悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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「……あの女は、危険かもしれん」


宰相邸の執務室。

サイラスが珍しく、険しい表情で書類を睨んでいた。

視線の先にあるのは、興信所から取り寄せた『ミナ男爵令嬢に関する調査報告書』だ。


「危険、ですか? ミナ様が?」


チェルシーが紅茶を淹れながら首を傾げる。

彼女の認識では、ミナは「歩く労働災害」ではあるが、国家を揺るがすほどの脅威(悪意)があるとは思えなかったからだ。


「ああ。考えてもみろ。あのエリオット殿下をここまで骨抜きにし、ダンスパーティーでは意図的に衝突事故を起こし、我々の評判を高めるための踏み台(ピエロ)すら演じきった。……もし、あれが全て『計算』だとしたら?」


サイラスの目が鋭く光る。


「彼女は、無害な顔をして懐に入り込み、組織を内部から腐らせる『ハニートラップ』の達人……あるいは、隣国が送り込んだ破壊工作員(サボタージュ・エージェント)の可能性がある」


「……なるほど。深読みしすぎな気もしますが、リスク管理の観点からは無視できない仮説です」


チェルシーは紅茶を差し出し、眼鏡の位置を直した。


「では、私が直接検証(デバッグ)しましょう。彼女が『計算高い悪女』なのか、それとも単なる『処理落ち(ポンコツ)』なのか」


「どうやって?」


「簡単なことです。彼女を『お茶会』に招き、論理的な揺さぶりをかけます。もし工作員なら、ボロが出るはずです」


***


数日後。

宰相邸のガーデンテラスに、ミナが招かれた。

テーブルには最高級の茶葉と、毒々しいほどカラフルなマカロン(ミナの好みに合わせた)が並べられている。


「わぁ~! 招待状ありがとうございますぅ! お姉様とお茶できるなんて嬉しいです!」


ミナは席に着くなり、満面の笑みでマカロンに手を伸ばした。

その無防備な姿。

毒見もせず、疑いもせず。


(……演技でしょうか? これほど警戒心のないスパイがいるとは考えにくいですが)


チェルシーは対面の席で、鋭い観察眼(スキャン)を光らせた。


「ミナ様。今日は単刀直入にお伺いします」


「はい! なんです? 恋バナですか?」


「いいえ。……貴女の『目的』についてです」


チェルシーの声が低くなる。


「貴女はエリオット殿下に近づき、婚約者の座を手に入れ、結果として王家の公務を停滞させました。さらに、私とサイラス様を敵対視させるよう殿下を誘導していますね? ……その最終目標(ゴール)は何ですか? 王家の転覆? それとも国家機密の奪取?」


チェルシーはカマをかけた。

もし彼女が工作員なら、ここで動揺するか、あるいは冷徹な本性を現すはずだ。

だが、ミナはキョトンとして、口の周りにマカロンの粉をつけたまま首を傾げた。


「てんぷく……? 船に乗るんですか?」


「……比喩です。とぼけないでください。貴女の行動は、あまりにも計算され尽くしています。あのような『ドジ』を連発することで、殿下の庇護欲を煽り、周囲の思考を停止させる。……高度な心理テクニックです」


「えへへ、褒められちゃった♡」


「褒めていません。尋問です」


チェルシーは畳み掛ける。


「正直に答えなさい。先日のダンスパーティーで転んだ時、貴女は給仕のワゴンに衝突しましたね。あの角度とタイミング……あれは、私への注目を集めるために『わざと』やったのですか?」


もしそうなら、ミナは自分を犠牲にしてまでチェルシーを持ち上げた策士ということになる。

ミナは人差し指を唇に当てて、うーんと考え込んだ。


「えっとぉ……あの時はぁ……エリオット様がグルグル回るから目が回って……あ! そうです! あそこのワゴンに『限定プリン』が見えたんです!」


「……は?」


「『あ、プリンだ!』って思ったら、体が勝手にプリンの方に飛んでいっちゃって! そうしたらスープまみれになっちゃいました! でも、プリンは美味しくいただきましたよ!」


