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1巻
1-2
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◆◇◆
父上に取り次ぎをお願いしてから二日。実家で穏やかな時間を過ごし、今……僕は父上と共に王宮を訪れていた。
アグノスは、母上と僕の身代わりを頼んだ次兄が見てくれている。なぜ、兄様に僕の身代わりを頼んだかというと、モデスティア伯爵家の周りに見慣れない人間がうろついているのを警備の者が発見したからだった。
おそらく、リスティヒが手配した見張りだろう。その目を掻い潜るべく僕は、次兄で文官として王宮勤めをしている兄様の服を借り、変装して家を出たのだ。兄様にも僕に変装して一日を過ごしてもらうことになっている。
二日前、王宮から帰ってきた兄様に突然お願いしたにもかかわらず、二つ返事で快諾し、その翌日に今日の有休をもぎ取った兄様の手腕はすごい。
もしなにかあったら兄様にも影響があるだろうに……
「訳ありな甥っ子を連れてきた弟の願いを聞かない兄はいないだろう?」
と、当たり前のように言ってくれる兄様には本当に感謝しかなかった。
そんな兄様の協力もあって、僕は無事に王宮にいる。実家を頼ったものの、まさか本当にバリシアの葬儀の前に謁見できるとは思わなかった。
父上は、僕のただならぬ様子に古い友人であった侯爵様……宰相のノウリッジ様にその日のうちに渡りをつけてくれたらしい。
それでもたった二日というのは異例だ。王宮でもなにか気づいていたのかもしれない。
馬車の中で変装を解いた後、案内された待機室で謁見の順番が来るのを父上と静かに待つ。他家に婿入りした男が実家の父親と共に謁見するというのは情けない話だ。
自分の情けなさにため息を吐きながらも、僕はこれから謁見する国王……シュロム陛下について思い起こす。
前世の愛読書では、一巻の終わりに暗殺された脇役……に近い扱いだったけど、その偉業を今の僕はよく知っている。
好色であった先王シュトルツが多くの離宮を建て、その数だけ……いや、それ以上に側妃を集めた。
集められた側妃の扱いは、あまり良いとはいえず、病に倒れる者、心を病み自ら命を絶つ者などもいたと聞いている。入れ替わりも激しく、その度に離宮は建て替えられ、国庫は傾き、その分だけ民から税を集めた。
欲望のために娘達を消費される貴族、生活が困窮するまで税を搾り取られる平民。どちらからの不満も積もりに積もった頃、先王は病に倒れた。
命は取り留めたものの、政務ができる状態ではなく、生きているのがやっと。そんな先王に貴族達は神罰が下ったのだと口にしたが、一方でこの荒れ果てた国をどうするか、という問題が出てきた。そんな国を立て直したのが現国王シュロム・シィーズ陛下である。
僕より十二歳年上で、先王が倒れた時の年齢は、二十五。そこから三年前に先王が亡くなるまで、王太子として政務を続け、即位したその日は国民全員から祝福されたという。
僕自身も、シュロム陛下と顔を合わせたことが何度かあった。王家主催の夜会に参加した際にバリシアと共に挨拶したのだ。僕は、バリシアの隣で微笑んでいただけで、挨拶以外の言葉を喋ることは許されなかったけど……
だから、シュロム陛下の人柄については愛読書に書かれていたことしか知らない。それは、陛下の息子である主人公の視点なので、本当はどんな方なのかはわからないのだが……
そんなことを考えている間にも時間は進み、ついに僕達の謁見の番になる。人払いされた廊下を兵士に先導されて歩き、玉座の間に続く扉の前に着く。
陛下に玉座の間で謁見するのは、初めてだ。いつも以上に緊張している。
緊張で息を呑み、扉の先へ進む。
僕達より数段高い位置にある玉座に、シュロム陛下が座っていた。シャンデリアに照らされた金髪は輝き、深紅の瞳は血のように深い色をしている。
悪夢で見たアグノスと面影が重なって、やはりアグノスは王弟の落胤なのだなと実感した。
だけど、なぜだろうか。夜会で対面した時よりも目を惹かれる。ここが玉座の間であることを差し引いても、シュロム陛下の姿を見て、愛読書で読んだ人柄や夜会の時に見ていたものとは違うなにかを感じた。
それは、前世を思い出した影響もあると思うのだが、王へのある種の憧れ……恐ろしさを感じながらも、物語の主人公を直接見たような感じだった。
愛読書では、脇役だったのに……なぜこう感じるのだろうかと疑問だったが、それほどシュロム陛下のオーラがすごいのだと、納得することにした。
シュロム陛下の雰囲気に圧されながらも部屋の中心まで進み、臣下の礼を取る。玉座の間には陛下と警備の兵士、宰相のノウリッジ様しかいなかったが、緊迫した雰囲気が漂っていた。
「面を上げよ」
ノウリッジ様の言葉に顔を上げると、正面にいる陛下の深紅の瞳と視線が交わる。
「グラオザーム侯爵家のディロスだったか。この度のグラオザーム侯爵の訃報は王宮にも届いているが……この時期に私への目通りを願うからにはよほどのことがあるのだろうな?」
僕の出方を窺うような言葉に、僕は緊張で引きつる喉を震わせて言葉を述べた。
「亡きグラオザーム侯爵の不正といくつかの貴族による反乱計画について、告発しに参りました」
静かに、だけどはっきりと告発内容を告げる。領地への悪政に脱税、人身売買。そして、今は亡き王弟の血を引くアグノスを旗頭にしていずれ反乱を起こそうとしていることを。
「なるほど……お前の言いたいことはわかった。それで証拠は? そこまで断言するのならあるのだろう?」
「私の手元にはありません……ですが! 隠し場所ならわかっております!」
侯爵家にはいくつかの隠し部屋があった。執務室と侯爵の私室。そして、地下には隠し通路も。
どれも前世の知識で知ったものだが、侯爵家の屋敷が建てられた当時からあるものだ。この世界が愛読書のとおり、悪夢のとおりであるなら残っているはずだった。
「隠し部屋に隠し通路……だが、そこに証拠がないとしたら、お前は婿養子に入ったグラオザーム家を陥れようとしたことになる。私に狂言を吐いた責任を取る覚悟があるのだろうな? むろん、お前の隣にいるモデスティア伯爵へも累が及ぶぞ」
陛下の言葉は予想していたものだった。
「モデスティア伯爵家は関わっておりません! モデスティア伯爵には、謁見できるようお力添えをいただいただけです!」
もちろん、僕の言葉が信用に足るとは思っていない。でも、僕にできるのは訴えることだけだった。
「お前の言葉を鵜呑みにするつもりはない。だが、グラオザーム侯爵周辺が怪しかったのは事実だ」
陛下が深紅の眼で僕を見下ろす。
「確認が取れるまで、お前には王宮で過ごしてもらう。愚弟の落胤だという子供も迎えに行かせよう」
こうして僕は、王宮に留まることになったのだった。
SIDE シュロム
……これは誰だ? 俺を見据える男を見下ろす。恐れながらも逸らすことはない視線。これがあのディロス・グラオザームなのだろうか?
