悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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早朝の王城裏門。

普段は食材搬入などに使われる目立たない場所に、一台の粗末な荷馬車が停まっていた。

王家の紋章はない。
屋根もない。
あるのは、荷台に積まれた数個の木箱と、藁(わら)の束だけだ。

そこに、かつて王太子と呼ばれた男、エリオットが座り込んでいた。


「……うぅ……寒い……」


エリオットが身に纏っているのは、豪華な正装ではなく、支給された平民用の麻の服だ。
生地はゴワゴワしており、肌の弱い元王子には拷問に近い着心地らしい。

その隣では、同じく麻の服(ただし、リボンで可愛くアレンジ済み)を着たミナが、藁を編んで何かを作っていた。


「エリオット様、元気出してくださいよぉ! 見てください、藁で枕を作りました! これで安眠できますよ!」


「……ありがとう、ミナ。だが、俺はもう一生眠れないかもしれない。……パンダだぞ? 俺のこれからの人生、白と黒のツートンカラーなんだぞ?」


エリオットは膝を抱えて絶望に浸っていた。

そこへ、カツカツと足音が近づいてくる。
見送りに来たサイラスとチェルシーだ。

二人は完璧な身なりで、朝日を背負って現れた。
その姿は、荷馬車の上の二人とは残酷なほどのコントラストを描いていた。


「ご出発ですね、エリオット氏」


チェルシーが事務的に声をかける。
「殿下」という敬称は、もうない。


「チェ、チェルシー……! 見送りに来てくれたのか!」


エリオットが顔を上げる。
その目には、まだ微かな期待(助けてくれるんじゃないかという甘え)が残っていた。

だが、チェルシーは冷淡に一枚の書類を差し出した。


「ええ。貴方たちが現地に到着した後、速やかに業務を開始できるよう、マニュアルを作成してきましたので。……納品です」


「マ、マニュアル……?」


「はい。『初心者向け・愛されパンダの極意』および『自給自足ライフハック~雑草をおいしく食べる方法~』の二冊セットです」


チェルシーが手渡したのは、手書きの分厚い冊子だった。
エリオットは震える手でそれを受け取る。


「ざ、雑草……? 俺たちはパンダをやるだけじゃないのか? 餌は出ないのか?」


「甘いですね。アミューズメントパークの食堂は有料です。貴方たちの初任給は歩合制ですので、ノルマ(風船配り五百個)を達成するまでは、給料は出ません」


「なっ……!?」


「つまり、初期段階では食費を稼ぐことすら困難と予測されます。よって、園内の敷地に生えている野草を採取し、調理して飢えを凌ぐスキルが必須となります」


チェルシーは淡々と地獄のような現実を突きつけた。


「このマニュアルには、食べられる野草の見分け方、簡易的な罠を使ったネズミの捕獲法、そして雨水をろ過して飲料水にする方法が図解入りで記されています。感謝してください」


