悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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「それでは、第45回『ヴァーミリオン公爵家・結婚披露宴プロジェクト』定例会議を始めます」


宰相邸のダイニングルーム。
朝食後のテーブルには、料理ではなく、山のような資料と巨大な工程表(ガントチャート)が広げられていた。

チェルシーは指示棒を手に、壁に貼られたチャートを指し示す。


「挙式まで残り一ヶ月。進捗状況(ステータス)は予定通りですが、未決定事項(ペンディング)が三件残っています。……閣下、聞いていますか?」


「……ああ、聞いている。君の指揮官ぶりが見事すぎて、見惚れていただけだ」


サイラスはコーヒーを片手に、微笑ましそうに妻を見つめている。
普通のカップルなら「どっちのドレスがいいかな?」「うーん、どっちも可愛いよ」という甘い会話が繰り広げられる時期だが、この夫婦の場合は少し(かなり)違う。


「惚気ている時間はありません。まずは第一の議題、『ウェディングケーキの仕様策定』についてです」


チェルシーはパティシエが持参したデザイン画を並べた。


「デザインAは伝統的な三段重ね。Bは飴細工を多用したタワー型。Cはフルーツ重視です。……私はCを推奨します」


「理由は?」


「AとBは高さがありすぎます。搬入時の転倒リスクが高く、重心が不安定です。地震発生時の被害想定を考慮すると、高さ三十センチ以下のCが最も安全かつ合理的です」


「……チェルシー。ケーキに耐震構造を求める花嫁は君くらいだ」


サイラスは苦笑した。


「だが、Bの飴細工は君の瞳の色に合わせて特注できるそうだ。見た目のインパクト(演出効果)は捨てがたいぞ」


「演出よりも可食部の歩留まり率が重要です。飴細工は食べ残しが発生しやすく、廃棄コスト(食品ロス)の増大を招きます」


「……分かった。では折衷案だ。土台はCで安定性を確保し、トップに君と私を模したマジパン人形を飾る。これならどうだ?」


「マジパン……砂糖とアーモンドの塊ですね。カロリー計算が必要ですが、許容範囲です。採用」


チェルシーは「済」のハンコをデザイン画に押した。
パティシエが「耐震基準をクリアしたケーキなんて初めて作ります……」と呟きながら下がっていく。


「次、第二の議題。『ケーキ入刀』の是非について」


チェルシーは眉間にシワを寄せた。
彼女にとって、これが最大の謎だった。


「この儀式、必要でしょうか?」


「必要だ。結婚式のハイライトだぞ」


「非効率です。一つのナイフを二人で持つなど、力学的において力のベクトルが分散し、切断能力が低下します。私一人で切った方が、〇・五秒速く、かつ断面も美しく切れます」


「……そういう問題じゃない」


サイラスは頭を抱えた。


「あれは『初めての共同作業』を象徴する儀式なんだ。二人で困難(ケーキ?)を切り開いていく、という意味が込められている」


「共同作業……」


チェルシーは考え込んだ。


「共同作業の象徴なら、もっと実益のあるものがよろしいのでは? 例えば、会場で『連名による確定申告書の作成』を行うとか」


「却下だ! なんで晴れの舞台で税金の計算をしなきゃならん!」


「あるいは『公爵家領地の次年度予算案へのW承認印』を押すとか」


「仕事から離れろ!」


「むぅ。……では、妥協案として『ケーキ入刀』は実施します。ただし、ナイフの柄には滑り止め加工を施し、私の手の上に閣下の手を重ねる際の接触圧は、怪我防止のため五ニュートン以下に制限します」