俺の知るディロス・グラオザーム……ディロス・モデスティアという男は、あまり印象に残らない人物だった。
夜会でモデスティア伯爵に連れられているのを見たのが最初だろう。初見の印象は、よくいる貴族の三男。上の兄二人に比べると小柄で大人しく、控えめな性格のように見えた。
将来は、入り婿として外に出されるか、王宮に文官として働きに来るか……それとも軍に入るか……いや、性格的にも体格的にも軍は無理だな……、そんな判断を下したのを覚えている。
そして、ディロスが成人してすぐに王宮に提出された書類で、グラオザーム侯爵家に婿入りしたと知った。
グラオザーム侯爵であるバリシアは派手好きで、当時から愚弟であるイリスィオと関係があったため、ディロスはお飾りの婿だろうと想像できた。
事実、結婚後見かけたディロスはバリシアの隣で萎縮するように立っていた。
月日が経ち、バリシアの隣に立つディロスは、ただ大人しくバリシアの添え物として存在していた。夜会への入場だけは、バリシアと共にする。ファーストダンスを踊ったら、愛人と踊るバリシアを眺めるように壁際へ。
そして、夜会が終われば、愛人の馬車へ乗り込むバリシアを見送り、一人グラオザーム侯爵家の馬車に乗り込んでいた。
夜会後の話は報告として聞いただけだったが、父王が側妃達にした行いを思い出して眉をひそめた。なぜバリシアは、自分の叔母があれらの行いの被害にあったことを知りながら自らも同じような行動をするのかと。
だが、ある時。ほんの僅かにだがディロスの目に生気が戻っていた。それがなぜかはわからないが、ディロスの中で変化があったのは確かだった。それでもバリシア……グラオザーム侯爵が死ぬ直前の夜会まで、ディロスの目は淀んだままではあったのだが。
それゆえに、ディロスが謁見を希望していると宰相から伝えられた時は耳を疑った。あの生きた人形のような男が生家を頼って謁見を望むとは思えなかったからだ。
しかし、玉座の間で見下ろしたディロスは、今までのディロスとは明らかに違った。告発の場ということもあり、どこか恐れを抱いていたようだが、それでもまっすぐに覚悟を持って俺を見ていた。
その場で語られたものについては王として強い口調で対応したが、以前のディロスを知る者であれば、その言葉に嘘がないことは明らかだった。
「ノウリッジ、ローラン。どう思う」
ディロスとモデスティア伯爵が退室した後、側に控える宰相ノウリッジと、ディロス達からは見えない位置で控えていた側近のローランに問う。
「幼い頃からマルク――モデスティア伯爵を通じて知っておりますが、陛下を謀る度胸はないかと」
「嘘をついているようには見えなかったけどね」
やはり、どちらも俺と同意見であるようだ。
「あれで、嘘ならうちに欲しいくらいだよ」
ローランが肩を竦めたような気配がする。確かに、あれが演技であれば、暗部としての資質もあるだろう。まあ、ありえないが。
「ローラン、早急に子供の確保を。それと……グラオザーム侯爵家の動向も探っておけ」
「はいはい、任されましたっと」
玉座の間からローランの気配が消える。
「ノウリッジは、摘発の準備を軍に指示して、共に捜査を」
「かしこまりました」
頭を下げて王座の間を後にするノウリッジを見送った俺は、忙しくなるだろうとため息を吐いた。
◆◇◆
父上と別れ、僕が通されたのは王宮の一室……おそらく貴族を拘束するための部屋だと思う。
部屋の位置は二階。窓は細く、格子も嵌っていた。ただ、貴族が滞在するのが前提のためか、内装は整えられている。
質のいい毛布の掛けられたベッドに革張りのソファー。ソファーに隣接するテーブルは美しく、窓の格子さえ見なければ客室と言われても納得できそうだ。
見張りであろう王宮騎士が控えているものの、侯爵家の悪事が暴かれるまで過ごすことに不便はないだろう。
あとは、アグノスが無事であればいい。侯爵家の悪事が暴かれた後、アグノスの助命を願うつもりだが……血統を考えると陛下のお考え次第だろう。
今は亡き王弟イリスィオ殿下は、バリシアと同じく恋多き人で、現国王シュロム陛下が即位する前に馬車の事故でお亡くなりになっている。
イリスィオ殿下が亡くなったのは、アグノスが生まれる半年前。バリシアとの関係は、僕がバリシアと結婚する前から続いていたらしい。
二人は、類友でもあったようで、互いの愛人関係を自慢し合っていたようだった。老いも若いも、派閥すら関係なく、たくさんの愛人と関係を持っていた二人。多くの愛人を引き連れて夜会に参加するその姿は、社交界の花のようなものだったのかもしれない。
だが、その振る舞いゆえにイリスィオ殿下は、婚約を解消されたと聞いている。いっそのこと二人が婚約したら良かったのにとも思うが、そうしたら可愛いアグノスが僕の息子でなくなるからそれは考えものだ。
それに、あの二人がいい親である姿は想像できないし……
親や庇護者に恵まれなかったアグノスの行く末が、あの悪夢の光景だ。僕が侯爵家の悪事を暴露したことによって変わるかもしれないが……不安でならない。物語を崩すことによって未来がどうなるかなど僕には予想もつかない。
思考が悪い方向にいっている。少しでも気を紛らわせようと……僕は、この世界の未来を書き記していた愛読書について思い出すことにした。
『シィーズ国戦記』。それが僕が愛読していたファンタジー戦記のタイトルだ。
内容はいたってシンプルで、今から十二年ほど後、アグノスを旗頭にした反乱が原因で疲弊した我が国は他国から狙われ、長い長い戦火に巻き込まれる。
