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普通の令嬢たるもの、殿下……ではなく、殿方(しんし)の胃袋を掴むべきですわ。
そう思い至った私は、ブラッディ公爵邸の厨房に立っておりました。
目の前には、私が調合……いえ、調理した最新作が鎮座しています。
「……お嬢様。お伺いしますが、それは石炭の煮込みですか? それとも、新種の魔物の臓物ですか?」
アンが、鼻を摘まみながら三メートルほど距離を取って尋ねてきました。
失礼ね。見た目は確かに、少しばかり漆黒(ダーク)に染まっていますけれど。
「これは、高濃度に濃縮した栄養素の塊ですわ。殿下の……じゃなかった、一般男性の疲労回復と魔力活性を最大化するために、二十四種類の薬草とすっぽんのエキス、それから秘密のスパイスを配合した『特製滋養粥』ですわ!」
「普通の令嬢は、朝食にすっぽんを捌きませんし、薬草をミリグラム単位で調合したりしません」
「でも見て。一口食べれば、三日は眠らずに戦える……いえ、元気に過ごせるはずよ」
私が自信満々でお玉を差し出すと、アンはさらに二メートル後ろに飛び退きました。
ひどいわ。私の愛(の残骸)がこもっているというのに。
その時、厨房の入り口から低い足音が響きました。
「……何やら、凄まじい魔力を感じると思えば。ここで大規模な術式でも展開しているのか?」
現れたのは、近衛騎士団長のカイン・ナイトレイ卿でした。
なぜ彼が我が家の厨房に? しかも、その鋭い鼻をヒクつかせて。
「カイン卿!? 公爵家への公務でしたら、応接間でお待ちいただいていたはずでは……」
「……いや。この『香り』に導かれた。これは……古の時代の、超回復薬(エリクサー)の配合に近いな」
カイン卿は迷いのない足取りで私の前に来ると、鍋の中のドロリとした黒い物体を凝視しました。
「お、お分かりになりますの? これは、栄養学と錬金術を極限まで突き詰めた、究極の……」
「一口、もらおう」
「えっ!? カイン卿、正気ですか!? それはまだ臨床試験……じゃなくて、味見も済んでいない……!」
止める間もなく、カイン卿はスプーンを取り、迷わずその「暗黒物質」を口に運びました。
……一秒、二秒。
カイン卿の端正な顔が、ピキリと固まります。
「……っ! これは……」
「カ、カイン卿!? やっぱり毒……いえ、刺激が強すぎましたかしら!?」
「……素晴らしい。全身の血流が加速し、視界が二倍に広がるようだ。……ノワール嬢、貴女は天才か? この一皿があれば、我が騎士団の北伐は三週間短縮できる」
カイン卿の瞳に、見たこともないような熱い光が宿りました。
……あら? 褒められた……のかしら?
「ええと……喜んでいただけて何よりですわ。でも、普通の令嬢の料理としては、少しばかり……可愛げが足りませんわよね?」
「可愛げなど不要だ。実用性こそが愛。そうだろう?」
実用性こそが愛……。
なんて、なんて心に響くお言葉かしら!
殿下には「お前の弁当は、中身が効率的すぎて怖いんだよ!」と泣かれたことがありましたが、このお方は私の「重さ」を肯定してくださるのですわ!
「カイン卿……貴方、お目が高いですわね。宜しければ、こちらの『骨密度を三倍にする小魚の粉末』も持っていかれますか?」
「ああ。……それから、ノワール嬢。後で少し、手合わせ願えないだろうか。貴女のその『無駄のない指先の動き』。ぜひ我が団員たちに見せてやりたい」
「手合わせ……? 私、普通の令嬢になる修行中なのですけれど……」
「普通の令嬢は、そんな位置に隠しナイフを仕込まない。……左の袖口だ。先ほどから見えているぞ」
「あら、いけない。これ、ペーパーナイフのつもりでしたの」
カイン卿は薄く微笑むと、満足げに鍋の半分を容器に詰めて去っていきました。
……なんだか、カイン卿といると「素」の自分でいても許されるような、不思議な安心感がありますわ。
一方その頃。王宮のランチタイム。
「……まずい。なんだ、このパサパサした肉は!」
セドリックは、豪華な宮廷料理を前にしてフォークを投げ出しました。
「殿下、わがままを仰らないでください。これは一流のシェフが作った鶏の胸肉ですわ」
ルルネがなだめますが、セドリックの不満は収まりません。
「違う! ノワールが用意していた肉は、もっとこう……私の午後の公務の消費カロリーを計算して、絶妙な厚さにスライスされ、消化酵素を助ける特製ソースがかかっていたんだ! この肉は……ただの肉だ!」
「……殿下。もういい加減になさってください。ノワール様はもういらっしゃらないんです」
「分かっている! 分かっているが……胃が、私の胃がノワールの『重いメシ』を求めているんだ……!」
セドリックは、自分の身体がどれほど「ノワール管理下」に適応してしまっていたかを痛感していました。
自由を手に入れたはずなのに、彼の身体は、一歩ごとにエネルギー切れを起こし、一食ごとに胃もたれを起こしています。
「……カインのやつ、最近妙に元気だな。あいつ、何を食っているんだ?」
窓の外、演習場で「全快だ!」と叫びながら部下をなぎ倒しているカイン卿を見て、セドリックは不審そうに眉をひそめました。
まさか、その「元気の源」が、自分の捨てた元婚約者の作った「暗黒粥」だとは、夢にも思わずに――。
