僕と彼女

撫でたココ

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一幕と彼女

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「世界はたったひとつじゃないんだよ。もっといっぱいあるんだから。」

 彼女はいつも決まってそういった。お昼に食べたカレーの話をしている時。昨日見たドラマの話をしている時。憂鬱な雨が降っている時。なんの脈絡もなく、その言葉はもとからそこにあったかのように言った。

「世界はひとつだよ。だってあのカラスがそういってるんだから。」

 僕は彼女がいつも決まってそういうたび、ころころと言葉を変えては反論した。筋道が通ってなくたって、この会話を続けようと決めていた。

「そんなことないよ。だって、あっちのカラスはこの世界よりもっと綺麗な世界を知っているっていってるからね」

「でも、あのカラスはまだ子どもだから。世界がどういうことなのかわからないんだ。」

 僕たちは人の少ない路地で、電線に止まっているカラスを見ながら歩いている。

「大人より子どものほうが知ってることだってあるんだよ」

 たまに通る人が何を見ているのだろうとつられて上を眺める。でも、たいしたものは何もないとわかると再び視線を前に戻して歩いていく。

「大人はそれを知った上で、世界はやっぱりひとつだったと言うんだよ。子どもに見えてる世界は、本当の世界ではないんだ。」

 気づけばカラスは飛び立ってしまっていた。きっと子どものカラスは世界がまだあることを証明しに大人のカラスを連れて旅立ったのだろう。世界は一つしかないといっているのに。

「もうカラスはいってしまったね。きっと子どものカラスは世界が一つしかないと知ってこれから絶望するだろうね。」

 視線を元に戻した。相変わらず人の数は少ない。

「絶望するのは大人のカラスだよ。今から子どものカラスに新たな世界を教えられて今までの価値観をひっくり返されるんだもの。」

「それは既に大人のカラスが通ってきた道だよ。大人はみな最初は子どもだったんだもの。大人カラスも子どもカラスと同じように世界がいっぱいあることを証明しようとしたはずだよ。……それできっと失敗したんだ。」

 2人の歩く速度が少しずつ遅くなっていく。

「君はもう大人になってしまったんだね。」

「そうかも知れないね。僕には世界が一つしかないのだから。」

「それは悲しいこと?」

「悲しいよ。いろんな世界が見えたほうが楽しいに決まってる。一つしかないなんてつまらないじゃないか…」

「君は、いろんな世界が見てみたいと思うのかい?」

「見えるのなら見てみたい。僕はもう子どもの時に思っていた世界のことなんて思い出せない。だからもう一度見てみたい。」

 僕たちはいつのまにか人の少ない路地を抜け、大通りに出ていた。

「なら、今から見せてあげよう。」

「やっぱりか」

「ほら、あそこ。モンブランが美味しいんだって。行こう。ね?」

「わかった。わかったよ」

 僕たちはケーキ屋のドアを開け、店内へと入った。

「今日も僕の負けなんだね」

「負けって何よ?ただの会話でしょうに。あっ、モンブランでいいよね?もちろん」

 そういって微笑む君の姿が僕はまだ忘れることができない。
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