主人公は、第二王子であるティグレ王子。シュロム陛下の息子であり、レーヌ王太子妃が自身の命と引き換えに産み落とされた方だ。
母であるレーヌ王太子妃が自分を産み落とし亡くなったこと。第一王子で兄であるイデアル王子が賢く優秀で王太子として優れていたこと。その二つに罪悪感と劣等感を抱きつつも、弟として愛してくれる兄を得意の武勇で支えるべく、王子でありながら国軍に所属し、頭角を現す――というところから物語が始まる。
構成としては三部作で、アグノスが旗頭となった反乱は第一部。第二部が隣国との戦争で、第三部が大陸全土を巻き込む戦乱の物語となる。
始まりの反乱は、国中を戦火が包み、第一部の中盤で裏切者の手によりシュロム陛下は命を落とす。
王位をイデアル殿下が継ぎ、王弟となったティグレ殿下が父の仇を取るべく、兵を指揮し、王都へ兵を進めていた反乱軍を制圧。
捕らえられたアグノスは断頭台の上で命を落とし、その首を掲げてティグレ殿下は英雄となる。
その後、隣国との戦争に勝ち、大陸の戦乱をも収めたティグレ殿下は軍神と呼ばれるようになり、彼の戦乱の物語はそこで終わった。
だが、その後の話が書かれた最後の数ページで、恨みを持った国民による狂刃によってティグレ殿下は倒れ、軍神の死を悼む人々の姿で物語は閉じるのである。
……思い出さなければよかった。前世で憧れた主人公が愛息子の首を掲げるシーン、そして主人公が狂刃に倒れるシーンを想像して、さらに気分が沈んでしまう。
あの光景を見たくないからこうして動いているんだけど……ああ、やっぱり不安だ。
不安に苛まれながらも時間は進む。運ばれてきた夕食を取り、また一人の時間を過ごしていると、部屋の扉が叩かれる。視線を向けると、見張りの兵士が開けた扉の先にシュロム陛下が立っていた。
「っ!」
ソファーから立ち上がり、臣下の礼を取る。な、なんで陛下がここに!?
「非公式のものだから気楽にしていい」
その言葉に頭を上げるが、気楽にしてって……いや、無理だ。緊張する。
「座らないのか?」
部屋に入ってきたシュロム陛下は僕の前のソファーに座り、まるでこの部屋の主のように促した。断る度胸はないので、恐る恐る座ると、先ほど一人でいた時とは違う沈黙が部屋に流れる。
な、なんで? なんでここに? まっすぐ僕を見つめるシュロム陛下に、僕は視線を彷徨わせる。シュロム陛下が口を開いた。
「この度の告発は助かった。貴族の一部がきな臭い雰囲気を出しているのは気づいていたのだが、狸ばかりで隙を見せんから宰相と共に頭を抱えていたのだ」
「……信じて、いただけたんですか?」
「なぜ、入り婿のお前が知っているのかというのが釈然としないが……七割程度は」
シュロム陛下の言葉にほんの少しだけ安心する。正直、一割も信じてもらえないと思っていたからだ。
「今回、証拠が見つからなかったとしても、お前の実家であるモデスティア伯爵家に累を及ぼすことはしない。だが、お前は別だ。それだけは覚悟しておけ」
「……わかっています」
告発しても証拠が見つからなければ僕が責任を取らなければならない。それでも、実家に累が及ばないと言ってもらえただけで心に引っかかっていたものが取れた気がした。
「私のことはどうなっても構いません。ですが、アグノスはどうなるのでしょうか」
「血の繋がらない息子のことを気にかけるのか?」
理解ができないといった表情を浮かべるシュロム陛下。血を繋ぐことが役目である王族や貴族には理解できない考えなのかもしれない。
「アグノスは、あの家で唯一私を必要としてくれたんです。最初は、本当の父親ではない私が関わりを持つべきではないと思っていましたが……それでも父親と慕ってくれるあの子がすごく愛おしかったんです」
関わりを持つようになったのは、あの子が喋れるようになってから。最初は父様と呼ばれ慕われることに戸惑っていたけれど、すぐに、もっと早くから関わりを持てばよかったと後悔した。もっと早くから関わっていれば、赤ちゃんの時のアグノスの可愛い姿も記憶に残せたのにと。
「……お前は貴族としては変わっているようだな」
「そうかもしれません。でも、あの子の父親でいられるのならそれでいいです」
面白そうな顔をしているシュロム陛下に心のまま素直に告げる。僕にとってアグノスはそれほど可愛い子供なのだから。
「そうか」
シュロム陛下は考え込むように口を閉じる。
「……お前の息子の処遇については考えておこう」
僕の目を深紅の瞳でまっすぐ見てそう告げた。その瞳から、なにかを読み取ることはできない。だけど、なぜか悪い予感はしなかった。
「ああ、そうだ。保護に向かった者から報告があった。無事に保護し、今はお前と同じように王宮の一室で過ごしている。子供に慣れた侍女をつけているから安心するといい」
「っ!? あ、ありがとうございます!」
アグノスが無事王宮に着いたことを知り、心から安堵する。これで、リスティヒの影響から逃れることができただろう。
「それと……モデスティア伯爵と夫人からの報告で、魔道具でアグノスの髪色を変えていたとあったのだが……その魔道具は誰が渡したものだ?」
探るような視線に息を呑む。
「リスティヒです。グラオザーム侯爵家の筆頭執事の」
「……そうか。ありがとう」
僕の答えを聞き、シュロム陛下は俯いてなにかを考えこむようにしていたが、やがて視線を上げる。
「さて、邪魔をしたな。今日はゆっくりと休むといい」
難しい表情から一転、シュロム陛下は笑みを浮かべて立ち上がる。
「はい。お心遣いありがとうございます」