そう思い至った私は、ブラッディ公爵邸の厨房に立っておりました。
目の前には、私が調合……いえ、調理した最新作が鎮座しています。
「……お嬢様。お伺いしますが、それは石炭の煮込みですか? それとも、新種の魔物の臓物ですか?」
アンが、鼻を摘まみながら三メートルほど距離を取って尋ねてきました。
失礼ね。見た目は確かに、少しばかり漆黒(ダーク)に染まっていますけれど。
「これは、高濃度に濃縮した栄養素の塊ですわ。殿下の……じゃなかった、一般男性の疲労回復と魔力活性を最大化するために、二十四種類の薬草とすっぽんのエキス、それから秘密のスパイスを配合した『特製滋養粥』ですわ!」
「普通の令嬢は、朝食にすっぽんを捌きませんし、薬草をミリグラム単位で調合したりしません」
「でも見て。一口食べれば、三日は眠らずに戦える……いえ、元気に過ごせるはずよ」
私が自信満々でお玉を差し出すと、アンはさらに二メートル後ろに飛び退きました。
ひどいわ。私の愛(の残骸)がこもっているというのに。
その時、厨房の入り口から低い足音が響きました。
「……何やら、凄まじい魔力を感じると思えば。ここで大規模な術式でも展開しているのか?」
現れたのは、近衛騎士団長のカイン・ナイトレイ卿でした。
なぜ彼が我が家の厨房に? しかも、その鋭い鼻をヒクつかせて。
「カイン卿!? 公爵家への公務でしたら、応接間でお待ちいただいていたはずでは……」
「……いや。この『香り』に導かれた。これは……古の時代の、超回復薬(エリクサー)の配合に近いな」
カイン卿は迷いのない足取りで私の前に来ると、鍋の中のドロリとした黒い物体を凝視しました。
「お、お分かりになりますの? これは、栄養学と錬金術を極限まで突き詰めた、究極の……」
「一口、もらおう」
「えっ!? カイン卿、正気ですか!? それはまだ臨床試験……じゃなくて、味見も済んでいない……!」
止める間もなく、カイン卿はスプーンを取り、迷わずその「暗黒物質」を口に運びました。
……一秒、二秒。
カイン卿の端正な顔が、ピキリと固まります。
「……っ! これは……」
「カ、カイン卿!? やっぱり毒……いえ、刺激が強すぎましたかしら!?」
「……素晴らしい。全身の血流が加速し、視界が二倍に広がるようだ。……ノワール嬢、貴女は天才か? この一皿があれば、我が騎士団の北伐は三週間短縮できる」
カイン卿の瞳に、見たこともないような熱い光が宿りました。
……あら? 褒められた……のかしら?
「ええと……喜んでいただけて何よりですわ。でも、普通の令嬢の料理としては、少しばかり……可愛げが足りませんわよね?」
「可愛げなど不要だ。実用性こそが愛。そうだろう?」
実用性こそが愛……。
なんて、なんて心に響くお言葉かしら!
殿下には「お前の弁当は、中身が効率的すぎて怖いんだよ!」と泣かれたことがありましたが、このお方は私の「重さ」を肯定してくださるのですわ!
「カイン卿……貴方、お目が高いですわね。宜しければ、こちらの『骨密度を三倍にする小魚の粉末』も持っていかれますか?」
「ああ。……それから、ノワール嬢。後で少し、手合わせ願えないだろうか。貴女のその『無駄のない指先の動き』。ぜひ我が団員たちに見せてやりたい」
「手合わせ……? 私、普通の令嬢になる修行中なのですけれど……」
「普通の令嬢は、そんな位置に隠しナイフを仕込まない。……左の袖口だ。先ほどから見えているぞ」
「あら、いけない。これ、ペーパーナイフのつもりでしたの」
カイン卿は薄く微笑むと、満足げに鍋の半分を容器に詰めて去っていきました。
……なんだか、カイン卿といると「素」の自分でいても許されるような、不思議な安心感がありますわ。
一方その頃。王宮のランチタイム。
「……まずい。なんだ、このパサパサした肉は!」
セドリックは、豪華な宮廷料理を前にしてフォークを投げ出しました。
「殿下、わがままを仰らないでください。これは一流のシェフが作った鶏の胸肉ですわ」
ルルネがなだめますが、セドリックの不満は収まりません。
「違う! ノワールが用意していた肉は、もっとこう……私の午後の公務の消費カロリーを計算して、絶妙な厚さにスライスされ、消化酵素を助ける特製ソースがかかっていたんだ! この肉は……ただの肉だ!」
「……殿下。もういい加減になさってください。ノワール様はもういらっしゃらないんです」
「分かっている! 分かっているが……胃が、私の胃がノワールの『重いメシ』を求めているんだ……!」
セドリックは、自分の身体がどれほど「ノワール管理下」に適応してしまっていたかを痛感していました。
自由を手に入れたはずなのに、彼の身体は、一歩ごとにエネルギー切れを起こし、一食ごとに胃もたれを起こしています。
「……カインのやつ、最近妙に元気だな。あいつ、何を食っているんだ?」
窓の外、演習場で「全快だ!」と叫びながら部下をなぎ倒しているカイン卿を見て、セドリックは不審そうに眉をひそめました。
まさか、その「元気の源」が、自分の捨てた元婚約者の作った「暗黒粥」だとは、夢にも思わずに――。
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