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五、八月十三日(水)石巻③
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石巻市内から後戻り。北上川に架かる内海橋を渡り、国道398号線に。「愛情 たらこのみなと」を過ぎ、女川街道をひた走る。県道2号線に右折すると、牡鹿半島の西の付け根に到達する。
「この先を右に行くと『サン・ファン・バウティスタ・パーク』。わたし、毎週ここまでボランティアに来てたんです」
江戸幕府が禁教令を出す前、仙台藩主伊達政宗が支倉常長をローマに派遣した。その慶長遣欧使を乗せた船の名前が「サン・ファン・バウティスタ号」で、テーマパークが作られている。
「すごいやか。仙台からここまで、しかも毎週て」
「あはは。すごくないです。何していいか、わたし分かんないしぃ、みたいな。そんな感じだったから」
太田さんはフェイス・エステの専門家だ。被災した人たちに何が出来るか、悩んだという。食事の世話をしたり話し相手になったりするうち、「あなた、仕事は何」という話になった。「フェイス・エステだ」と言うと、みなが「やって、やって」と押し掛けたそうだ。
「自分のやってることで喜んで貰って、それはもう嬉しかったですよ」
人の役に立つ、それが何よりの喜びだ。自分がよければそれでいい、では生きて来た意味がない。震災の時、無償で食べ物を提供した店もあれば、この時とばかりに値段をつり上げ生活必需品を並べた店もあるという。人の本性は危急の時にこそ表に現れる。果たして我が身はどうか。普段偉そうなことを言ってはいるが、その時になってみなければ分からない。その時になって、我を忘れた自分を知るのが怖い。本当に怖い。
車は「サン・ファン・バウティスタ・パーク」へ行く道を右手に残し、県道2号線の山道を走る、ガランガランと鳴る音高く響かせながら。
トンネルを抜け、しばらく行く。右手にバス停が見え、ちょっと広いスペースがある。車はそこに滑り込んだ。
「ここでしょうかね」
車から出て、バス停の表示を見る。「蛤浜」とある。下に降りる階段の脇には「はまぐり堂」の看板と矢印。
「わあおぅ! 長い階段! 下までずいぶんありそおぅ!」
相当な急勾配、しかも浜までは相当遠い。何段降りれば下に着くのだろう。恐れをなした腰痛持ちの娘の顔は「無理、ぜえったい無理!」と訴えている。すでに試合放棄、ギブアップ。完全に腰が引けている。
階段の左手のお洒落なツリー・ハウスに興味が惹かれ、近づいた。だが「登ると危険です」の注意書き。残念。ハウスの下にはハンモックが吊されてある。これも古びていて、乗れば網目が裂けそうだ。こちらも、残念。さあ、どうしたものか……。
ツリー・ハウスの写真を撮っているところへ、ワゴン車が一台やって来て止まった。出て来たのは、年配の女性とその息子らしいペア。訊いてみた。
「『はまぐり堂』はこの階段の下ながです? 浜に車が見えるき、どこか降り口があるがでしょうか」
「私たち、お墓参りに来てまして。さっき『はまぐり堂』へ行ってたところです。先を五百メールくらい行くと看板がありますから、そこから浜に降りられますよ」
地獄に仏とはこのことか、と娘は思ったことだろう。お礼を言って、再出発だ。
小さな集落を抱えた蛤浜に津波が押し寄せ、残ったのはたった二世帯。けれども、緑に囲まれた美しい浜は残っている。この浜に人の笑顔を取り戻したいと、若者が中心となり古民家をカフェに変えた。石巻に行くなら寄った方がいい、と必ず勧められるのが「Cafe はまぐり堂」だ。
浜の奥まったところに車が並んでいる。お客は多そうだ。案内板の表示に従って石段を登る。玄関先の木のイスの上にちょこんと置かれた「はまぐり堂」の茶色の看板と、白い野花を活けた一輪挿しのガラスの花びん。それだけでもう店の趣がかもし出されている。