僕も立ち上がり、深く頭を下げて、部屋を出ていく彼を見送った。
扉が閉まり、部屋の中に僕と見張りの王宮騎士だけが残される。安堵の息が漏れた。
それと同時に粗相をしていないか心配になったが、考えてみたら告発するために無理に時間を取ってもらったのだった。今思うと、それが一番無礼だったな、と今更ながらに自分の無謀さに苦笑した。
でも、まさかこんなに近くでシュロム陛下と話すなんて……。バリシアといた時は、僕のことなんて一瞥しかなさらなかったのにわざわざ気にかけてくださるとは。
玉座の間でも思ったが、近くで見ると恐ろしく美形だったな。成長したアグノスとどこか似ていたものの、僕より十二歳上なのと、国王として重い責務を背負っているからかすごく落ち着いた雰囲気がある。
作中でも賢王と言われていた。こうして話してみても、王としての厳しさもあるが優しい人だと思う。お飾りとして入り婿をしていた僕とはなにもかも違う人だ。とても素晴らしい人だと思う。
あの方が死んでしまうのも防げるだろうか……。ふとそんな思いが頭を過る。この告発がうまくいかなければ、僕は責任を取って命を落とす可能性もある。だから、未来を知ることはできないかもしれないけど……それでも、小説の流れを回避することができるのであれば、アグノスの死だけでなく、シュロム陛下とティグレ殿下の死も回避できるかもしれない。
そうしたら、作中、なにも為さずに死んだ僕よりは、意味のある死を迎えることができるんじゃなかろうか。
もちろん、告発が成功して僕もアグノスも、シュロム陛下もティグレ殿下も、命が助かるのが最高の結果だ。でも、僕の命以外は十年以上先の話。全てがわかるのは遠い遠い先だった。
2 新たな生活
僕が王宮の一室に入れられて一夜が明けた。慣れないベッドだったのでなかなか寝つけず、疲れが残っている。だけど、なにもせずに寝ているのも落ち着かず、寝巻から用意されていた服に着替えた。
身支度を整えたところで、部屋の扉が叩かれる。朝食の時間には早いので首を傾げていたら、開いた扉から小さな黒い影が飛び込んできた。
「とうさまー!」
「アグノス!?」
それは、リスティヒから渡されたあの魔道具をつけたアグノスだった。僕は驚きながらもめいっぱい両手を広げて、走ってきたアグノスの体をしゃがんで抱きとめる。
「とうさま! とうさま!」
もう離してたまるものかというように、ぎゅうううっと抱きついてくるアグノス。昨日王宮に到着して侍女も付けてもらったと聞いたが……見知らぬ場所に一人で不安だったのだろう。
「大丈夫。ここにいるよ」
しがみつくアグノスの背中を撫で、アグノスの側にいた年配の侍女を見上げる。
「連れてきてくださってありがとうございます。でも、どうして……」
「陛下のご指示です。幼い子供を親と離すのは可哀想だと」
もしかすると、二度と会うことができないかもしれないと考えていただけに、本当にうれしかった。
「……そうですか。陛下にも感謝していますと伝えていただけますか?」
「かしこまりました」
陛下の恩情に心が温かくなる。
侍女が部屋から出ていき、アグノスと二人、見張りの王宮騎士と共に残された。
「アグノス。いい子にしていたかい?」
「……うん」
涙を浮かべぐずっていたアグノスが落ち着いたのを見計らって声をかけると、小さく頷きが返ってくる。
「そっか。アグノスは強い子だね」
一人で頑張っていただろうアグノスを抱えたままソファーに座った。
「今日からは父様と一緒に過ごそう」
「よるも?」
「うん、一緒に寝ようか」
不安げに瞳を揺らすアグノスの頬に残る涙を拭いながら頷くと、ようやくアグノスの顔に笑みが戻る。
「うん……!」
今日はいっぱい甘やかそうと心に決め、小さな小さなその体を抱き締めた。
アグノスと一緒に過ごせることを喜んでいると、お昼を過ぎた頃、また部屋を訪れる人がいた。宰相であるノウリッジ様だ。
「グラオザーム侯爵家への監査が行われた」
王宮の動きが早いことに驚く。まさか、昨日の今日で監査を行うとは思っていなかったからだ。
「君の言っていたとおり、執務室の隠し部屋から証拠となる書類を確認できた。関与の疑われる筆頭執事を捕縛したが、他にも関与している貴族はいるだろう。君には証言者として今しばらくここに滞在してもらうことになった。不自由をかけるが身の安全のためだと理解してもらいたい」
「それは、わかっています」
父を通じて、幼い頃より顔を合わせていたノウリッジ様の宰相としての言葉と、どこか労るような声に素直に頷く。
ここに入れられていることも、アグノスと一緒に過ごせていることも、陛下やノウリッジ様の優しさゆえだろう。それに反対する理由などなかった。
「……それにしても、随分と懐いているようだね」
僕の腕の中で安心したように眠るアグノスを見て、ノウリッジ様が微笑む。シュロム陛下に忠誠を誓うノウリッジ様にとっては厄介事の種でしかないだろうけど、その笑みは優しいものだった。
「ずっと、二人だったので」
ポツリと零した僕の言葉に、ノウリッジ様の表情が曇った。だが、すぐに宰相としての表情に戻る。
「そうだ。彼女はここにいさせるから、なにかあれば彼女に伝えてくれ」
そう言って、ノウリッジ様はアグノスを連れてきてくれた侍女を示す。ノウリッジ様と共に再度訪れた彼女は、静かに一礼した。
「エリーと申します。よろしくお願いいたします、ディロス様」
頭を上げ笑みを浮かべた彼女は温和そうな女性で、僕の両親やノウリッジ様より年上に見える。侍女の中でも地位が高そうに見えるのだが本当にいいのだろうか?
