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「……お嬢様。本日の王都瓦版の三面記事、ご覧になりましたか?」
朝食の席で、アンが眉間に深いシワを寄せて新聞を差し出してきました。
「あら、アン。また私の『戦女神伝説』の続きかしら? もう、困ってしまいますわ」
「いいえ。……『王都の治安、過去最悪のペースで悪化。深夜の不審者遭遇率が前月比三百パーセント増』という悲鳴のような記事です」
三百パーセント……。それはまた、ずいぶんと賑やかなことですわね。
「公爵閣下……旦那様も頭を抱えておられましたよ。『ノワールが夜回りを止めたせいで、地下組織の連中が調子に乗り始めた』と」
「失礼ね、アン。夜回りだなんて。私はただ、殿下の安眠を守るために、半径二キロ以内の不浄な気配を物理的にクリーンにしていただけですわ」
「それを世間では『私設軍隊並みの治安維持』と呼ぶんです」
いけませんわ。私は今、普通の令嬢になるべく、夜の屋根走りを禁じているのです。
そのせいで王都の不届き者たちが元気になってしまったというのなら、それは騎士団の怠慢ではありませんこと?
その時、公爵邸の玄関先から、地響きのような足音と絶叫が聞こえてきました。
「ノワール! ノワールはいるか! 頼む、助けてくれぇぇぇ!」
現れたのは、目の下に真っ黒なクマを作り、髪を振り乱したセドリック殿下でした。
かつての凛々しさはどこへやら、今の殿下はまるで、三日三晩幽霊に追い回されたような衰弱ぶりです。
「あら殿下。ごきげんよう。……あらあら、そのお顔。本日の睡眠時間は一コンマ五時間といったところかしら? 左目の痙攣から察するに、相当なストレスを抱えていらっしゃいますわね」
「……分かるのか!? やはり貴様、どこかで私を見ているな!?」
「いいえ。殿下の顔色と、その指先の震え……。これは『深夜の屋根の上から聞こえる不気味な足音』を恐れて眠れなかった時の症状ですわ」
「その通りだよ! ノワール、貴様がいなくなってから、私の部屋の周りが騒がしくて仕方ないんだ!」
殿下は私の手を握らんばかりの勢いで身を乗り出してきました。
「昨夜もだ! 窓の外でカサカサと音がしたから、貴様がまた天井に張り付いているのかと思って窓を開けたら、そこには本物の刺客が三人もいたんだぞ!」
「まあ。それは災難でしたわね」
「災難どころじゃない! 貴様がいた時は、刺客が私の部屋のバルコニーに足をかけた瞬間に、どこからともなく飛んできた『目つぶし用の粉』や『鋼鉄のワイヤー』で、音もなく闇に沈んでいたというのに!」
殿下は涙ながらに訴えます。
「騎士たちは『風のいたずらでしょう』なんて呑気なことを言うが、違う! あんなに正確に刺客の急所を撃ち抜く風があるか! あれは貴様の……貴様の、重すぎる愛の防衛網だったんだ!」
「殿下。私はもう、普通の令嬢なのです。……屋根の上を四つん這いで高速移動するような真似は、淑女の嗜みに反しますわ」
「嗜まなくていい! 今すぐ屋根に登れ! そして私の部屋の周囲三百メートルを完全封鎖してくれ! じゃないと、怖くて枕を高くして寝られないんだ!」
……まあ。あんなに私を「気味が悪い」と追い出した方が、今度は「監視してくれ」と仰るなんて。
人間、勝手なものですわね。
