悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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王都の大聖堂。
ステンドグラスから極彩色の光が降り注ぐ中、厳かなパイプオルガンの音色が響き渡っていた。

今日は、王国宰相サイラス・ヴァーミリオン公爵と、チェルシー・ヴァーミリオン公爵夫人の結婚式(正確には披露宴を兼ねた正式な挙式)である。

参列席には国王をはじめ、国の重鎮たちがずらりと並び、緊張した面持ちで祭壇を見つめていた。
通常、結婚式といえば「感動」や「祝福」の場だが、今日の式には別の緊張感が漂っている。

なぜなら、新婦が「あの」チェルシーだからだ。
「誓いの言葉で神父を論破しないだろうか?」「指輪交換で貴金属の相場を語り出さないだろうか?」
そんな懸念が、参列者たちの脳裏をよぎっていた。


「……新郎、入場」


重厚な扉が開き、サイラスが堂々とした足取りでバージンロードを歩く。
漆黒のタキシードに身を包んだ彼は、いつにも増して精悍で、その表情は自信と喜びに満ちていた。
「鉄仮面」と呼ばれた頃の冷たさはなく、今は「最愛の妻を迎える夫」の顔だ。

そして。


「……新婦、入場」


一際大きなオルガンの音と共に、チェルシーが現れた。

息を呑む音が、大聖堂に広がる。

無駄な装飾を削ぎ落としたシンプルなドレス。
それが逆に、彼女の完璧なプロポーションと、透き通るような銀髪の美しさを際立たせていた。
長いベール越しに見えるその表情は、いつもの冷静沈着なものだが、頬がほんのり紅潮しているようにも見える。

彼女は父であるランカスター侯爵のエスコートで、一歩ずつ祭壇へと進む。


「……父上。歩行速度が〇・二秒遅いです。音楽のリズムと同期していません」


小声で指摘するチェルシーに、侯爵は苦笑した。


「……今日くらい、小言は無しにしろ。これでお前も、完全に私の手から離れるのだからな」


「離れるわけではありません。戸籍上の所属が変わるだけで、親子関係という生物学的な事実は不変です」


「……まったく。可愛げのない娘だ」


侯爵は鼻をすすり、祭壇の前でサイラスに娘の手を渡した。


「頼んだぞ、サイラス公爵。……この『取扱注意』の娘を」


「ええ。生涯をかけて、大切にメンテナンス(愛)します」


サイラスは力強く頷き、チェルシーの手を握った。
その手は温かく、チェルシーの緊張(心拍数上昇)を和らげてくれる。


二人は祭壇の前に並んだ。
神父が咳払いをして、聖書を開く。


「……汝、サイラス・ヴァーミリオンは、チェルシー・ランカスターを妻とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


「誓います」


サイラスは即答した。
迷いのない、太い声だった。

神父は頷き、チェルシーに向き直る。


「汝、チェルシー・ランカスターは、サイラス・ヴァーミリオンを夫とし、健やかなる時も、病める時も……(中略)……その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


大聖堂に緊張が走る。
さあ、どう答える?
「条件付きで誓います」とか言い出すんじゃないか?

チェルシーは一瞬、思考の海に潜った。
(……「命ある限り」。これは終身契約を意味する条項だ。さらに「病める時も」という項目は、リスクヘッジの観点からも合理的。介護義務の相互確約だ。……よし、契約内容に不備なし)


彼女は顔を上げ、凛とした声で告げた。


「誓います。……契約不履行(キャンセル)の予定はありません」


「……ほっ」


神父が安堵のため息をつき、参列者たちも胸を撫で下ろした。
多少ビジネスライクだが、彼女にしては上出来な返事だ。


「では、指輪の交換を」


サイラスがポケットからリングケースを取り出す。
そこにあるのは、巨大なダイヤモンド……ではない。
シンプルだが、最高級のプラチナで作られたリングだ。
内側には、微細な魔法文字で『防汚・耐衝撃・紛失防止(GPS機能付き)』のエンチャントが刻まれている。
チェルシーの要望(スペック)を完全に満たした特注品だ。