「よろしいのですか?」
「彼女は乳母の経験もあるから、君の助けになるだろう」
確かに乳母の経験がある人なら、まだ幼いアグノスを任せるのに適任だと思う。僕の姿を見るまでアグノスはいい子にしていたようだし、アグノスも一日だけとはいえ一緒にいた人の方が安心できるかもしれない。
「必要であれば、従者をつけてもいいがどうする?」
「いえ、彼女だけで大丈夫です」
ノウリッジ様の申し出を断る。部屋は広いけれど、側に人のいる生活を送ってこなかったから、人は少ない方が気が楽だ。
「わかった。改めて進展があれば、知らせに来る」
そう告げて部屋を後にするノウリッジ様を僕は見送ったのだった。
父上に取り次ぎをお願いしてから二日。実家で穏やかな時間を過ごし、今……僕は父上と共に王宮を訪れていた。
アグノスは、母上と僕の身代わりを頼んだ次兄が見てくれている。なぜ、兄様に僕の身代わりを頼んだかというと、モデスティア伯爵家の周りに見慣れない人間がうろついているのを警備の者が発見したからだった。
おそらく、リスティヒが手配した見張りだろう。その目を掻い潜るべく僕は、次兄で文官として王宮勤めをしている兄様の服を借り、変装して家を出たのだ。兄様にも僕に変装して一日を過ごしてもらうことになっている。
二日前、王宮から帰ってきた兄様に突然お願いしたにもかかわらず、二つ返事で快諾し、その翌日に今日の有休をもぎ取った兄様の手腕はすごい。
もしなにかあったら兄様にも影響があるだろうに……
「訳ありな甥っ子を連れてきた弟の願いを聞かない兄はいないだろう?」
と、当たり前のように言ってくれる兄様には本当に感謝しかなかった。
そんな兄様の協力もあって、僕は無事に王宮にいる。実家を頼ったものの、まさか本当にバリシアの葬儀の前に謁見できるとは思わなかった。
父上は、僕のただならぬ様子に古い友人であった侯爵様……宰相のノウリッジ様にその日のうちに渡りをつけてくれたらしい。
それでもたった二日というのは異例だ。王宮でもなにか気づいていたのかもしれない。
馬車の中で変装を解いた後、案内された待機室で謁見の順番が来るのを父上と静かに待つ。他家に婿入りした男が実家の父親と共に謁見するというのは情けない話だ。
自分の情けなさにため息を吐きながらも、僕はこれから謁見する国王……シュロム陛下について思い起こす。
前世の愛読書では、一巻の終わりに暗殺された脇役……に近い扱いだったけど、その偉業を今の僕はよく知っている。
好色であった先王シュトルツが多くの離宮を建て、その数だけ……いや、それ以上に側妃を集めた。
集められた側妃の扱いは、あまり良いとはいえず、病に倒れる者、心を病み自ら命を絶つ者などもいたと聞いている。入れ替わりも激しく、その度に離宮は建て替えられ、国庫は傾き、その分だけ民から税を集めた。
欲望のために娘達を消費される貴族、生活が困窮するまで税を搾り取られる平民。どちらからの不満も積もりに積もった頃、先王は病に倒れた。
命は取り留めたものの、政務ができる状態ではなく、生きているのがやっと。そんな先王に貴族達は神罰が下ったのだと口にしたが、一方でこの荒れ果てた国をどうするか、という問題が出てきた。そんな国を立て直したのが現国王シュロム・シィーズ陛下である。
僕より十二歳年上で、先王が倒れた時の年齢は、二十五。そこから三年前に先王が亡くなるまで、王太子として政務を続け、即位したその日は国民全員から祝福されたという。
僕自身も、シュロム陛下と顔を合わせたことが何度かあった。王家主催の夜会に参加した際にバリシアと共に挨拶したのだ。僕は、バリシアの隣で微笑んでいただけで、挨拶以外の言葉を喋ることは許されなかったけど……
だから、シュロム陛下の人柄については愛読書に書かれていたことしか知らない。それは、陛下の息子である主人公の視点なので、本当はどんな方なのかはわからないのだが……
そんなことを考えている間にも時間は進み、ついに僕達の謁見の番になる。人払いされた廊下を兵士に先導されて歩き、玉座の間に続く扉の前に着く。
陛下に玉座の間で謁見するのは、初めてだ。いつも以上に緊張している。
緊張で息を呑み、扉の先へ進む。
僕達より数段高い位置にある玉座に、シュロム陛下が座っていた。シャンデリアに照らされた金髪は輝き、深紅の瞳は血のように深い色をしている。
悪夢で見たアグノスと面影が重なって、やはりアグノスは王弟の落胤なのだなと実感した。
だけど、なぜだろうか。夜会で対面した時よりも目を惹かれる。ここが玉座の間であることを差し引いても、シュロム陛下の姿を見て、愛読書で読んだ人柄や夜会の時に見ていたものとは違うなにかを感じた。
それは、前世を思い出した影響もあると思うのだが、王へのある種の憧れ……恐ろしさを感じながらも、物語の主人公を直接見たような感じだった。
愛読書では、脇役だったのに……なぜこう感じるのだろうかと疑問だったが、それほどシュロム陛下のオーラがすごいのだと、納得することにした。
シュロム陛下の雰囲気に圧されながらも部屋の中心まで進み、臣下の礼を取る。玉座の間には陛下と警備の兵士、宰相のノウリッジ様しかいなかったが、緊迫した雰囲気が漂っていた。
「面を上げよ」
ノウリッジ様の言葉に顔を上げると、正面にいる陛下の深紅の瞳と視線が交わる。
「グラオザーム侯爵家のディロスだったか。この度のグラオザーム侯爵の訃報は王宮にも届いているが……この時期に私への目通りを願うからにはよほどのことがあるのだろうな?」
僕の出方を窺うような言葉に、僕は緊張で引きつる喉を震わせて言葉を述べた。
「亡きグラオザーム侯爵の不正といくつかの貴族による反乱計画について、告発しに参りました」
静かに、だけどはっきりと告発内容を告げる。領地への悪政に脱税、人身売買。そして、今は亡き王弟の血を引くアグノスを旗頭にしていずれ反乱を起こそうとしていることを。
「なるほど……お前の言いたいことはわかった。それで証拠は? そこまで断言するのならあるのだろう?」
「私の手元にはありません……ですが! 隠し場所ならわかっております!」
侯爵家にはいくつかの隠し部屋があった。執務室と侯爵の私室。そして、地下には隠し通路も。
どれも前世の知識で知ったものだが、侯爵家の屋敷が建てられた当時からあるものだ。この世界が愛読書のとおり、悪夢のとおりであるなら残っているはずだった。
「隠し部屋に隠し通路……だが、そこに証拠がないとしたら、お前は婿養子に入ったグラオザーム家を陥れようとしたことになる。私に狂言を吐いた責任を取る覚悟があるのだろうな? むろん、お前の隣にいるモデスティア伯爵へも累が及ぶぞ」
陛下の言葉は予想していたものだった。
「モデスティア伯爵家は関わっておりません! モデスティア伯爵には、謁見できるようお力添えをいただいただけです!」
もちろん、僕の言葉が信用に足るとは思っていない。でも、僕にできるのは訴えることだけだった。
「お前の言葉を鵜呑みにするつもりはない。だが、グラオザーム侯爵周辺が怪しかったのは事実だ」
陛下が深紅の眼で僕を見下ろす。
「確認が取れるまで、お前には王宮で過ごしてもらう。愚弟の落胤だという子供も迎えに行かせよう」
こうして僕は、王宮に留まることになったのだった。
SIDE シュロム
……これは誰だ? 俺を見据える男を見下ろす。恐れながらも逸らすことはない視線。これがあのディロス・グラオザームなのだろうか?
