。
現れたのは、昨日あれほどの地獄を味わったはずなのに、肌が驚くほどツヤツヤして血色の良いレオンハルト殿下だった。
「マリア! 良かった、顔が見られて。昨日のシチュー、本当に素晴らしかったよ。おかげで昨夜は体がポカポカして、君の夢を見ながら熟睡できたんだ」
「……殿下。嘘をおっしゃってはなりませんわ。あんなもの、毒以外の何物でもありませんでした。私……私は、あなたを殺そうとしたのですわ!」
私は膝をつき、懺悔の体勢をとった。
「さあ、今すぐ私を捕らえてください! 殺人未遂です! 婚約破棄どころか、国外追放でも構いません! 私は、あなたの優しさを踏みにじった大罪人ですのよ!」
レオンハルト様は、困ったように眉を下げて私に歩み寄った。
そして、優しく私の肩を抱き寄せ、無理やり立たせた。
「マリア。君は本当に……なんて自分に厳しいんだ。君が僕を殺そうとするはずがないだろう?」
「いいえ、しました! 殺意満々の激辛スパイスでしたわ!」
「いいや、あれは『愛の浄化』だ。君は僕の体内に溜まった不純物を、あの炎のような刺激で焼き尽くしてくれたんだ。見てごらん、今朝の僕のこの活力を。君のおかげで、公務がいつもの三倍の速さで片付いたよ」
「それはただの、アドレナリンの過剰分泌ですわ……!」
「それに、ケインから聞いたよ。君、僕が運ばれた後、キッチンで泣きながら残ったシチューを片付けていたんだろう?」
私は絶句した。
……見ていたのですか、ケイン様。
「あれは、証拠隠滅ですわ! 毒殺の証拠を消そうとしただけです!」
「ははは。証拠を消したいだけなら、侍女に任せればいい。それを君が自ら手を汚し、涙を流しながら片付けていた……。それは僕への申し訳なさと、愛しさが溢れてしまった証拠じゃないか」
レオンハルト様は、私の頬を一筋流れた涙を、指先で優しく拭った。
「マリア。君がどれだけ『悪』を気取っても、君の魂の輝きまでは隠せないよ。君が僕を傷つけたと思って苦しんでいること自体が、君が聖女である何よりの証拠なんだ」
「聖女……!? 私が!? 目を覚ましてください、殿下! 私は無能で、性格が悪くて、あなたを暗殺しようとした女ですのよ!」
「いいや。君は、僕が慢心しないように、あえて『刺激』を与えてくれる唯一無二の伴侶だ。マリア、昨日のことで、僕は君をさらに深く尊敬するようになったよ」
殿下の瞳は、一点の曇りもなく、私への信頼と愛に満ち溢れていた。
「(……ダメだわ。この人の前では、私の悪意はすべて『深い愛情』という名のフィルターで浄化されてしまう……)」
私は、その誠実すぎる眼差しの前に、膝から崩れ落ちそうになった。
罪悪感で押し潰されそうだった心が、彼の無謀なほどのポジティブ解釈によって、無理やり「温かな愛」で包まれていく。
「さあ、マリア。罪滅ぼしをしたいと言うなら、今日は僕の隣で一日中、僕の仕事を手伝っておくれ。君がそばにいてくれることが、僕にとって一番の特効薬なんだから」
「……それ、お手伝いではなく、私があなたの横でぼーっとしているのを、あなたが眺めるだけのご褒美タイムではありませんこと?」
「バレたかい? さすが僕の婚約者、鋭いね」
レオンハルト様は悪戯っぽく笑い、私の手を引いて部屋を出た。
悪役令嬢への道。
第十九の作戦(?)は、マリアの良心が悲鳴を上げた結果、王子の「聖母のような包容力」によって、より強固な絆へと昇華されてしまった。
私は、引かれる手の温もりを感じながら、自分の「悪の才能」のなさに、再び絶望の涙を流すのであった。
昨夜の激辛シチュー事件から一夜明け、私は自室のソファで丸まっていた。
いくら嫌われたいからといって、あんな兵器のような料理を殿下に食べさせるなんて。
もし、もしも殿下の胃に穴が空いていたら?
もし、あまりの熱さに味覚を失ってしまっていたら?
