悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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「……そして、愚かな王子様は、契約書の『小さく書かれた注釈』を読み飛ばしてサインをしてしまいました」


数年後の宰相邸。

柔らかな間接照明に照らされた子供部屋で、チェルシーの声が静かに響いていた。

彼女の膝の上には、三歳になる銀髪の息子、アランがちょこんと座っている。
天使のように愛らしい少年だが、その瞳は父譲りの鋭さと、母譲りの聡明さをすでに宿していた。


「すると、どうでしょう。王子様は魔法により、白黒模様の珍獣『パンダ』になってしまい、一生、子供たちに風船を配る労働に従事することになったのです」


チェルシーは手作りの絵本(飛び出す仕掛け付き)をめくった。
そこには、涙目で風船を持つパンダの絵が、写実的なタッチで描かれている。


「アラン。このお話の教訓(レッスン)は分かりますか?」


「うん! 『けいやくしょは、すみずみまでよむ』!」


「正解です。素晴らしい学習能力ですね。ご褒美に明日のオヤツの糖分を一〇%増量します」


「やったー!」


アランが無邪気に喜ぶ。
普通の母親なら「悪いことをしちゃダメよ」と教えるところだが、チェルシーの英才教育は「法的リテラシー」と「リスク管理」に特化していた。


「……相変わらず、独特な情操教育だな」


部屋の入り口から、苦笑混じりの声がした。
執務を終えて帰宅したサイラスだ。
数年の時を経て、目尻には少しシワが増えたが、それがかえって渋みを増し、色気のある「イケオジ」へと進化している。


「パパ!」


「ただいま、アラン。……そして、チェルシー」


サイラスはアランを抱き上げ、頬ずりをした後、チェルシーの隣に座ってキスをした。


「おかえりなさい、あなた。……今日は定時より四十五分早い帰宅ですね」


「ああ。君に会いたくて、会議を通常の二倍速で終わらせてきた」


「……参加者が酸欠になっていないか心配ですが、家族との時間を優先する姿勢は評価します」


チェルシーは微笑み、絵本を閉じた。


「それで、その絵本は新作か? タイトルは?」


「『パンダの王子とピンクの妖精~契約不履行の末路~』です。ノンフィクションをベースにした、社会派童話です」


「……エリオット殿下も、まさか自分の人生が絵本のネタにされているとは思うまい」


サイラスは可笑しそうに肩を震わせた。


あの一件以来、エリオットとミナが働く「王立アミューズメントパーク」は、国一番の人気スポットとなっていた。
「世界一哀愁漂うパンダ」としてエリオットは大ブレイク。
ミナは天性のドジっ子属性を活かした「予測不能なショー」で観客を沸かせ、今や二人はパークのドル箱スターだ。

先日届いた手紙には、『借金完済したぞ! ミナと結婚した! 俺たちは幸せだー!』と、泥だらけの笑顔の写真が同封されていた。


「彼らは彼らなりに、適材適所の幸せを見つけたようです。……私のコンサルティングに間違いはありませんでした」


「違いない。国も平和になり、彼らも幸せになり、我々も平穏を手に入れた。……完全勝利(パーフェクトゲーム)だ」


サイラスは満足げに頷き、アランの頭を撫でた。
アランは大きなあくびをして、目をこすっている。


「……おや、バッテリー切れのようだな」


「就寝時刻(ベッドタイム)です。……アラン、おやすみなさい」


「おやすみ、ママ、パパ……」


アランをベッドに寝かせ、二人はそっと部屋を出た。
廊下を歩きながら、サイラスがチェルシーの手を取る。
その手には、あの時のプラチナの指輪が、変わらぬ輝きを放っていた。


「……ねえ、チェルシー」


「はい、あなた」


「数年前、君と契約結婚をした時、私はここまで幸せになれるとは計算していなかった」


サイラスが立ち止まり、バルコニーへの窓を開けた。
夜風が吹き込み、チェルシーの銀髪を揺らす。


「毎日、君と議論し、効率を追求し、たまに君の予測不能な『デレ』に翻弄される。……こんなに飽きない人生があるとはな」


「……私もです」


チェルシーは夜空を見上げた。
月が綺麗だ。


「以前の私は、感情を『判断を鈍らせるノイズ』としか捉えていませんでした。ですが今は違います。貴方への愛、アランへの愛……これらは、私を強くし、思考を加速させる『最強の駆動力(エンジン)』です」


チェルシーはサイラスに向き直り、その胸に手を当てた。
ドクン、ドクン。
落ち着いた、しかし力強い鼓動。


「サイラス様。貴方との結婚生活の収支報告をさせていただきます」


「ほう。聞こうか」


「投資額:私の人生すべて。回収額:測定不能(プライスレス)。……結論として、黒字幅は無限大です」


チェルシーは最高の笑顔を見せた。
それは、かつて「氷の悪女」と呼ばれた頃には決して見せなかった、温かく、柔らかな表情。


サイラスは感極まったようにチェルシーを抱き寄せた。


「……愛しているよ、チェルシー。私の最高の妻であり、最強のパートナー」


「ええ。私も愛しています、サイラス様。……明日も明後日も、その先もずっと」


二人の影が重なる。
長い口づけ。

それは、これまでのどんな契約よりも強固で、どんな計算式よりも美しい「愛の証明」だった。


月明かりの下、二人は寄り添う。
明日もまた、忙しい一日が始まるだろう。
国の舵取り、領地の経営、そして子育て。
タスクは山積みだ。

だが、何も心配はいらない。
この国最強の「合理主義カップル」がいる限り、すべての問題は速やかに、効率的に、そして幸せに解決されるのだから。


「……さて、あなた。明日の朝食ですが、アランの成長に合わせてカルシウムを強化したメニューに変更を提案します」


「……ふっ。ロマンチックな余韻はなしか?」


「健康管理は愛の基本形ですよ?」


「……降参だ。君には一生勝てそうにない」


サイラスとチェルシー。
二人の幸せな議論は、夜が更けるまで、楽しげに続いていった。
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