愛が重すぎると言われまして。婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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「……お嬢様。一応確認しますが、今日の目的は『騎士団の勇猛な姿を見学して、か弱い令嬢としての心を養う』ことですよね?」


 アンが、私の隣で不信感たっぷりの目を向けてきました。


「ええ、その通りよアン。私は今日、ただの観客。騎士様たちの戦いを見て、『きゃあ、怖いですわ!』とハンカチを噛む練習をしに来たの」


 私は、動きやすさを重視した……いえ、あくまで「スポーティーな令嬢」を演出したタイトなドレスで、王立騎士団の演習場に立っていました。


「……お嬢様のその靴、ヒールに見えて底にスパイクが仕込まれていますよね?」


「あら、これはぬかるんだ道でも優雅に歩くための淑女の嗜みよ」


 そんな私を出迎えたのは、近衛騎士団長のカイン卿でした。

 彼は訓練用の軽装姿でしたが、その鍛え上げられた肉体から放たれる威圧感は、並の騎士なら気絶するレベルです。


「よく来たな、ノワール嬢。……昨日の『粥』のおかげで、我が団の重傷者が一晩で完治した。感謝する」


「完治……? あれはただの滋養強壮に効くお粥ですわよ?」


「……骨折が三時間で繋がる粥を『ただの』とは言わないがな。まあいい、今日はじっくりと我が団の精鋭を見ていくといい」


 カイン卿に促され、私たちは演習場の一角へ。

 そこでは数十人の騎士たちが、凄まじい熱気で剣を振るっていました。


「……アン、見て。あそこの騎士様、三コンマ五秒ごとに右足の重心が流れていますわ。あそこに一撃入れれば、容易に姿勢を崩せますわね」


「お嬢様、『きゃあ、怖いですわ』はどこへ行ったんですか」


「あちらの槍使いの方も……突きが直線的すぎて、予備動作が丸見えですわ。私なら、あの瞬間に懐に潜り込んで、顎に掌底を叩き込みますわね」


「お願いですから、普通の女の子の感想を述べてください」


 いけませんわ、つい「効率的な無力化」の視点で見てしまいます。

 長年、殿下の周囲に潜む刺客(を勝手に想定した人々)を排除してきた弊害ですわね。


 その時でした。演習場の奥で、鋭い悲鳴が上がったのは。


「ひ、引け! 馬が暴走しているぞ!」


「止めるな! 新入りの少年が引きずられている! 下手に近づけば死ぬぞ!」


 見れば、一頭の大柄な軍馬が、狂ったように暴れ回っていました。

 鞍には年若い訓練生の少年が片足を引っ掛けたまま、必死に首にしがみついています。


「……っ! あの馬、興奮状態で周囲の音が聞こえていないな」


 カイン卿が即座に駆け出そうとしましたが、距離があります。

 馬はちょうど、私たちのいる方へと猛スピードで突進してきました。


「お嬢様、危ない! 逃げて――」


 アンの声を、私の脳内コンピュータが上書きしました。


『馬の速度、時速五十キロ。少年の体重と落下の角度を計算。……今ここで止めなければ、三秒後に少年は柵に激突し、馬は複雑骨折で安楽死』


 ……ダメ。そんなの、可哀想すぎますわ。


「……仕方がありませんわね」


 私は「きゃあ!」と叫ぶ代わりに、一歩前に踏み出しました。


「お、おい! どけ、令嬢!」


 周囲の騎士たちの静止を無視し、私は突進してくる軍馬の正面へ。

 馬が私の目の前に迫った瞬間、私はその巨大な鼻面を、左手の掌で優しく、かつ「絶対的な質量」を持って押し留めました。


「……静まりなさい(ステイ)。まだ、貴方の走る時間ではありませんわ」


 ドォォォン! という衝撃音。

 馬の巨体が、私の手のひら一つでその場に停止しました。

 衝撃で私の周囲の砂埃が舞い上がりますが、私は眉一つ動かしません。


「……ひひんっ!?」


 馬は、目の前の「自分より圧倒的に強い何か」を察知したのか、一瞬で大人しくなり、その場に膝をつきました。

 私はすぐさま、鞍に引っかかっていた少年を片手でひょいと抱え上げ、地面に下ろしました。


「……大丈夫かしら? 少し、目が回っているようですわね。この『気付けの香木』を嗅ぐとよろしいわ」


「あ、あ、ありがとうございます……女神様……?」


 呆然とする少年。そして、周囲は水を打ったような静寂に包まれました。


「……今、何が起きたんだ?」


「ノワール嬢が……片手で、全力疾走の軍馬を止めた……のか?」


 騎士たちが、幽霊でも見るような目で私を見ています。

 ……あ。いけない。私、またやってしまいましたわ。


「お、おほほほ! 今の、見ていらっしゃいました? あまりの恐怖に、私、思わず手が前に出てしまいましたわ! きっと、愛の奇跡(火事場の馬鹿力)ですわね!」


「お嬢様……その言い訳、無理があります」


 アンが死んだような目で呟きました。

 カイン卿が、ゆっくりとこちらへ歩いてきます。

 その瞳には、恐怖ではなく、深い確信と歓喜が混じり合っていました。


「……ノワール嬢。貴女、やはり騎士団に来ないか? その力、王宮でくすぶらせておくには惜しすぎる」


「お断りしますわ。私は普通の、か弱い令嬢になるんですもの」


「……片手で軍馬を止める『か弱い令嬢』がどこにいる」


「ここにいますわ!」


 私が言い張ると、カイン卿はくっくっと肩を揺らして笑いました。


 一方その頃。王宮の執務室。


「……カインのやつ、今日は演習場にノワールを呼んだらしいな」


 セドリックは、窓の外を見ながら不機嫌そうに呟きました。


「殿下、またノワール様のお話ですか? もう忘れましょうよ」


 ルルネが呆れ顔で書類を整理していますが、セドリックの耳には届きません。


「……あいつ、きっと私との思い出の場所を見学して、涙しているに違いない。……ふん、今さら戻りたいと言っても、そう簡単には許してやらんぞ」


 彼はまだ、ノワールが自分を追いかけてきていると信じて疑いませんでした。

 そのノワールが今、別の男性(カイン卿)から「我が騎士団の宝になれ」と熱烈なスカウトを受けていることなど、想像もしていなかったのです。


「……あ、殿下。お茶に、またアリが入っていますわ」


「な、なんだと!? ……くそ、ノワールがいた時は、アリ一匹、私の半径十メートル以内に近づけなかったのに……!」


 セドリックの平和な(?)日常は、少しずつ、着実に崩壊へと向かっていました。
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