「……ロマンチックのかけらもないが、まあいい。手を重ねてくれるなら文句はない」


サイラスはため息交じりに承諾した。


「最後の議題。『招待客の選定』です」


チェルシーは分厚い名簿を取り出した。


「現在、招待客リストは三百名。……ですが、ここから『リスク要因』を排除(フィルタリング)します」


チェルシーは赤ペンを取り出し、容赦なく名前にバツをつけていく。


「まず、ミナ様のご実家の親戚筋。トラブルメーカーの因子を持っている可能性が高いため、招待は見送ります」


「賢明だ。あのピンク色の災害は一人で十分だ」


「次に、隣国のフレデリック皇太子。……招待状を送るべきか悩みましたが」


「燃やせ。今すぐリストから消去だ」


サイラスが即答した。


「奴を呼んだら、式中に『僕と結婚しよう』と言い出して乱入してくる未来が見える。警備コストが跳ね上がるぞ」


「同感です。では、不参加通知を送りつけましょう。『当日は、エリオット氏(パンダ)による特別ショーが開催されるため、皇族の品位に関わる』とでも理由をつけて」


「ククッ……それはいい。奴もパンダと同じ檻には入りたくないだろう」


二人は悪い顔で笑い合った。
夫婦の連携(悪だくみ)は完璧だ。


「それでは、最後に『ドレス』のフィッティングです。……これが最大の問題(ボトルネック)ですね」


チェルシーは立ち上がり、別室で待機していたお針子たちを呼び入れた。
運び込まれたのは、数着の純白のウェディングドレス。

レース、フリル、長いトレーン。
どれも夢のように美しいが、チェルシーの目は厳しかった。


「……重そうです」


「奥様、こちらは最高級のシルクを五層に重ねたプリンセスラインでございます!」


お針子が誇らしげに説明するが、チェルシーは生地を摘んで分析する。


「総重量は約八キロと推測されます。これを着て三時間の披露宴をこなし、かつ各テーブルを回る(キャンドルサービス)のは、肉体的負荷が高すぎます。翌日の業務に支障が出ます」


「花嫁は気合で乗り切るものです!」


「気合は精神論です。私は物理的な機動性を求めています」


チェルシーは別のドレスを指差した。
それは、比較的装飾の少ない、シンプルなスレンダーラインのドレスだった。


「これなら軽量かつ、足捌きも良い。万が一、式場に暴漢が現れた際も、このスリットから回し蹴りが可能です」


「……チェルシー。結婚式で回し蹴りをする予定があるのか?」


サイラスが尋ねる。


「備えあれば憂いなしです。人生は何が起こるか分かりませんから」


チェルシーはそのドレスを手に取り、試着室へと消えた。


数分後。

カーテンが開く。


「……どうでしょうか。機能性重視で選びましたが」


チェルシーがおずおずと姿を現した。

無駄な装飾を削ぎ落とした、洗練されたシルエット。
それが逆に、彼女の完璧なプロポーションと、銀髪の美しさを際立たせていた。
まるで月の女神が地上に降り立ったかのような、神々しいまでの美しさ。


「……」


サイラスは言葉を失った。
持っていたコーヒーカップが傾き、中身がこぼれそうになるのを執事が慌てて支える。


「……変ですか? やはり防御力が低そうに見えますか?」


チェルシーが不安そうに自身の腕を見る。


「……いや」


サイラスが立ち上がり、ゆっくりと近づいた。
その瞳は、熱を帯びて揺れている。


「完璧だ。……いや、計算外だ」


「計算外?」


「機能性などどうでもよくなるくらい……君が美しすぎる。これでは、式の間中、私が君に見惚れてスピーチを忘れるという重大なエラーが発生しそうだ」


サイラスはチェルシーの手を取り、跪いてドレスの裾に口づけをした。


「……困ったな。この姿を他の男に見せるのが惜しい。いっそ、私と二人だけで式を挙げるか?」


独占欲全開のプロポーズ。
チェルシーは顔を真っ赤にして、視線を泳がせた。


「……そ、それは招待客へのキャンセル料が発生しますので、非効率です。予定通り実施します」


「つれないな。……だが、誓いのキスの時間は、通常の三倍に延長させてもらうぞ」


「……窒息しない範囲で、許可します」


チェルシーは小さな声で答えた。


こうして、効率と実利、そしてとびきりの愛が詰まった結婚式の準備は、着々と進行していった。

唯一の懸念点は、式当日に「パンダ(元王子)」からの祝電が届くかどうか、くらいであった。
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