「……チェルシー。これを君に」


サイラスがチェルシーの左手薬指に指輪を滑らせる。
サイズはミクロン単位で調整されており、吸い付くようにフィットした。


「……完璧な装着感です。違和感がゼロです」


「だろう? 君の指のサイズは、私が一番よく知っている」


サイラスが悪戯っぽく囁く。
チェルシーも、サイラスの指に太めのリングを嵌めた。


「……よし。これで閣下に『売約済み』のタグが付きました。他の女性(害虫)への牽制効果は抜群です」


「ああ。もう誰の誘いも受けない。君だけの専属だ」


二人は見つめ合い、微笑んだ。
そして、クライマックス。


「では、誓いの口づけを」


神父の言葉と共に、サイラスがベールを上げる。
チェルシーの美しい顔が露わになる。
その瞳は、今はサイラスだけを映していた。


「……チェルシー」


「……はい、あなた」


サイラスが顔を近づける。
チェルシーは目を閉じ……る前に、小声で確認した。


「……酸素供給の確保をお願いします。昨夜のシミュレーションでは、酸欠になりかけましたので」


「善処する。……だが、保証はできない」


サイラスはニヤリと笑い、唇を重ねた。

長い。
長いキスだった。
通常の「チュッ」という挨拶程度のものではない。
角度を変え、深く、情熱的に。
まるで、これまでの二人の軌跡(契約から始まり、信頼を経て、愛に至った道のり)を確かめ合うようなキス。

参列者たちが「おぉ……」と赤面して顔を背けるほど、それは濃厚で、愛に満ちていた。


(……んっ……計算より……長い……心拍数が……)


チェルシーの脳内でアラートが鳴るが、彼女はそれを無視した。
このエラー(ときめき)は、今の彼女にとって最も心地よい感覚だったからだ。


ようやく唇が離れた時、チェルシーは少しだけ息を弾ませていた。


「……ぷはっ。……閣下、三〇秒オーバーです」


「……サービス残業だ。受け取っておけ」


サイラスは満足げに笑い、チェルシーの手を取って参列者に向き直った。


ワァァァァァァ……!


万雷の拍手が大聖堂を包む。
花びら(フラワーシャワー)が舞う中、二人はバージンロードを逆走……いや、未来への道を歩き出す。


その途中、チェルシーは参列席の端に、見慣れない「ぬいぐるみ」が置かれているのに気づいた。
白と黒の、パンダのぬいぐるみだ。
その手には手紙が握られている。


『おめでとうチェルシー! 俺たちも北の地で頑張ってるぞ! 昨日は雑草のスープが美味しかった! いつか遊びに来いよな! ――エリオット&ミナ』


「……ふっ」


チェルシーは吹き出した。


「どうした?」


「いえ……北の僻地から、予想外の『祝電』が届いていたようです」


「あのバカ共か。……しぶといな」


「ええ。生命力だけはSランクです」


二人は笑い合い、教会の扉を出た。
外には抜けるような青空が広がっている。
新しい人生の幕開けにふさわしい、快晴だ。


馬車に乗り込み、二人きりになった瞬間。
サイラスは改めてチェルシーを抱き寄せた。


「……終わったな、式は。これで名実ともに、君は私の妻だ」


「はい。公的文書の処理も完了し、法的拘束力が発生しました」


チェルシーは指輪を見つめ、しみじみと呟いた。


「……悪くない効率です」


その言葉に、サイラスは眉を上げた。


「……おい。そこは『幸せ』と言っておけ」


いつか聞いた台詞。
だが、チェルシーは首を振った。


「『幸せ』という言葉は抽象的すぎます。現状を正確に表現するなら……」


チェルシーはサイラスのネクタイを引き寄せ、自分から軽く唇を触れさせた。


「……『最適解』です。貴方を選んだことが、私の人生における最高の成功事例(ベストプラクティス)でした」


サイラスは目を丸くし、そして堪えきれずに破顔した。


「……まったく。君という奴は……」


「不満ですか?」


「いいや。最高だ。……私も同感だよ、チェルシー。君こそが私の『最適解』だ」


二人は再びキスをした。
今度は短く、しかし甘いキスを。

馬車は祝福の鐘の音を背に、二人の愛の巣(宰相邸)へと走り出す。
これから始まる新婚生活は、きっとこれまで以上に騒がしく、忙しく、そして呆れるほど合理的で幸福なものになるだろう。

チェルシーの手元には、既に『新婚旅行の旅程表(分刻み)』と『次世代育成計画(子育てプラン)』のファイルが握られていたことは、言うまでもない。
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