俺の知るディロス・グラオザーム……ディロス・モデスティアという男は、あまり印象に残らない人物だった。
夜会でモデスティア伯爵に連れられているのを見たのが最初だろう。初見の印象は、よくいる貴族の三男。上の兄二人に比べると小柄で大人しく、控えめな性格のように見えた。
将来は、入り婿として外に出されるか、王宮に文官として働きに来るか……それとも軍に入るか……いや、性格的にも体格的にも軍は無理だな……、そんな判断を下したのを覚えている。
そして、ディロスが成人してすぐに王宮に提出された書類で、グラオザーム侯爵家に婿入りしたと知った。
グラオザーム侯爵であるバリシアは派手好きで、当時から愚弟であるイリスィオと関係があったため、ディロスはお飾りの婿だろうと想像できた。
事実、結婚後見かけたディロスはバリシアの隣で萎縮するように立っていた。
月日が経ち、バリシアの隣に立つディロスは、ただ大人しくバリシアの添え物として存在していた。夜会への入場だけは、バリシアと共にする。ファーストダンスを踊ったら、愛人と踊るバリシアを眺めるように壁際へ。
そして、夜会が終われば、愛人の馬車へ乗り込むバリシアを見送り、一人グラオザーム侯爵家の馬車に乗り込んでいた。
夜会後の話は報告として聞いただけだったが、父王が側妃達にした行いを思い出して眉をひそめた。なぜバリシアは、自分の叔母があれらの行いの被害にあったことを知りながら自らも同じような行動をするのかと。
だが、ある時。ほんの僅かにだがディロスの目に生気が戻っていた。それがなぜかはわからないが、ディロスの中で変化があったのは確かだった。それでもバリシア……グラオザーム侯爵が死ぬ直前の夜会まで、ディロスの目は淀んだままではあったのだが。
それゆえに、ディロスが謁見を希望していると宰相から伝えられた時は耳を疑った。あの生きた人形のような男が生家を頼って謁見を望むとは思えなかったからだ。
しかし、玉座の間で見下ろしたディロスは、今までのディロスとは明らかに違った。告発の場ということもあり、どこか恐れを抱いていたようだが、それでもまっすぐに覚悟を持って俺を見ていた。
その場で語られたものについては王として強い口調で対応したが、以前のディロスを知る者であれば、その言葉に嘘がないことは明らかだった。
「ノウリッジ、ローラン。どう思う」
ディロスとモデスティア伯爵が退室した後、側に控える宰相ノウリッジと、ディロス達からは見えない位置で控えていた側近のローランに問う。
「幼い頃からマルク――モデスティア伯爵を通じて知っておりますが、陛下を謀る度胸はないかと」
「嘘をついているようには見えなかったけどね」
やはり、どちらも俺と同意見であるようだ。
「あれで、嘘ならうちに欲しいくらいだよ」
ローランが肩を竦めたような気配がする。確かに、あれが演技であれば、暗部としての資質もあるだろう。まあ、ありえないが。
「ローラン、早急に子供の確保を。それと……グラオザーム侯爵家の動向も探っておけ」
「はいはい、任されましたっと」
玉座の間からローランの気配が消える。
「ノウリッジは、摘発の準備を軍に指示して、共に捜査を」
「かしこまりました」
頭を下げて王座の間を後にするノウリッジを見送った俺は、忙しくなるだろうとため息を吐いた。
◆◇◆
父上と別れ、僕が通されたのは王宮の一室……おそらく貴族を拘束するための部屋だと思う。
部屋の位置は二階。窓は細く、格子も嵌っていた。ただ、貴族が滞在するのが前提のためか、内装は整えられている。
質のいい毛布の掛けられたベッドに革張りのソファー。ソファーに隣接するテーブルは美しく、窓の格子さえ見なければ客室と言われても納得できそうだ。
見張りであろう王宮騎士が控えているものの、侯爵家の悪事が暴かれるまで過ごすことに不便はないだろう。
あとは、アグノスが無事であればいい。侯爵家の悪事が暴かれた後、アグノスの助命を願うつもりだが……血統を考えると陛下のお考え次第だろう。
今は亡き王弟イリスィオ殿下は、バリシアと同じく恋多き人で、現国王シュロム陛下が即位する前に馬車の事故でお亡くなりになっている。
イリスィオ殿下が亡くなったのは、アグノスが生まれる半年前。バリシアとの関係は、僕がバリシアと結婚する前から続いていたらしい。
二人は、類友でもあったようで、互いの愛人関係を自慢し合っていたようだった。老いも若いも、派閥すら関係なく、たくさんの愛人と関係を持っていた二人。多くの愛人を引き連れて夜会に参加するその姿は、社交界の花のようなものだったのかもしれない。
だが、その振る舞いゆえにイリスィオ殿下は、婚約を解消されたと聞いている。いっそのこと二人が婚約したら良かったのにとも思うが、そうしたら可愛いアグノスが僕の息子でなくなるからそれは考えものだ。
それに、あの二人がいい親である姿は想像できないし……
親や庇護者に恵まれなかったアグノスの行く末が、あの悪夢の光景だ。僕が侯爵家の悪事を暴露したことによって変わるかもしれないが……不安でならない。物語を崩すことによって未来がどうなるかなど僕には予想もつかない。
思考が悪い方向にいっている。少しでも気を紛らわせようと……僕は、この世界の未来を書き記していた愛読書について思い出すことにした。
『シィーズ国戦記』。それが僕が愛読していたファンタジー戦記のタイトルだ。
内容はいたってシンプルで、今から十二年ほど後、アグノスを旗頭にした反乱が原因で疲弊した我が国は他国から狙われ、長い長い戦火に巻き込まれる。
主人公は、第二王子であるティグレ王子。シュロム陛下の息子であり、レーヌ王太子妃が自身の命と引き換えに産み落とされた方だ。
