失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話

本見りん

文字の大きさ
14 / 40

11

しおりを挟む



「ねえ、誠司さん。……まだ何も解決した訳ではないけれど、以前の沙良ちゃんに戻ってくれて私は本当に安心したわ」


 あれから少し疲れた様子の沙良を彼女の為に可愛く誂えた部屋に案内して休ませた。
 応接間に戻った綾子は心から安堵しながら夫誠司に語りかけ、誠司も柔らかい表情で頷く。次男光樹はもう自分の部屋に戻っていたのでここには夫婦2人だ。


「……それと検査の結果にもね。少し弱っているけれど虐待などの形跡もなく特に身体に異常は無し。……そして妊娠していないこと」


 検査結果を書かれた紙を見てそう言った綾子はふうと息を吐いた。


「ああ。……これで沙良にはこれ以上あの男に縛られずに生きる選択肢が増えた。特にこの一年の記憶が無い状態でもしも妊娠していたのなら、あの子には辛い事だったろう。
私は沙良さえ望めばすぐにでも離婚の手続きに入る。本当は『婚姻無効』としたいんだが当時の沙良本人が婚姻届にサインしていたから難しいんだ。洗脳状態だったと証明し裁判で争う期間も惜しいしね」

「……そうね。それに洗脳状態の証明の為に沙良ちゃんが色々聞かれるのも可哀想だわ。
直人さんと奈美子さんも、沙良ちゃんが辛い思いをする事を望んではいないでしょうし」


 綾子が辛そうに義弟夫婦の事を思い出しながら言うと、『どうするかは沙良次第ではあるがね』と言いつつ誠司もそれに頷いた。


 ……沙良の父である直人と誠司は小さな頃から仲の良い兄弟だった。大人になり直人が高木家に婿養子に行っても彼らの両親が亡くなった後も、月に一度はどちらかの家を訪ねる程の関係だった。


 それが、直人の一人娘沙良が婚約し暫くした頃から一家の雰囲気が少し暗くなっていた。
 初めこそ、一人娘の沙良の大学を出て間も無い早い婚約に直人夫婦が寂しがっているのだろうと思っていたのだが……。


 ある日弟夫婦に相談された沙良の婚約者の素行問題。
 これまで沙良の婚約者である松浦拓人という男は両親が離婚し母と2人という暮らしではあったものの、悪い噂もなくそれなりに優秀な人間として評価され一流企業にも就職している好青年という認識だった。

 それが、沙良との婚約が決まった頃からの行動がおかしい。そして婚約者である沙良と会う時間が急に減ったという。
 
 ……調べてみると、それは呆気ない程簡単に分かったそうだ。


 彼は浮気相手と堂々と街を歩いていたのだから。しかも明らかに恋人のような態度で。

 そして拓人は知らなかったようだが、浮気相手が住み彼らがよく過ごす街は彼らの学生時代の知人や職場の人間も行く街でもあったのだ。近くに住んでいる人もいて、その知人達の間で2人の事は既に噂になっていた。


 とてもではないが、そのような人間と大切な娘沙良とを結婚させる訳にはいかない。

 そう相談された直人の兄誠司は証拠を集め、拓人に夢中になっている沙良を説得しようと話し合い動いていた。

 ……その矢先に沙良の交通事故が起こったのだ。


 事故の後、沙良は両親の事も婚約者だった拓人の事も忘れていた。

 このまま沙良が彼を忘れてくれたなら、それが一番良いのかもしれない。

 そう思い皆で見守っていく事にしていたのだが……。


「まさか直人達が丁度病院に居なかった、ほんの1時間程の間に入り込んだあの男に記憶の無い沙良を洗脳されてしまうとは……」


 あの日、拓人が入り込んだ病室に先に戻ったのは母奈美子だった。

 自分の姉に呼び出され少し外に出ていた母親が病室に戻ると、まるで当然かのような態度であの男が沙良と一緒に居たのだ。自分がした事を忘れたかのようなあまりの図々しさに思わず声をあげ、すぐに部屋から出て行くように叫んだ。
 ……後から考えると、これもいけなかった。

 
 既にあの男から、『自分達は深く想いあった婚約者』だと、スマホから大量の証拠の写真を見せられ『沙良と両親とは仲が悪い、沙良は虐げられていた』……、などと言われた後に声を荒げる母親を見た沙良は大いに怯えた。


 そこからは何を言っても沙良はあの男、拓人に縋るばかり。

 後から駆け付けた父親が話をしても、医師や看護師に宥めてもらってもダメだった。


 ……そしてその内に、いつの間にか拓人によって沙良は退院させられていた……。




「……あの時の事は、今思い出しても腹立たしくて仕方がない。あの時間以外はずっと誰かが沙良と一緒に居たというのに……。
どうしてあの僅かな隙間時間にアイツが上手く入り込めたのか。しかも病院には家族以外の面会を断るように話をしていたのに」

「後から考えれば本当に偶然の産物のような時間だったわよね。……私もあの日病院に行っていたのよ? 午後から用事があったからお昼前に奈美子さんと交代したの。夕方には直人さんがいくはずだったのに……まさかあのタイミングで奈美子さんが真里子さんに呼び出されるなんて」


 綾子は苦々しい顔をした。


「……確か、2人の母親の13回忌の話だったか。しかし姪が事故に遭って大変な時にそんな話で呼び出さなくてもいいのに。
あの義姉の一家は高木家を『出禁』になってからもずっと疫病神だな」

「姉妹なのですもの。2人が何かと会っていたのは仕方がないけれど……。奈美子さんはよくあのお姉さんと付き合ってたわよね。私はあの人は絶対に無理だわ。ある意味奈美子さんはいつも我の強い真里子さんに気を遣って振り回されていたわね……。
そういえば、沙良ちゃんは真里子さん一家の『出禁』の理由を知らなかったのね」


「沙良は良くも悪くも箱入り娘だからな……。
直人達もまさか伯母一家がおそらくは財産目当てで和臣君との婚約話を打診して来てたなんて沙良に言えなかったんだろうな」


「そうよね。そして今回真里子さんの義息子和臣さんが沙良ちゃんのお見舞いに来てた訳だけど……、どう思う? 純粋に心配で来てくれたのか、それとも……」


「分からんが、今はあの一家も沙良に近付けないようにした方がいいだろう」


 誠司は難しい顔でそう言い切り、綾子もそれに頷いた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

【完結】私を忘れてしまった貴方に、憎まれています

高瀬船
恋愛
夜会会場で突然意識を失うように倒れてしまった自分の旦那であるアーヴィング様を急いで邸へ連れて戻った。 そうして、医者の診察が終わり、体に異常は無い、と言われて安心したのも束の間。 最愛の旦那様は、目が覚めると綺麗さっぱりと私の事を忘れてしまっており、私と結婚した事も、お互い愛を育んだ事を忘れ。 何故か、私を憎しみの籠った瞳で見つめるのです。 優しかったアーヴィング様が、突然見知らぬ男性になってしまったかのようで、冷たくあしらわれ、憎まれ、私の心は日が経つにつれて疲弊して行く一方となってしまったのです。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...