婚約破棄、清算しましょう。真実の愛は非効率!?

恋の箱庭

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「新郎、シルヴィス・グランディエ。新婦、イロハ・フォン・ローゼン。汝ら、健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も……」

王都の大聖堂。

ステンドグラスから七色の光が降り注ぐ中、厳粛な結婚式が執り行われていた。

参列者は国王夫妻をはじめ、国内外の有力貴族たち数百名。

イロハは純白のドレス(機能性重視・ポケット付き)に身を包み、シルヴィスの隣に立っていた。

「(……神父様の話が長いです。予定より三分押しています。このままだと後の披露宴での『パン販売コーナー』の時間が削られます)」

イロハは心の中でタイムキーピングを行っていた。

シルヴィスはそんな彼女の内心を見透かしたように、小声で囁く。

「集中しろ。一生に一度だぞ」

「時は金なりです。……早く署名捺印のフェーズへ移行したいのですが」

「……これを愛せ、敬い、慰め、助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

神父がようやく問いかけた。

「誓います」

シルヴィスが力強く答える。

「……誓います(契約更新の余地ありで)」

イロハが小声で付け加える。

「では、誓いの口づけを……」

神父が促し、シルヴィスがベールを上げようとした、その時だった。

バーン!!!

大聖堂の巨大な扉が、大砲で撃たれたような音と共に開け放たれた。

「待ったぁぁぁぁッ!!」

逆光の中、一人の男が叫びながら駆け込んできた。

参列者たちが一斉に振り返る。

「な、なんだ!?」

「暴漢か!?」

近衛兵たちが剣に手をかける。

現れたのは――白いコックコートにエプロン姿、頭には長いコック帽を被ったカイル(元王子)だった。

その手には剣ではなく、巨大なバスケットが握られている。

「カイル殿下!?」

「まさか、結婚式を止めに来たのか!?」

「やはり未練が……!?」

会場が騒然となる。

カイルは息を切らしながらバージンロードを全速力で走り抜け、祭壇の前で仁王立ちした。

「はぁ、はぁ……! 間に合った……!」

「……カイル」

シルヴィスが不機嫌そうに目を細めた。

「私の式を邪魔するとは、いい度胸だ。……そのバスケットの中身が爆弾でないことを祈るぞ?」

「イロハ! 兄上!」

カイルは二人を真っ直ぐに見つめ、叫んだ。

「異議ありだ!」

「ひぃっ!?」

神父が腰を抜かす。

イロハはドレスの隠しポケットから電卓を取り出し、迎撃態勢に入った。

「……営業妨害ですか? 損害賠償請求の準備はできていますが」

「違う! 僕が言いたいのは……!」

カイルはバスケットの布をバッと取り払った。

「この『パン』を食べてくれッ!!」

「……は?」

バスケットの中にあったのは、黄金色に焼き上がった、大量のクロワッサンだった。

バターの芳醇な香りが、聖堂内に漂う香の匂いを上書きしていく。

「え、パン?」

参列者たちがポカンとする。

「今日! ついに! 僕とマリアの店『パン屋・王冠(クラウン)』がオープンしたんだ!」

カイルは満面の笑みで報告した。

「これは記念すべき第一号の焼き上がりだ! どうしても二人に一番に食べてほしくて、走ってきたんだ!」

「……」

会場に沈黙が流れる。

「……それだけ、ですか?」

イロハが尋ねる。

「それだけだよ! おめでとう兄上、イロハ! そしてありがとう! 君たちのおかげで、僕は最高の『天職』を見つけたよ!」

カイルは涙ぐみながら、焼きたてのパンを差し出した。

「さあ、食べてくれ! マリアが靴を履いて転ばずに捏ねて、僕が火加減を完璧に調整した、愛と奇跡の結晶だ!」

ズコーッ!!

参列者の一部が椅子から転げ落ちた。

「……紛らわしい登場をするな」

シルヴィスがため息をつき、しかし微かに笑みを浮かべた。

「だが、祝意は受け取ろう」

彼はクロワッサンを一つ手に取り、口に運んだ。

サクッ。

軽やかな音が響く。

「……ほう」

シルヴィスの目が少し見開かれた。

「悪くない。……いや、かなり美味いな」

「本当か!? やったぁぁぁ!」

カイルがガッツポーズをする。

イロハも一つ手に取り、ルーペで表面の焼き色を確認してから、一口食べた。

「……ふむ」

彼女はモグモグと味わい、飲み込んだ。

「層の折り込み回数、二十七層。バターの含有率、推定30%。焼きムラなし。食感(クリスピーネス)はAランク……」

イロハは真顔でカイルを見た。

「悔しいですが、絶品です。これなら一つ三百ゴールドで売れます」

「本当かい!? イロハに認められた!」

「ただし」

イロハは指を立てた。

「原価計算はしましたか? このバターの風味、最高級品を使っていますね? これだと利益率が悪すぎます。後で仕入れ業者の見直し案を送ります」

「うっ……や、やっぱりそうなるのか……」

カイルが苦笑いする。

「まあいいでしょう。本日はお祝いですので、コンサル料は初回無料にしておきます」

イロハはニッコリと笑った。

「カイル君。……いい顔になりましたね」

「え?」

「以前の、何かに追われていたような顔とは違います。今の貴方は、自分の足で立ち、自分の価値(パン)を生み出す『生産者』の顔です」

「イロハ……」

「おめでとうございます、カイル店長。貴方の人生(ビジネス)の黒字化、成功ですね」

その言葉に、カイルは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。

「うぅっ……ありがとう……! 幸せになってくれよぉぉ!」

「カイル様ー! 私も来ましたー!」

そこへ、遅れてマリアも飛び込んできた。

足元には例の『転ばない靴』を履いている。

「あ、マリア! 走っても転んでないな!」

「はい! パンも無事です! 皆さん、よかったら食べてください!」

マリアが参列者たちにパンを配り始める。

厳かな結婚式は、一転して「焼きたてパン試食会」のような和やかな雰囲気に包まれた。

国王陛下も「おお、これが息子の焼いたパンか……うまい! うまいぞ!」と号泣しながら食べている。

「……やれやれ」

シルヴィスは肩をすくめ、イロハに向き直った。

「式が台無しだな」

「いいえ。最高の演出(サプライズ)ですよ」

イロハは会場を見渡した。

「見てください。皆、笑顔です。美味しいパンは人を幸せにします。……それに、このパン、披露宴で販売する予定だった私のパンより評判が良いのが癪ですが」

「張り合うな」

シルヴィスはイロハの手を取り、自分の方へ引き寄せた。

「さて、邪魔も入ったが……続きだ」

「続き?」

「誓いのキスがまだだろう」

シルヴィスはカイルたちに構わず、イロハのベールを上げた。

「……無制限コースでしたね」

「覚悟しろ」

周囲がパンを食べて盛り上がる中、祭壇の上で二人は静かに唇を重ねた。

バターの香りと、少しの照れくささと、確かな幸福感が二人を包み込んだ。

長く、甘い口づけの後。

イロハは小さく呟いた。

「……パンの味、しました?」

「ああ。今まで食べたどんな晩餐よりも甘かった」

シルヴィスは満足げに笑い、新たな人生のパートナーを強く抱きしめた。

聖堂の外では、教会の鐘が祝福のように鳴り響いていた。
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