「……マリア様、そんなに落ち込まないでください。殿下は今朝も元気に牛一頭食べそうな勢いで朝食を召し上がっていましたから」
アンナが呆れ顔で紅茶を差し出してくれる。
「アンナ……あなたは優しいわね。でも、私は自分のしたことが怖ろしいの。殿下の喉が焼けるような音、今も耳に残っていますわ。私は、あんなに誠実な方を傷つけようとした……」
「それを『悪役令嬢の作戦』と呼んでいたのは、どこのどなたでしたっけ?」
「そうなの! 私は悪役になりたいのに、いざ殿下が苦しむ姿を想像すると、胸がキリキリと痛むのですわ! これ、もしかして、毒を盛る側の才能もないということかしら……!」
私はシーツに顔を埋めて悶絶した。
悪役になりきれない自分。そして、取り返しのつかないことをしたという重い罪悪感。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「マリア、入ってもいいかな?」
「ひっ……!? で、殿下!?」
私は飛び起きた。
現れたのは、昨日あれほどの地獄を味わったはずなのに、肌が驚くほどツヤツヤして血色の良いレオンハルト殿下だった。
「マリア! 良かった、顔が見られて。昨日のシチュー、本当に素晴らしかったよ。おかげで昨夜は体がポカポカして、君の夢を見ながら熟睡できたんだ」
「……殿下。嘘をおっしゃってはなりませんわ。あんなもの、毒以外の何物でもありませんでした。私……私は、あなたを殺そうとしたのですわ!」
私は膝をつき、懺悔の体勢をとった。
「さあ、今すぐ私を捕らえてください! 殺人未遂です! 婚約破棄どころか、国外追放でも構いません! 私は、あなたの優しさを踏みにじった大罪人ですのよ!」
レオンハルト様は、困ったように眉を下げて私に歩み寄った。
そして、優しく私の肩を抱き寄せ、無理やり立たせた。
「マリア。君は本当に……なんて自分に厳しいんだ。君が僕を殺そうとするはずがないだろう?」
「いいえ、しました! 殺意満々の激辛スパイスでしたわ!」
「いいや、あれは『愛の浄化』だ。君は僕の体内に溜まった不純物を、あの炎のような刺激で焼き尽くしてくれたんだ。見てごらん、今朝の僕のこの活力を。君のおかげで、公務がいつもの三倍の速さで片付いたよ」
「それはただの、アドレナリンの過剰分泌ですわ……!」
「それに、ケインから聞いたよ。君、僕が運ばれた後、キッチンで泣きながら残ったシチューを片付けていたんだろう?」
私は絶句した。
……見ていたのですか、ケイン様。
「あれは、証拠隠滅ですわ! 毒殺の証拠を消そうとしただけです!」
「ははは。証拠を消したいだけなら、侍女に任せればいい。それを君が自ら手を汚し、涙を流しながら片付けていた……。それは僕への申し訳なさと、愛しさが溢れてしまった証拠じゃないか」
レオンハルト様は、私の頬を一筋流れた涙を、指先で優しく拭った。
「マリア。君がどれだけ『悪』を気取っても、君の魂の輝きまでは隠せないよ。君が僕を傷つけたと思って苦しんでいること自体が、君が聖女である何よりの証拠なんだ」
「聖女……!? 私が!? 目を覚ましてください、殿下! 私は無能で、性格が悪くて、あなたを暗殺しようとした女ですのよ!」
「いいや。君は、僕が慢心しないように、あえて『刺激』を与えてくれる唯一無二の伴侶だ。マリア、昨日のことで、僕は君をさらに深く尊敬するようになったよ」
殿下の瞳は、一点の曇りもなく、私への信頼と愛に満ち溢れていた。
「(……ダメだわ。この人の前では、私の悪意はすべて『深い愛情』という名のフィルターで浄化されてしまう……)」
私は、その誠実すぎる眼差しの前に、膝から崩れ落ちそうになった。
罪悪感で押し潰されそうだった心が、彼の無謀なほどのポジティブ解釈によって、無理やり「温かな愛」で包まれていく。
「さあ、マリア。罪滅ぼしをしたいと言うなら、今日は僕の隣で一日中、僕の仕事を手伝っておくれ。君がそばにいてくれることが、僕にとって一番の特効薬なんだから」
「……それ、お手伝いではなく、私があなたの横でぼーっとしているのを、あなたが眺めるだけのご褒美タイムではありませんこと?」
「バレたかい? さすが僕の婚約者、鋭いね」
レオンハルト様は悪戯っぽく笑い、私の手を引いて部屋を出た。
悪役令嬢への道。
第十九の作戦(?)は、マリアの良心が悲鳴を上げた結果、王子の「聖母のような包容力」によって、より強固な絆へと昇華されてしまった。
私は、引かれる手の温もりを感じながら、自分の「悪の才能」のなさに、再び絶望の涙を流すのであった。
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