母であるレーヌ王太子妃が自分を産み落とし亡くなったこと。第一王子で兄であるイデアル王子が賢く優秀で王太子として優れていたこと。その二つに罪悪感と劣等感を抱きつつも、弟として愛してくれる兄を得意の武勇で支えるべく、王子でありながら国軍に所属し、頭角を現す――というところから物語が始まる。
構成としては三部作で、アグノスが旗頭となった反乱は第一部。第二部が隣国との戦争で、第三部が大陸全土を巻き込む戦乱の物語となる。
始まりの反乱は、国中を戦火が包み、第一部の中盤で裏切者の手によりシュロム陛下は命を落とす。
王位をイデアル殿下が継ぎ、王弟となったティグレ殿下が父の仇を取るべく、兵を指揮し、王都へ兵を進めていた反乱軍を制圧。
捕らえられたアグノスは断頭台の上で命を落とし、その首を掲げてティグレ殿下は英雄となる。
その後、隣国との戦争に勝ち、大陸の戦乱をも収めたティグレ殿下は軍神と呼ばれるようになり、彼の戦乱の物語はそこで終わった。
だが、その後の話が書かれた最後の数ページで、恨みを持った国民による狂刃によってティグレ殿下は倒れ、軍神の死を悼む人々の姿で物語は閉じるのである。
……思い出さなければよかった。前世で憧れた主人公が愛息子の首を掲げるシーン、そして主人公が狂刃に倒れるシーンを想像して、さらに気分が沈んでしまう。
あの光景を見たくないからこうして動いているんだけど……ああ、やっぱり不安だ。
不安に苛まれながらも時間は進む。運ばれてきた夕食を取り、また一人の時間を過ごしていると、部屋の扉が叩かれる。視線を向けると、見張りの兵士が開けた扉の先にシュロム陛下が立っていた。
「っ!」
ソファーから立ち上がり、臣下の礼を取る。な、なんで陛下がここに!?
「非公式のものだから気楽にしていい」
その言葉に頭を上げるが、気楽にしてって……いや、無理だ。緊張する。
「座らないのか?」
部屋に入ってきたシュロム陛下は僕の前のソファーに座り、まるでこの部屋の主のように促した。断る度胸はないので、恐る恐る座ると、先ほど一人でいた時とは違う沈黙が部屋に流れる。
な、なんで? なんでここに? まっすぐ僕を見つめるシュロム陛下に、僕は視線を彷徨わせる。シュロム陛下が口を開いた。
「この度の告発は助かった。貴族の一部がきな臭い雰囲気を出しているのは気づいていたのだが、狸ばかりで隙を見せんから宰相と共に頭を抱えていたのだ」
「……信じて、いただけたんですか?」
「なぜ、入り婿のお前が知っているのかというのが釈然としないが……七割程度は」
シュロム陛下の言葉にほんの少しだけ安心する。正直、一割も信じてもらえないと思っていたからだ。
「今回、証拠が見つからなかったとしても、お前の実家であるモデスティア伯爵家に累を及ぼすことはしない。だが、お前は別だ。それだけは覚悟しておけ」
「……わかっています」
告発しても証拠が見つからなければ僕が責任を取らなければならない。それでも、実家に累が及ばないと言ってもらえただけで心に引っかかっていたものが取れた気がした。
「私のことはどうなっても構いません。ですが、アグノスはどうなるのでしょうか」
「血の繋がらない息子のことを気にかけるのか?」
理解ができないといった表情を浮かべるシュロム陛下。血を繋ぐことが役目である王族や貴族には理解できない考えなのかもしれない。
「アグノスは、あの家で唯一私を必要としてくれたんです。最初は、本当の父親ではない私が関わりを持つべきではないと思っていましたが……それでも父親と慕ってくれるあの子がすごく愛おしかったんです」
関わりを持つようになったのは、あの子が喋れるようになってから。最初は父様と呼ばれ慕われることに戸惑っていたけれど、すぐに、もっと早くから関わりを持てばよかったと後悔した。もっと早くから関わっていれば、赤ちゃんの時のアグノスの可愛い姿も記憶に残せたのにと。
「……お前は貴族としては変わっているようだな」
「そうかもしれません。でも、あの子の父親でいられるのならそれでいいです」
面白そうな顔をしているシュロム陛下に心のまま素直に告げる。僕にとってアグノスはそれほど可愛い子供なのだから。
「そうか」
シュロム陛下は考え込むように口を閉じる。
「……お前の息子の処遇については考えておこう」
僕の目を深紅の瞳でまっすぐ見てそう告げた。その瞳から、なにかを読み取ることはできない。だけど、なぜか悪い予感はしなかった。
「ああ、そうだ。保護に向かった者から報告があった。無事に保護し、今はお前と同じように王宮の一室で過ごしている。子供に慣れた侍女をつけているから安心するといい」
「っ!? あ、ありがとうございます!」
アグノスが無事王宮に着いたことを知り、心から安堵する。これで、リスティヒの影響から逃れることができただろう。
「それと……モデスティア伯爵と夫人からの報告で、魔道具でアグノスの髪色を変えていたとあったのだが……その魔道具は誰が渡したものだ?」
探るような視線に息を呑む。
「リスティヒです。グラオザーム侯爵家の筆頭執事の」
「……そうか。ありがとう」
僕の答えを聞き、シュロム陛下は俯いてなにかを考えこむようにしていたが、やがて視線を上げる。
「さて、邪魔をしたな。今日はゆっくりと休むといい」
難しい表情から一転、シュロム陛下は笑みを浮かべて立ち上がる。
「はい。お心遣いありがとうございます」
僕も立ち上がり、深く頭を下げて、部屋を出ていく彼を見送った。
扉が閉まり、部屋の中に僕と見張りの王宮騎士だけが残される。安堵の息が漏れた。
それと同時に粗相をしていないか心配になったが、考えてみたら告発するために無理に時間を取ってもらったのだった。今思うと、それが一番無礼だったな、と今更ながらに自分の無謀さに苦笑した。
でも、まさかこんなに近くでシュロム陛下と話すなんて……。バリシアといた時は、僕のことなんて一瞥しかなさらなかったのにわざわざ気にかけてくださるとは。
