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マリアが寝静まった深夜、私は執務室で一人、一冊の分厚いファイルを眺めていた。
その表紙には、彼女が最初に持ってきた、あの愛らしいタイトルの計画書が綴じられている。
「……ふふ。何度読み返しても、マリアの書く字は個性的だ。この『婚』の字のハネ具合なんて、彼女の緊張が伝わってくるようでたまらないね」
「殿下。深夜に自分の婚約者の筆跡を見てニヤつくのは、誠実な王子のすることではありません。不気味です」
壁際に控えていたケインが、心底嫌そうな顔で冷水を浴びせてくる。
「失礼な。僕は至って真面目だよ。彼女がこれほどまでに知恵を絞り、僕のために『悪』を演じようとしてくれた。その努力を反芻(はんすう)するのは、婚約者としての義務だろう?」
私は、彼女が割った壺の破片(を綺麗に加工して作った文鎮)を撫でた。
あの日、彼女が「私は無能です。悪役令嬢になります!」と宣言した時。
正直に言えば、笑いを堪えるのに必死だったんだ。
だって、あんなに澄んだ瞳をして、一生懸命に「自分を嫌わせる方法」をプレゼンする女の子が、この世のどこにいる?
普通、婚約破棄されたくない令嬢は、美しく着飾り、媚びを売るものだ。
だが、マリアは違った。僕の未来のために、自分の評判をドブに捨てる覚悟で僕の前に立った。
その不器用で、真っ直ぐすぎる献身。
……一瞬で、心臓を撃ち抜かれたよ。
「マリアは僕のことを『誠実すぎて何をしても愛に変換してしまう王子』だと思っているようだけど。……ケイン、君はどう思う?」
「……最悪の策略家だと思います。確信犯的に彼女の逃げ道を塞ぎ、外堀を埋め、挙句の果てには社交界全体を巻き込んで逃げられなくした。……マリア様が、本当にお労(いたわ)しい」
ケインは深いため息をつき、新しい胃薬の箱を開けた。
「ひどい言い草だね。僕は彼女の『悪事』に、ちゃんと付き合ってあげていただけだよ。彼女がわざと遅刻してくれば、皆の前で彼女のカリスマ性を宣伝し。彼女が毒(激辛料理)を盛れば、命懸けで完食して愛を証明した。……これのどこが策略だい?」
「その『全肯定』こそが、彼女にとって最大の壁だったんですよ。マリア様は、あなたに『怒ってほしかった』。それなのに、あなたは一度も怒らず、むしろ嬉々として彼女を甘やかした」
「だって、怒る理由がないじゃないか。……ケイン。君には分からないのかい?」
私は立ち上がり、窓の外に広がる月夜を眺めた。
「マリアが一生懸命に『オーホッホ』と笑う練習をしている時の、あの必死な横顔。僕に嫌われようとして、涙目になりながら悪口を言っている時の、あの震える唇」
私は胸元に手を当てた。そこには、彼女が投げ捨てたサファイアが、今は僕のタイピンとして収まっている。
「あんなに僕を愛してくれている女性を、どうして手放せる? 彼女が自分を『無能』だと思っているなら、僕が一生かけて、彼女がどれほど帝国に……いや、僕にとって必要な存在かを教え込むだけだ」
「……殿下。今のあなたの顔、完全に『獲物を追い詰めた肉食獣』のそれですよ。マリア様が起きていたら、今度こそ国外逃亡を計るでしょうね」
「ははは。逃がさないよ。彼女がどこへ行こうと、僕が誠実に、どこまでも追いかけていくからね」
私は手帳を取り出し、今日のパーティーでの彼女の様子を書き込んだ。
『第214項目:独占宣言をした後の、耳まで真っ赤になったマリア。あのまま抱きしめて、離したくなかった。明日は、その照れ顔をもう一度引き出すための策を練ろう』
「……ケイン。明日のスケジュールを調整してくれ。マリアと、結婚式の衣装を選びに行く時間を三時間は確保したい」
「……承知いたしました。……マリア様、ご愁傷様です」
ケインの小さな呟きを無視して、私は幸せな気分でペンを置いた。
マリア。君は僕を「悪役」として捨てようとしたけれど。
本当の「悪役」は、君を愛しすぎて、君の自由をすべて奪ってでも隣に置き続ける、僕の方だったんだよ。
「(……さて、明日はどんな風に彼女を愛でようかな)」
誠実な王子の微笑みの裏で、マリアを一生離さないための「誠実な監獄」の建設は、着々と進んでいるのであった。
その表紙には、彼女が最初に持ってきた、あの愛らしいタイトルの計画書が綴じられている。
「……ふふ。何度読み返しても、マリアの書く字は個性的だ。この『婚』の字のハネ具合なんて、彼女の緊張が伝わってくるようでたまらないね」
「殿下。深夜に自分の婚約者の筆跡を見てニヤつくのは、誠実な王子のすることではありません。不気味です」
壁際に控えていたケインが、心底嫌そうな顔で冷水を浴びせてくる。
「失礼な。僕は至って真面目だよ。彼女がこれほどまでに知恵を絞り、僕のために『悪』を演じようとしてくれた。その努力を反芻(はんすう)するのは、婚約者としての義務だろう?」
私は、彼女が割った壺の破片(を綺麗に加工して作った文鎮)を撫でた。
あの日、彼女が「私は無能です。悪役令嬢になります!」と宣言した時。
正直に言えば、笑いを堪えるのに必死だったんだ。
だって、あんなに澄んだ瞳をして、一生懸命に「自分を嫌わせる方法」をプレゼンする女の子が、この世のどこにいる?
