悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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長い、長い一日が終わった。

王都を挙げた結婚パレード、数百人の招待客による披露宴、そして二次会という名の「貴族たちの祝賀会」。

それら全てのタスク(工程)を完遂し、サイラスとチェルシーはようやく宰相邸の主寝室へと戻ってきた。


「……プロジェクト完了(ミッション・コンプリート)。お疲れ様でした、閣下」


扉が閉まった瞬間、チェルシーは大きく息を吐き、ヒールを脱ぎ捨てた。

ふわりとカーペットの上に降り立つ。

足のむくみ係数は許容範囲内だが、全身の筋肉疲労はピークに達していた。


「ああ、お疲れ様。……よく頑張ったな、チェルシー」


サイラスが上着を脱ぎながら、労りの言葉をかける。

彼も疲れているはずだが、その表情は晴れやかで、そしてどこか別の種類の「熱」を帯びていた。


「しかし、最後のスピーチは見事だった。『これからの国政は夫婦二人三脚で、コスト削減と愛の増大を目指します』とはな。会場がどよめいていたぞ」


「事実を述べたまでです。……それより閣下、ドレスの背面フックの解除をお願いします。構造上、単独での脱衣(ソロ・パージ)が不可能です」


チェルシーが背中を向ける。

サイラスは苦笑しつつ、彼女の背に手を回した。

繊細なレースの奥にある、無数の小さな胡桃ボタン。

それを一つずつ、丁寧に外していく。


「……君は、こういう時でも実務的だな」


「当然です。早く入浴し、睡眠をとらなければ、明日のハネムーン出発に影響が出ます」


「ハネムーンか。……君が組んだ旅程表を見たが、あれは旅行というより『視察行脚』ではないか? 朝六時起床、農村視察、ダム建設予定地見学……」


「観光地を巡るだけでは時間の浪費です。地方の実情を把握しつつ、愛を育む。一石二鳥(デュアル・タスク)です」


「……まあいい。君らしい」


ボタンが全て外れる。

ドレスが重力に従って滑り落ち、シルクの下着姿になったチェルシーの白い肌が、月明かりに浮かび上がった。


「……っ」


サイラスの手が止まる。

チェルシーは背中に、夫の熱い視線と、わずかに荒くなった呼吸を感じ取った。


(……危険信号(レッド・アラート)。閣下のフェロモン数値が急上昇しています)


チェルシーは慌ててガウンを羽織ろうとしたが、それより早く、サイラスの腕が後ろから彼女を抱きすくめた。


「……風呂は後でいいだろう」


耳元で囁かれる低音。

鼓膜が震え、その振動が背骨を伝って脳髄を痺れさせる。


「か、閣下? 衛生管理基準(ガイドライン)に従えば、就寝前の入浴は必須ですが」


「今は『初夜のガイドライン』を優先させたい」


サイラスはチェルシーの首筋に唇を寄せた。

熱い。

火傷しそうなほどの熱量だ。

チェルシーの思考回路にノイズが走る。


「……初夜のガイドライン、ですか。具体的な工程表(アジェンダ)は?」


「工程表はない。……あるのは、本能と愛だけだ」


サイラスはチェルシーの体を反転させ、向き合わせた。

至近距離で見つめ合う。

彼の瞳は、普段の冷徹な色は消え失せ、とろけるような甘さと、獲物を狙う肉食獣の鋭さが同居していた。


「……チェルシー。君は美しい」


「……既知の情報です。本日だけで四十八回、その言葉を聞きました」


「何度でも言うさ。……君が好きだ。愛している」


サイラスの手が、チェルシーの頬を撫で、ガウンの紐に掛かる。

チェルシーは心拍数が一四〇を超えたことを自覚した。

これは不整脈ではない。

逃げられない。いや、逃げたくない。


「……閣下。一つ、確認事項があります」


チェルシーは震える声で、最後の抵抗(確認)を試みた。


「なんでしょうか」


「この『愛している』という発言の有効期限についてです。これは一時的な感情の高ぶり(テンション)によるものですか? それとも恒久的な契約ですか?」


こんなムードの中で、まだそんなことを聞くのか。

普通の男なら呆れるところだ。

だが、サイラスは愛おしそうに目を細め、チェルシーを抱き上げてベッドへと運んだ。


「……恒久的な契約だ。更新手続きは不要。解約も不可。違約金は私の命だ」


ベッドに下ろされたチェルシーを見下ろし、サイラスは誓うように告げた。


「死が二人を分かつまで……いや、生まれ変わっても君を見つけ出して、また契約を結ぶつもりだ。……これなら文句はないだろう?」


完璧な回答だった。

論理的ではないが、感情的に満点(フルスコア)だ。

チェルシーは観念したように息を吐き、そして小さく微笑んだ。


「……承知しました。契約条件を受諾します」


「よし。では……執務(ラブラブ)開始だ」


サイラスが覆いかぶさる。

視界が遮られ、唇が塞がれる。

思考が溶けていく感覚。

効率も、計算も、利益も、全てがどうでもよくなる甘美な混沌。


だが、チェルシーは最後の理性を振り絞って、あの言葉を口にした。


「……サイラス様」


「ん?」


キスの合間に、チェルシーは潤んだ瞳で夫を見つめた。


「私も……愛しています」


「……!」


「貴方との結婚生活は、私の人生における最大のリスクテイクでしたが……同時に、最高のリターンをもたらす投資案件でした」


チェルシーはサイラスの首に腕を回し、ぎこちなく、しかし精一杯の愛を込めて囁いた。


「貴方となら……人生のROI(投資収益率)は最大化できそうです。……ですので、これからもよろしくお願いします、私の最高のパートナー」


サイラスは一瞬きょとんとして、それからベッドが揺れるほど笑った。


「ははっ……! ROIか。愛の告白でその単語を聞くのは、世界広しといえど私くらいだろうな」


「……ロマンチックではありませんでしたか?」


「いいや。君らしくて最高だ。……その投資、絶対に損はさせない」


サイラスは再びチェルシーにキスをした。

今度は笑い声交じりではなく、深く、重く、情熱的なキスを。


「覚悟しろよ、チェルシー。今夜は朝まで、徹底的に『利益還元』してやる」


「……望むところです。体力の限界までお付き合いします」


灯りが消される。

月だけが知る、二人だけの夜。

そこから先は、どんなマニュアルにも載っていない、二人だけの愛の営みが繰り広げられた。

時折、「あ、そこはツボの刺激として有効です」とか「角度を三度修正してください」といった独特な指示が聞こえたような気もするが、それはきっと夜風のいたずらだろう。


翌朝。

予定より二時間寝坊したチェルシーが、「スケジュール遅延! 緊急事態!」と叫んで飛び起き、それをサイラスが「ハネムーンなんだからゆっくりしよう」とベッドに引きずり戻すまでが、この初夜のセットである。
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