「殿下。それは私に、再び『ストーカー』になれと仰っているのですか?」
「違う! 『最高機密の特別警備顧問』としてだ! 頼む、ノワール! 今日から私の寝室のクローゼットの中に住んでもいいから!」
殿下が跪こうとしたその時、背後から冷徹な声が響きました。
「……殿下。公衆の面前で見苦しいですよ」
カイン卿です。彼は私の肩を抱くようにして寄り添うと、殿下を氷のような目で見下ろしました。
「カイン! 貴様、また邪魔を……!」
「邪魔なのは貴方の方だ。ノワール嬢は今、私と共に『新作の防犯魔道具』の開発に忙しい。……殿下の警備不足を、彼女の個人的な献身(ストーキング)で補おうとするのは、王族として無能を晒しているのと同じですよ」
「な、無能だと!? 私はただ、彼女の『実力』を再評価しているだけだ!」
「……評価するのが遅すぎた。彼女の技術は、今や我が騎士団の戦術教本に組み込まれている。……殿下のために無償で屋根を走るノワール嬢は、もういない」
カイン卿の言葉に、殿下はガタガタと震え始めました。
「う、嘘だ……。ノワール、貴様もそう思うのか!? 私のために、またあの……私が寝返りを打つたびに『殿下、お風邪を召しますわよ』と窓を閉めてくれた、あの献身を見せてくれないのか!?」
「……殿下。あのご奉仕、実は一晩に二十回くらい窓を開け閉めするので、結構体力を消耗いたしますの。……今の私は、カイン卿に頂いたこの『機能的なお休み用手袋』をはめて、自分のために眠るのが幸せなのですわ」
私がカイン卿から贈られた(格闘用の)手袋を見せると、殿下はついにその場に崩れ落ちました。
「……終わった。私の安眠が、終わった……。今夜もまた、刺客の足音に怯えながら、アリ入りの紅茶を飲むのか……」
「殿下。アリが入っているのは、単に部屋の掃除が不徹底だからですわよ」
私は優雅に扇子を広げ、カイン卿と共に歩き出しました。
「……ノワール嬢、今夜は私の屋敷の警備システムをチェックしてくれないか。……もし良ければ、そのまま泊まっていってもいい」
「まあ、カイン卿。それは『警備』としての宿泊かしら? それとも……」
「……両方だ。貴女が近くにいないと、私も少しばかり、寝つきが悪いのでな」
カイン卿の意外な甘い言葉に、私は少しだけ頬を染めました。
元婚約者の悲鳴をBGMに、私の新しい「愛の形」は、ますます重厚さを増していくようです。
朝食の席で、アンが眉間に深いシワを寄せて新聞を差し出してきました。
「あら、アン。また私の『戦女神伝説』の続きかしら? もう、困ってしまいますわ」
「いいえ。……『王都の治安、過去最悪のペースで悪化。深夜の不審者遭遇率が前月比三百パーセント増』という悲鳴のような記事です」
三百パーセント……。それはまた、ずいぶんと賑やかなことですわね。
「公爵閣下……旦那様も頭を抱えておられましたよ。『ノワールが夜回りを止めたせいで、地下組織の連中が調子に乗り始めた』と」
「失礼ね、アン。夜回りだなんて。私はただ、殿下の安眠を守るために、半径二キロ以内の不浄な気配を物理的にクリーンにしていただけですわ」
「それを世間では『私設軍隊並みの治安維持』と呼ぶんです」
いけませんわ。私は今、普通の令嬢になるべく、夜の屋根走りを禁じているのです。
そのせいで王都の不届き者たちが元気になってしまったというのなら、それは騎士団の怠慢ではありませんこと?