玉座の間でも思ったが、近くで見ると恐ろしく美形だったな。成長したアグノスとどこか似ていたものの、僕より十二歳上なのと、国王として重い責務を背負っているからかすごく落ち着いた雰囲気がある。
作中でも賢王と言われていた。こうして話してみても、王としての厳しさもあるが優しい人だと思う。お飾りとして入り婿をしていた僕とはなにもかも違う人だ。とても素晴らしい人だと思う。
あの方が死んでしまうのも防げるだろうか……。ふとそんな思いが頭を過る。この告発がうまくいかなければ、僕は責任を取って命を落とす可能性もある。だから、未来を知ることはできないかもしれないけど……それでも、小説の流れを回避することができるのであれば、アグノスの死だけでなく、シュロム陛下とティグレ殿下の死も回避できるかもしれない。
そうしたら、作中、なにも為さずに死んだ僕よりは、意味のある死を迎えることができるんじゃなかろうか。
もちろん、告発が成功して僕もアグノスも、シュロム陛下もティグレ殿下も、命が助かるのが最高の結果だ。でも、僕の命以外は十年以上先の話。全てがわかるのは遠い遠い先だった。
2 新たな生活
僕が王宮の一室に入れられて一夜が明けた。慣れないベッドだったのでなかなか寝つけず、疲れが残っている。だけど、なにもせずに寝ているのも落ち着かず、寝巻から用意されていた服に着替えた。
身支度を整えたところで、部屋の扉が叩かれる。朝食の時間には早いので首を傾げていたら、開いた扉から小さな黒い影が飛び込んできた。
「とうさまー!」
「アグノス!?」
それは、リスティヒから渡されたあの魔道具をつけたアグノスだった。僕は驚きながらもめいっぱい両手を広げて、走ってきたアグノスの体をしゃがんで抱きとめる。
「とうさま! とうさま!」
もう離してたまるものかというように、ぎゅうううっと抱きついてくるアグノス。昨日王宮に到着して侍女も付けてもらったと聞いたが……見知らぬ場所に一人で不安だったのだろう。
「大丈夫。ここにいるよ」
しがみつくアグノスの背中を撫で、アグノスの側にいた年配の侍女を見上げる。
「連れてきてくださってありがとうございます。でも、どうして……」
「陛下のご指示です。幼い子供を親と離すのは可哀想だと」
もしかすると、二度と会うことができないかもしれないと考えていただけに、本当にうれしかった。
「……そうですか。陛下にも感謝していますと伝えていただけますか?」
「かしこまりました」
陛下の恩情に心が温かくなる。
侍女が部屋から出ていき、アグノスと二人、見張りの王宮騎士と共に残された。
「アグノス。いい子にしていたかい?」
「……うん」
涙を浮かべぐずっていたアグノスが落ち着いたのを見計らって声をかけると、小さく頷きが返ってくる。
「そっか。アグノスは強い子だね」
一人で頑張っていただろうアグノスを抱えたままソファーに座った。
「今日からは父様と一緒に過ごそう」
「よるも?」
「うん、一緒に寝ようか」
不安げに瞳を揺らすアグノスの頬に残る涙を拭いながら頷くと、ようやくアグノスの顔に笑みが戻る。
「うん……!」
今日はいっぱい甘やかそうと心に決め、小さな小さなその体を抱き締めた。
アグノスと一緒に過ごせることを喜んでいると、お昼を過ぎた頃、また部屋を訪れる人がいた。宰相であるノウリッジ様だ。
「グラオザーム侯爵家への監査が行われた」
王宮の動きが早いことに驚く。まさか、昨日の今日で監査を行うとは思っていなかったからだ。
「君の言っていたとおり、執務室の隠し部屋から証拠となる書類を確認できた。関与の疑われる筆頭執事を捕縛したが、他にも関与している貴族はいるだろう。君には証言者として今しばらくここに滞在してもらうことになった。不自由をかけるが身の安全のためだと理解してもらいたい」
「それは、わかっています」
父を通じて、幼い頃より顔を合わせていたノウリッジ様の宰相としての言葉と、どこか労るような声に素直に頷く。
ここに入れられていることも、アグノスと一緒に過ごせていることも、陛下やノウリッジ様の優しさゆえだろう。それに反対する理由などなかった。
「……それにしても、随分と懐いているようだね」
僕の腕の中で安心したように眠るアグノスを見て、ノウリッジ様が微笑む。シュロム陛下に忠誠を誓うノウリッジ様にとっては厄介事の種でしかないだろうけど、その笑みは優しいものだった。
「ずっと、二人だったので」
ポツリと零した僕の言葉に、ノウリッジ様の表情が曇った。だが、すぐに宰相としての表情に戻る。
「そうだ。彼女はここにいさせるから、なにかあれば彼女に伝えてくれ」
そう言って、ノウリッジ様はアグノスを連れてきてくれた侍女を示す。ノウリッジ様と共に再度訪れた彼女は、静かに一礼した。
「エリーと申します。よろしくお願いいたします、ディロス様」
頭を上げ笑みを浮かべた彼女は温和そうな女性で、僕の両親やノウリッジ様より年上に見える。侍女の中でも地位が高そうに見えるのだが本当にいいのだろうか?
「よろしいのですか?」
「彼女は乳母の経験もあるから、君の助けになるだろう」
確かに乳母の経験がある人なら、まだ幼いアグノスを任せるのに適任だと思う。僕の姿を見るまでアグノスはいい子にしていたようだし、アグノスも一日だけとはいえ一緒にいた人の方が安心できるかもしれない。
「必要であれば、従者をつけてもいいがどうする?」
「いえ、彼女だけで大丈夫です」
ノウリッジ様の申し出を断る。部屋は広いけれど、側に人のいる生活を送ってこなかったから、人は少ない方が気が楽だ。
「わかった。改めて進展があれば、知らせに来る」
そう告げて部屋を後にするノウリッジ様を僕は見送ったのだった。
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