玄関の引き扉を開け、上がり框で靴を脱ぐ。座敷に上がると海を見渡せる左手のソファーに老人がひとり、右手の座敷には家族連れが二組。縁側では父親と幼い女の子が碁盤に白黒の碁石を並べて遊んでいる。空いているのは老人の坐るソファーの奥の席と、玄関から上がった正面の席と座敷席。「いらっしゃいませ」と声を掛けられたが、「老人の席の方はご遠慮願いたい」という雰囲気が何となく感じられる。それで正面のテーブル席に腰を下ろした。
メニューを見て注文するものも決めた。太田さんは「金華山サイダー」、娘は「カボチャのスープ カフェオーレ風」、僕は「ホットコーヒー」。
家族連れがもう一組やって来た。海の見える眺望のいいソファー席に行こうとした。だが、スタッフが「申し訳ありません」と断っている。やっぱり、そうか。老人はこの家の持ち主か何かで、毎日海を眺めて坐っていたいのだ。その楽しみを、いやひょっとしたら津波で失ったものへの想いを奪わないよう、スタッフはそっと見守っている。そう思ったが、僕の想像は当たっているだろうか。だが、それは確かめるほどのことでもない。老人は海を眺めているうちに、気持ちよさそうに寝込んでしまった。
「これ見て」と、娘が置いてある本の一冊を手に戻って来た。「CICICA」という冊子の表紙に、ペンダントの大きな写真。
「鹿の角で作ったがって」
首から外して写真の横に置いたのは、同じペンダント。輪切りした鹿の角の縁を細かくカットし、糸で組み紐にしてある。娘のは赤い糸、写真のは青い糸。娘は喜んで本に見入った。この辺りは鹿の繁殖が盛んで、駆除した鹿をジビエ料理や加工品にしているようだ。
太田さんはといえば車の運転に疲れたのか、考えるふうでもなく少しぼんやりして体と頭を休めている。
見回せば僕たちの席のすぐ脇の大きな水槽では、気持ち良さそうに泳ぐ金魚たち。部屋の隅の箪笥の上には本や小間物が置いてある。隣の部屋には、古びたピアノや版画を飾った箪笥。廊下のガラス戸は大きく開かれ、明るい風が入って来る。店のスタッフの若い女性は気配りしながら、客に注文の品を運ぶ。オープンな厨房では、年配の女性と若い男性が静かに仕事をしている。みんな笑顔を絶やさない。ここには、ゆったりとした時間が流れている。
外庭に出てみた。整えられた植木、砂利が敷き詰められた中に置かれたいくつかの踏み石もしっとりと落ち着きを与えてくれる。庭の一段高いところに、もう一つ庭がある。こちらの裏庭は、敢えてなのか整備されていない。上がってみると無造作に、いや意図的に無造作に見えるように、いくつかの平たい石が置かれている。石には白い文字が。ドキリ、とする。腰をかがめて読んだ。
〈3・11〉
〈いつか大地に残った 私達が互いに想い合い そして海や空となった人と 互いに未来を想い〉
〈そしてあなたが 心の中のあの人と 共に笑い合える日がくることを 心から祈っています〉
三つ縦に並んだ石に、そう書かれていた。少し距離を置いて一つの石。
〈なぜ私達は なにかになろうと するのだろう〉
また少し離れた石。
〈あなたが今 生きていることが 希望です〉
他に二つほど石があるが、どの石の側にも庭の草が寄り添っている。その時の、その場所を、そのまま残しておきたい。せめて想いを添えて。そんなふうに思える庭だった。
「Cafe はまぐり堂」は、自然とともに生きる人の息遣いが感じられるところだ。娘を呼んで、この庭を見せた。娘もじっと石に見入っていた。
伝えたい想いが石に染みている
届け波にもはまぐりの浜
「この先を右に行くと『サン・ファン・バウティスタ・パーク』。わたし、毎週ここまでボランティアに来てたんです」
江戸幕府が禁教令を出す前、仙台藩主伊達政宗が支倉常長をローマに派遣した。その慶長遣欧使を乗せた船の名前が「サン・ファン・バウティスタ号」で、テーマパークが作られている。
「すごいやか。仙台からここまで、しかも毎週て」
「あはは。すごくないです。何していいか、わたし分かんないしぃ、みたいな。そんな感じだったから」
太田さんはフェイス・エステの専門家だ。被災した人たちに何が出来るか、悩んだという。食事の世話をしたり話し相手になったりするうち、「あなた、仕事は何」という話になった。「フェイス・エステだ」と言うと、みなが「やって、やって」と押し掛けたそうだ。