普通、婚約破棄されたくない令嬢は、美しく着飾り、媚びを売るものだ。
だが、マリアは違った。僕の未来のために、自分の評判をドブに捨てる覚悟で僕の前に立った。
その不器用で、真っ直ぐすぎる献身。
……一瞬で、心臓を撃ち抜かれたよ。
「マリアは僕のことを『誠実すぎて何をしても愛に変換してしまう王子』だと思っているようだけど。……ケイン、君はどう思う?」
「……最悪の策略家だと思います。確信犯的に彼女の逃げ道を塞ぎ、外堀を埋め、挙句の果てには社交界全体を巻き込んで逃げられなくした。……マリア様が、本当にお労(いたわ)しい」
ケインは深いため息をつき、新しい胃薬の箱を開けた。
「ひどい言い草だね。僕は彼女の『悪事』に、ちゃんと付き合ってあげていただけだよ。彼女がわざと遅刻してくれば、皆の前で彼女のカリスマ性を宣伝し。彼女が毒(激辛料理)を盛れば、命懸けで完食して愛を証明した。……これのどこが策略だい?」
「その『全肯定』こそが、彼女にとって最大の壁だったんですよ。マリア様は、あなたに『怒ってほしかった』。それなのに、あなたは一度も怒らず、むしろ嬉々として彼女を甘やかした」
「だって、怒る理由がないじゃないか。……ケイン。君には分からないのかい?」
私は立ち上がり、窓の外に広がる月夜を眺めた。
「マリアが一生懸命に『オーホッホ』と笑う練習をしている時の、あの必死な横顔。僕に嫌われようとして、涙目になりながら悪口を言っている時の、あの震える唇」
私は胸元に手を当てた。そこには、彼女が投げ捨てたサファイアが、今は僕のタイピンとして収まっている。
「あんなに僕を愛してくれている女性を、どうして手放せる? 彼女が自分を『無能』だと思っているなら、僕が一生かけて、彼女がどれほど帝国に……いや、僕にとって必要な存在かを教え込むだけだ」
「……殿下。今のあなたの顔、完全に『獲物を追い詰めた肉食獣』のそれですよ。マリア様が起きていたら、今度こそ国外逃亡を計るでしょうね」
「ははは。逃がさないよ。彼女がどこへ行こうと、僕が誠実に、どこまでも追いかけていくからね」
私は手帳を取り出し、今日のパーティーでの彼女の様子を書き込んだ。
『第214項目:独占宣言をした後の、耳まで真っ赤になったマリア。あのまま抱きしめて、離したくなかった。明日は、その照れ顔をもう一度引き出すための策を練ろう』
「……ケイン。明日のスケジュールを調整してくれ。マリアと、結婚式の衣装を選びに行く時間を三時間は確保したい」
「……承知いたしました。……マリア様、ご愁傷様です」
ケインの小さな呟きを無視して、私は幸せな気分でペンを置いた。
マリア。君は僕を「悪役」として捨てようとしたけれど。
本当の「悪役」は、君を愛しすぎて、君の自由をすべて奪ってでも隣に置き続ける、僕の方だったんだよ。
「(……さて、明日はどんな風に彼女を愛でようかな)」
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