ミナはニカッと笑った。

一点の曇りもない、突き抜けた笑顔。

チェルシーの脳内コンピューターが、激しくエラーを吐き出した。


(……解析不能(アンノウン)。計算? いいえ、今の発言に論理的整合性は皆無です。物理法則よりも食欲が優先された? そんな馬鹿な)


チェルシーは冷や汗をかいた。

もしこれが演技なら、アカデミー賞ものだ。

だが、チェルシーの直感が告げている。

こいつは……「本物(ガチ)」だと。


「……では、質問を変えます。貴女はエリオット殿下が廃嫡(王位継承権剥奪)される可能性が高いことを理解していますか? 彼が王になれなければ、貴女の『王妃になる』という野望も潰えますよ?」


「ハイシャク? ……借金ですか?」


「違います。クビになるということです」


「えーっ! エリオット様、無職になっちゃうんですか!?」


ミナが驚愕する。

知らなかったのか。


「そうなったらどうするつもりです? 彼には生活能力がありませんよ」


「うーん……そっかぁ。じゃあ、私がパン屋さんでバイトして養ってあげなきゃダメですね!」


「……は?」


「私、パンの耳を切るの得意なんですよ! エリオット様は力持ちだから、小麦粉の袋を運んでもらいます! 二人でパン屋さんやるのも楽しそうですねぇ!」


ミナは目をキラキラさせて、「エリオットとミナのパン屋さん」の妄想を始めた。

そこに「権力への執着」や「悪意」は微塵もない。

あるのは、底抜けの「能天気」と、驚くべき「生命力」だけだ。


チェルシーは深く溜息をつき、背もたれに体を預けた。

勝負はついた。

いや、勝負にすらなっていなかった。


「……降参です」


「え? 何がですか?」


「貴女は工作員でも悪女でもありません。……ただの『災害(ディザスター)』です」


「ディザスター? 新しいスイーツの名前ですか?」


「ええ、そうです。激甘で、食べた人間を馬鹿にする禁断のスイーツです」


チェルシーはテラスの物陰に隠れていたサイラスに向かって、ハンドサインを送った。

『脅威判定:なし(None)。ただし、予測不能なカオス係数:測定不能(Infinity)』


物陰から出てきたサイラスも、疲れた顔をしていた。


「……まさか、ここまで何も考えていないとはな」


「はい。逆に怖いです。計算のない行動は対策が打てません。彼女が城にいる限り、いつ何時、どのような形でトラブルが発生するか予測不可能です」


「まさに天然記念物級の災害だな」


二人がひそひそ話していると、ミナが「あ!」と声を上げた。


「見てくださいお姉様! 蝶々です!」


ミナがひらひらと飛ぶ蝶を追いかけて席を立つ。

そして、何もない平坦な芝生で、見事にずっこけた。


「きゃっ!」


彼女が転んだ拍子に、履いていた靴がすっぽ抜けて飛んでいく。

その靴は美しい放物線を描き――


ガシャン!


テラスの隅にあった、サイラス秘蔵の「古代王朝の壺(時価金貨五百枚)」に直撃し、粉々に砕いた。


「……」


「……」


時が止まった。

ミナは「あちゃー」と舌を出した。


「ご、ごめんなさぁい! 蝶々が避けたからぁ!」


チェルシーとサイラスは顔を見合わせ、同時に天を仰いだ。


「……サイラス様。彼女はスパイではありませんが、我が家の資産を減らす『物理的脅威』であることは確定しました」


「ああ。……直ちに退去願おう。これ以上は被害総額が国家予算を超える」


「御意」


こうして、ミナへの疑惑は晴れた(?)。

彼女は悪意あるヴィランではなく、ただ存在するだけで周囲を巻き込む台風のようなヒロインだったのだ。

チェルシーは、泣いて謝るミナに「壺の請求書」ではなく「マナー教室のパンフレット」を渡し、丁重にお帰りいただいた。


「……敵にするより、味方にする方がリスクが高いタイプですね」


「違いない。エリオット殿下には、あの災害を封じ込める『人柱』として頑張ってもらうしかないな」


サイラスとチェルシーは、砕け散った壺を眺めながら、遠い王城のエリオットに初めて「同情」の念を抱いたのだった。
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