愛が重すぎると言われまして。婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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「ノワール・ド・ブラッディ! 貴様との婚約を、私は今この瞬間をもって破棄する!」

 豪華絢爛なシャンデリアが輝く夜会の中心で、私の愛しい婚約者であるセドリック殿下が叫ばれました。

 その隣には、彼が守るように抱き寄せている男爵令嬢のルルネさんの姿があります。

 あらあら、殿下ったら。そんなに大きな声を出されたら、せっかくの美しいお声が枯れてしまいますわ。

「……ノワール、聞いているのか? 貴様のその無表情、昔から気味が悪いと思っていたのだ!」

 まあ、気味が悪いだなんて。私は今、殿下の怒ったお顔があまりにも凛々しくて、見惚れていただけですのに。

 今日の殿下は、私が裏でこっそり衣装係に指示を出した「情熱の深紅」のタイを締めていらっしゃいます。

 ああ、やはりお似合いですわ。私の目に狂いはありませんでした。

「殿下、あまりお声を荒らげては健康に障りますわ。本日の最高気温は二十八度。湿度は六十五パーセント。喉の粘膜を痛めやすい条件が揃っております」

「うるさいうるさいうるさい! そういう理屈っぽいところが嫌なんだよ! 貴様はいつもそうだ。私が何をしても、どこへ行っても、まるで影のように背後に……いや、物理的に背後にいたこともあったな!」

 それは、殿下の安全を確保するための「護衛(愛)」ですわ。

 殿下が寄られたあのアイスクリーム屋、実は裏通りにガラの悪い男たちが潜伏していたのです。

 私が事前に彼らを物理的に黙らせておかなければ、殿下の大切なシャツにバニラがこぼれる大惨事になっていたかもしれません。

「ルルネは違う! 彼女は私を自由にさせてくれる。貴様のように、一日のスケジュールを分刻みで把握し、私がトイレに立つ回数まで記録するような女とは違うんだ!」

「あら、それは誤解ですわ殿下。記録しているのは回数だけではありません。その日の健康状態を推測するために、滞在時間と表情の変化も併せて集計しております」

「それが怖いって言ってるんだよ! もう限界だ! 私は彼女と真実の愛を育むことに決めた!」

 殿下が指し示したルルネさんは、プルプルと震えながら私を見ています。

 その瞳には恐怖、あるいは困惑の色が浮かんでいるようです。

 無理もありませんわね。こんなに素敵な殿下からいきなり「真実の愛」だなんて言われたら、私ならその場で気絶して、殿下の靴を磨き上げてしまいますもの。

「ノワール様……ごめんなさい。私、殿下からお聞きしましたわ。ノワール様が、私と殿下が二人で歩いている時に、木の上からずっと見つめていたって……」

「……ルルネさん、それは私の未熟さゆえですわ。本当は天井裏に潜みたかったのですが、あの建物の構造上、強度が足りなかったものですから」

「そ、そういう問題じゃありません!」

 ルルネさんの悲鳴のようなツッコミ。

 ふむ。なかなか元気なお嬢さんですわね。殿下が気に入られるのも分かります。

 しかし、婚約破棄、ですか。

 私は物心ついた時から、このセドリック殿下のために生きてきました。

 彼が望む完璧な公爵令嬢であるために、学問、作法、そして隠密術と暗殺技術……いえ、護身術をマスターしました。

 すべては殿下を害する不届き者を、この世から一粒残らず消し去るため。

「殿下、本気で仰っていますの? 私がいなくなれば、明日からの殿下の朝食、誰が毒味をするのですか?」

「給仕がやるよ! それが普通なんだ!」

「では、殿下のベッドのシーツの温度を、殿下が入られる直前に最適の三十三・五度に温めておくのは?」

「魔導具か湯たんぽを使え! なぜ貴様が私の寝室に先回りしている前提なんだ!」

「殿下の抜け毛を回収して、将来の薄毛リスクに備えた毛根チェックを毎日行うのは誰が……」

「やめろぉぉぉ! 怖い! もう勘弁してくれノワール! 頼むから、私を忘れて普通に生きてくれ!」

 殿下はついに、頭を抱えて叫ばれました。

 あら……? 殿下の目尻に、うっすらと涙が。

 私の愛が、殿下を泣かせてしまった……?

 ……ハッ! 私はなんてことを!

 愛する人を笑顔にすることが私の唯一の願いでしたのに。

 今の殿下のお顔……これは、本気で私を拒絶していらっしゃいます。

 ……そう。これが、世に言う「婚約破棄」というイベント。

 物語の中の悪役令嬢が辿る末路。

「……分かりましたわ、殿下」

 私が静かに頭を下げると、会場の空気が一気に凍りつきました。

 皆、私が逆上して夜会を血の海に変える(※そんなことはしません、多分)とでも思っているのでしょうか。

「ノワール、分かってくれたか……?」

「はい。殿下がそこまで仰るのでしたら、私は引き下がります。殿下の幸せこそが、私の幸せですもの」

「お、おお……。案外、物分かりがいいじゃないか」

「ただし、一つだけ条件がございます」

「な、なんだ。金か? 領地か?」

 殿下が身構えます。失礼な。そんなものは、私の実家に腐るほどございますわ。

「殿下の生活圏内から、私の気配を完全に消す努力をいたします。ですが……もし、万が一、殿下が『靴下の左右が分からない』とか『夜中に一人で寝るのが寂しい』などと仰っても、もう助けて差し上げられませんわよ?」

「言わないよ! 私は子供じゃないんだ! むしろ一人の時間を満喫させてもらう!」

「……そうですか。寂しいですが、殿下がそう仰るのなら」

 私は深く、深く一礼をしました。

 スカートの裾を掴む指が、少しだけ震えます。

 悲しい。胸が張り裂けそうです。

 明日から、私は何を生きがいにすればいいのでしょうか。

 殿下の朝のコーヒーの泡の立ち具合を確認することもできない。

 殿下の乗る馬の蹄鉄を、夜な夜な磨き上げることもできない。

 ……でも。

 殿下があんなに「自由になりたい」と仰るのなら。

 私は、この「重すぎる愛」を封印するしかありませんわ。

「……さようなら、私の愛しいセドリック殿下。願わくば、新しい婚約者の方と、健やかな日々を。……もし彼女が殿下の毒味を忘れたら、その時は地獄の果てから私が駆けつけますわね」

「だからそれが怖いんだって!」

 殿下の絶叫を背に、私は優雅に会場を後にしました。

 背筋をピンと伸ばし、堂々と。

 ……よし。とりあえず、まずは馬車の中で、今日までに集めた殿下の「爪の切り屑コレクション」をどう処分するか考えなければ。

 これを燃やすのは忍びないけれど、持っているだけで「婚約破棄されたストーカー令嬢」として憲兵に突き出されかねませんわ。

 ノワール・ド・ブラッディ、十七歳。

 本日、無職(婚約者)になりました。

 ……でも、なんだか少しだけ、肩の荷が下りたような気がしなくもありません。

 普通の女の子の生活……。

 ふふ。何から始めればいいのかしら?

 まずは、「他人の家の屋根に登らない」というルールを自分に課すところから始めてみましょうか。

 私の新しい人生は、今、始まったばかりです。
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