その時、公爵邸の玄関先から、地響きのような足音と絶叫が聞こえてきました。
「ノワール! ノワールはいるか! 頼む、助けてくれぇぇぇ!」
現れたのは、目の下に真っ黒なクマを作り、髪を振り乱したセドリック殿下でした。
かつての凛々しさはどこへやら、今の殿下はまるで、三日三晩幽霊に追い回されたような衰弱ぶりです。
「あら殿下。ごきげんよう。……あらあら、そのお顔。本日の睡眠時間は一コンマ五時間といったところかしら? 左目の痙攣から察するに、相当なストレスを抱えていらっしゃいますわね」
「……分かるのか!? やはり貴様、どこかで私を見ているな!?」
「いいえ。殿下の顔色と、その指先の震え……。これは『深夜の屋根の上から聞こえる不気味な足音』を恐れて眠れなかった時の症状ですわ」
「その通りだよ! ノワール、貴様がいなくなってから、私の部屋の周りが騒がしくて仕方ないんだ!」
殿下は私の手を握らんばかりの勢いで身を乗り出してきました。
「昨夜もだ! 窓の外でカサカサと音がしたから、貴様がまた天井に張り付いているのかと思って窓を開けたら、そこには本物の刺客が三人もいたんだぞ!」
「まあ。それは災難でしたわね」
「災難どころじゃない! 貴様がいた時は、刺客が私の部屋のバルコニーに足をかけた瞬間に、どこからともなく飛んできた『目つぶし用の粉』や『鋼鉄のワイヤー』で、音もなく闇に沈んでいたというのに!」
殿下は涙ながらに訴えます。
「騎士たちは『風のいたずらでしょう』なんて呑気なことを言うが、違う! あんなに正確に刺客の急所を撃ち抜く風があるか! あれは貴様の……貴様の、重すぎる愛の防衛網だったんだ!」
「殿下。私はもう、普通の令嬢なのです。……屋根の上を四つん這いで高速移動するような真似は、淑女の嗜みに反しますわ」
「嗜まなくていい! 今すぐ屋根に登れ! そして私の部屋の周囲三百メートルを完全封鎖してくれ! じゃないと、怖くて枕を高くして寝られないんだ!」
……まあ。あんなに私を「気味が悪い」と追い出した方が、今度は「監視してくれ」と仰るなんて。
人間、勝手なものですわね。
「殿下。それは私に、再び『ストーカー』になれと仰っているのですか?」
「違う! 『最高機密の特別警備顧問』としてだ! 頼む、ノワール! 今日から私の寝室のクローゼットの中に住んでもいいから!」
殿下が跪こうとしたその時、背後から冷徹な声が響きました。
「……殿下。公衆の面前で見苦しいですよ」
カイン卿です。彼は私の肩を抱くようにして寄り添うと、殿下を氷のような目で見下ろしました。
「カイン! 貴様、また邪魔を……!」
「邪魔なのは貴方の方だ。ノワール嬢は今、私と共に『新作の防犯魔道具』の開発に忙しい。……殿下の警備不足を、彼女の個人的な献身(ストーキング)で補おうとするのは、王族として無能を晒しているのと同じですよ」
「な、無能だと!? 私はただ、彼女の『実力』を再評価しているだけだ!」
「……評価するのが遅すぎた。彼女の技術は、今や我が騎士団の戦術教本に組み込まれている。……殿下のために無償で屋根を走るノワール嬢は、もういない」
カイン卿の言葉に、殿下はガタガタと震え始めました。
「う、嘘だ……。ノワール、貴様もそう思うのか!? 私のために、またあの……私が寝返りを打つたびに『殿下、お風邪を召しますわよ』と窓を閉めてくれた、あの献身を見せてくれないのか!?」
「……殿下。あのご奉仕、実は一晩に二十回くらい窓を開け閉めするので、結構体力を消耗いたしますの。……今の私は、カイン卿に頂いたこの『機能的なお休み用手袋』をはめて、自分のために眠るのが幸せなのですわ」
私がカイン卿から贈られた(格闘用の)手袋を見せると、殿下はついにその場に崩れ落ちました。
「……終わった。私の安眠が、終わった……。今夜もまた、刺客の足音に怯えながら、アリ入りの紅茶を飲むのか……」
「殿下。アリが入っているのは、単に部屋の掃除が不徹底だからですわよ」
私は優雅に扇子を広げ、カイン卿と共に歩き出しました。
「……ノワール嬢、今夜は私の屋敷の警備システムをチェックしてくれないか。……もし良ければ、そのまま泊まっていってもいい」
「まあ、カイン卿。それは『警備』としての宿泊かしら? それとも……」
「……両方だ。貴女が近くにいないと、私も少しばかり、寝つきが悪いのでな」
カイン卿の意外な甘い言葉に、私は少しだけ頬を染めました。
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