「ネ、ネズミぃぃぃ!?」


エリオットが悲鳴を上げる。
だが、横からミナが冊子を奪い取り、パラパラとめくった。


「わぁ! すごいですお姉様! 『タンポポの根っこコーヒー』の作り方まで載ってる! これなら優雅なティータイムが楽しめますね!」


「……ミナ様。貴女のその適応能力(サバイバルスキル)は、王城にいる時よりも輝いていますね」


チェルシーは心底感心した。
このピンク色の生き物は、もしかしたらパンダ以上の逸材かもしれない。


「さて。商品の引き渡しは完了しました。……代金は銀貨五枚です」


チェルシーが手を差し出す。


「か、金を取るのか!? こんな状況の俺たちから!」


「当然です。私の知的財産(ノウハウ)が詰まっています。印刷代と製本代、そして執筆料。……適正価格です」


「も、持ってないよ! ポケットにはハンカチ一枚しか入ってないんだ!」


「では、現地での初任給から天引きする契約にしておきましょう。利子はトイチ(十日で一割)ですが」


「トイチ!? 闇金よりひどい!」


「嫌なら返却を。ただし、毒草を食べてお腹を壊しても知りませんが」


「くっ……! か、買います! 買わせてください!」


エリオットは泣く泣く「給与天引き承諾書」にサインさせられた。
最後の最後まで、チェルシーの手のひらの上だ。


横で見ていたサイラスが、呆れつつも口を開いた。


「……エリオット。一つだけ忠告しておく」


「サ、サイラス……」


「そのパークは、私が個人的に出資して作った施設だ。……つまり、私がオーナーだ」


「えっ」


「現地の支配人には、『甘やかすな』と厳命してある。王族だった過去など忘れろ。ただの一労働者として汗を流せ。……それが、君にできる唯一の償いだ」


サイラスの言葉は厳しかったが、そこには「死ぬなよ」という不器用なエールが含まれていた。
エリオットは唇を噛み締め、小さく頷いた。


「……わかったよ。やってやるさ。どうせ俺はパンダだ。……国一番の人気パンダになって、いつかお前らを見返してやる!」


「その意気です。期待していますよ」


チェルシーは微笑んだ。
それは皮肉ではなく、営業スマイルでもなく、初めて見せる「教え子を送り出す教師」のような顔だった。


「では、お元気で。……さようなら、エリオットさん」


御者が鞭を振るう。
荷馬車がガタゴトと動き出した。


「行ってきまーす! お姉様、また遊びに来てくださいねぇ! 入場料サービスしますからぁ!」


ミナが元気に手を振る。
エリオットは膝を抱えたまま、小さくなっていく王城を……そして、並んで見送るサイラスとチェルシーの姿を、涙目で見つめていた。


「……うぅ、チェルシー……やっぱりお前が一番怖くて、一番凄かったよ……」


その呟きは、朝霧の中に消えていった。


***


荷馬車が見えなくなるまで見送った後。
チェルシーは、ふぅと息を吐いた。


「……行きましたね。これで、真の意味での『不良債権処理』が完了しました」


「ああ。清々しい朝だ」


サイラスが伸びをする。
長年の懸案事項だった「バカ王子問題」が片付き、肩の荷が下りたようだ。


「ですが、少し寂しくなりますね」


チェルシーがポツリと言う。


「寂しい? 君が?」


「はい。殿下……エリオットさんのあの『予想の斜め下を行く行動』は、私の予測モデルを修正する良いデータソースでしたから。あれほど興味深いサンプルは、もう二度と現れないでしょう」


「……君は最後まで、彼を実験動物扱いだな」


サイラスは苦笑し、チェルシーの肩を抱いた。


「まあ、サンプルはいなくなったが、これからは『正規のパートナー』がいるだろう? ……私の行動は、予測できるか?」


サイラスが顔を覗き込む。
その瞳は、朝日のせいだけではなく、熱っぽく輝いている。


チェルシーは少し考え、首を横に振った。


「……いいえ。閣下の行動パターン、特に『私に対する言動』に関しては、論理的整合性が取れないケースが多発しています。予測困難(アンプレディクタブル)です」


「ほう。例えば?」


「例えば、今。……公衆の面前にもかかわらず、キスをしようとしている確率が八五%と算出されていますが、これはTPO(時・所・場合)の観点から非合理的です」


「正解だ。……ただし確率は一〇〇%だ」


サイラスは有無を言わせず、チェルシーの唇を塞いだ。
裏門の衛兵たちが「見なかったこと」にするために一斉に回れ右をする。


「……んっ。……閣下、非効率です」


唇が離れた後、チェルシーは赤い顔で抗議した。


「呼吸が乱れ、次の業務への移行時間が遅れます」


「構わん。その乱れた呼吸を整えるのも、私の役目だ」


サイラスは悪びれもせず笑う。


「さあ、帰ろうチェルシー。今日は二人で、新しい『事業計画』を立てる日だろう?」


「……ええ。結婚式の準備ですね」


そう。
まだ彼らは、正式な「結婚式」を挙げていなかった。
契約結婚から始まり、バタバタと事件を解決してきた二人。
ようやく、自分たちのための時間を過ごす時が来たのだ。


「式場の選定、招待客のリストアップ、予算配分……タスクは山積みです。急ぎましょう、あなた」


「ああ。……だがその前に、朝食だ。君が推奨する『バランスの良い食事』とやらを頼む」


二人は腕を組み、朝日の中を屋敷へと戻っていく。
その足取りは軽く、未来への希望(と綿密なスケジュール)に満ちていた。

パンダになった元王子が、雑草を食べて腹を壊すという報告が届くのは、まだ数日先の話である。
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