夢宵横丁ふうらい日記

戸浦 隆

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二、七月十二日(木)①

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◎きょうの付出し
  ウナギの山椒煮
  沖ガシラの刺身
  アオリイカのチーズ焼き

「いてるかぁ?」
「ハーイ。いらっしゃい」
「何な、今夜は綺麗どころはおらんがか」
「入って来るなり御挨拶じゃなかですか、インチョウ。惜しいなあ、タッチの差。美しか和服姿のマチコ姐さん御一行五名様、ただ今お帰りになりました」
「そりゃあ、残念」
「きょうは?」
「町内会の集まりで、男三人流れて来た」
「女っ気無し?」
「無し」
「店ば閉めようかな」
「アホウ言うちょらんと、早よビール」
 インチョウに続いて、漬物屋の近添さんと乾物屋の山脇さんが入って来た。
「いらっしゃい。今夜は貸切状態ですけん、坐り放題・寝放題。どこでんどうぞ」
 三人がカウンターに坐ったところで、マスター付出しの準備に掛かる。
「今、食って来たばっかりやき。軽いもんでえいぞ」
「あらら。きょう一番のもんば食べんと? しょんなかねぇ。じゃあ、これば……」
 巻き貝が七、八個入った白い小鉢が出された。
「これは?」
「よだれ貝」
 爪楊枝で身を取り出すと、長く細く糸を引く。
「ははあ、なるほど。それでヨダレか」
「旨かけん、食べる人もヨダレば垂らすとです」
 乾物屋さんが言った。
「チャンバラ貝と似とるが。違うんかな、これ」
 漬物屋さんが器用に爪楊枝で身をくるりと取り出し、口に放り込みながら答えた。
「チャンバラはフタが刀みたいなやっちゃ。けど、これ、いけまっせ」
「おいおい。身の入ってないががあるぞぉ」
「インチョウ、それはさっき食べた殻やなかね。殻はこっちの皿に入れるとよかです、ハイ」
 ほんなこつ世話の焼くるとやけん、とマスター焼く世話もいとわず小皿を出した。
「ほうか。食うちょったヤツか。殻はこっちへ、と。世話焼かせて済まんのォ」
 マスターは時々心の内と逆のことを口にする。悪気は無いので大体において許される。だが酒に酔って調子に乗り過ぎることもある。そういう場合はマスターの言動は全くの無視、蚊帳かやの外に置かれることになる。客の方も心得ているのである。
 乾物屋さんが「本日のこんだて」と書いた横長のメニューを手に取って表裏を眺めている。
「これは、毎日書きゆうがかね」
「ああ、はい。まあ、習字の練習ごたるもんです」
「カツオは無いんかな」
「悪かとです。気の向いた時にしか入れんもんやけん」
「いや、注文じゃのうて。そのぉ、土佐料理の店を紹介してくれって、県外のお客さんによう言われるき」
「土佐料理やったら、いくらでもありまっせ」と、漬物屋さん。
「そうかあ。オレ、食べ歩きせんきなあ」
「あんさん、不幸な男やで。酒と料理とオナゴはんは男の宝でっせ」
 漬物屋さんは学生時代の大阪暮らし以来、土佐弁を卒業し大阪弁一辺倒だ。その方が意思の疎通が図りやすいのだそうな。
 マスターがビールのお代わりを出しながら言った。
「土佐料理で有名な店なら、この横丁にいくつもあるとですよ。けんど、腕の無かですけん、ウチは。それで『ピカッとヒラメキ料理』やら『なかなかイケるでトッピング料理』やら『コレはもらったアレンジ料理』やらやっとうとです」
 扉が開いた。
 暖簾のれんが頭に引っ掛かって、「オウ、ノウ」と女性の声がした。
 みんなの眼が、一斉に戸口に注がれる。
 外国人にしては小柄だが目鼻立ちのすっきりしたブロンド美人が、入口の扉を半分ほど開けて佇んでいた。眼鏡の奥の青い目で中の様子をうかがいながら、声を掛けて来た。
「○△☆……サケ……◆☆△?」
「ん? サケ? お、おう。いえぇす、いえぇす」
 マスター、オロつきながらも辛うじて返答した。
 インチョウが突然にこやかな笑顔を作り、「プリーズ、プリーズ」と手招きする。女性となると俄然ハリキるインチョウである。女性ならば洋の東西は問わない。
「インチョウ、通訳ばお願いしますけん。何度でん外国ば行ったこつのあるとでしょう」
「まっかせっなさあい!」
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