「自分のやってることで喜んで貰って、それはもう嬉しかったですよ」
人の役に立つ、それが何よりの喜びだ。自分がよければそれでいい、では生きて来た意味がない。震災の時、無償で食べ物を提供した店もあれば、この時とばかりに値段をつり上げ生活必需品を並べた店もあるという。人の本性は危急の時にこそ表に現れる。果たして我が身はどうか。普段偉そうなことを言ってはいるが、その時になってみなければ分からない。その時になって、我を忘れた自分を知るのが怖い。本当に怖い。
車は「サン・ファン・バウティスタ・パーク」へ行く道を右手に残し、県道2号線の山道を走る、ガランガランと鳴る音高く響かせながら。
トンネルを抜け、しばらく行く。右手にバス停が見え、ちょっと広いスペースがある。車はそこに滑り込んだ。
「ここでしょうかね」
車から出て、バス停の表示を見る。「蛤浜」とある。下に降りる階段の脇には「はまぐり堂」の看板と矢印。
「わあおぅ! 長い階段! 下までずいぶんありそおぅ!」
相当な急勾配、しかも浜までは相当遠い。何段降りれば下に着くのだろう。恐れをなした腰痛持ちの娘の顔は「無理、ぜえったい無理!」と訴えている。すでに試合放棄、ギブアップ。完全に腰が引けている。
階段の左手のお洒落なツリー・ハウスに興味が惹かれ、近づいた。だが「登ると危険です」の注意書き。残念。ハウスの下にはハンモックが吊されてある。これも古びていて、乗れば網目が裂けそうだ。こちらも、残念。さあ、どうしたものか……。
ツリー・ハウスの写真を撮っているところへ、ワゴン車が一台やって来て止まった。出て来たのは、年配の女性とその息子らしいペア。訊いてみた。
「『はまぐり堂』はこの階段の下ながです? 浜に車が見えるき、どこか降り口があるがでしょうか」
「私たち、お墓参りに来てまして。さっき『はまぐり堂』へ行ってたところです。先を五百メールくらい行くと看板がありますから、そこから浜に降りられますよ」
地獄に仏とはこのことか、と娘は思ったことだろう。お礼を言って、再出発だ。
小さな集落を抱えた蛤浜に津波が押し寄せ、残ったのはたった二世帯。けれども、緑に囲まれた美しい浜は残っている。この浜に人の笑顔を取り戻したいと、若者が中心となり古民家をカフェに変えた。石巻に行くなら寄った方がいい、と必ず勧められるのが「Cafe はまぐり堂」だ。
浜の奥まったところに車が並んでいる。お客は多そうだ。案内板の表示に従って石段を登る。玄関先の木のイスの上にちょこんと置かれた「はまぐり堂」の茶色の看板と、白い野花を活けた一輪挿しのガラスの花びん。それだけでもう店の趣がかもし出されている。
玄関の引き扉を開け、上がり框で靴を脱ぐ。座敷に上がると海を見渡せる左手のソファーに老人がひとり、右手の座敷には家族連れが二組。縁側では父親と幼い女の子が碁盤に白黒の碁石を並べて遊んでいる。空いているのは老人の坐るソファーの奥の席と、玄関から上がった正面の席と座敷席。「いらっしゃいませ」と声を掛けられたが、「老人の席の方はご遠慮願いたい」という雰囲気が何となく感じられる。それで正面のテーブル席に腰を下ろした。
メニューを見て注文するものも決めた。太田さんは「金華山サイダー」、娘は「カボチャのスープ カフェオーレ風」、僕は「ホットコーヒー」。
家族連れがもう一組やって来た。海の見える眺望のいいソファー席に行こうとした。だが、スタッフが「申し訳ありません」と断っている。やっぱり、そうか。老人はこの家の持ち主か何かで、毎日海を眺めて坐っていたいのだ。その楽しみを、いやひょっとしたら津波で失ったものへの想いを奪わないよう、スタッフはそっと見守っている。そう思ったが、僕の想像は当たっているだろうか。だが、それは確かめるほどのことでもない。老人は海を眺めているうちに、気持ちよさそうに寝込んでしまった。
「これ見て」と、娘が置いてある本の一冊を手に戻って来た。「CICICA」という冊子の表紙に、ペンダントの大きな写真。
「鹿の角で作ったがって」
首から外して写真の横に置いたのは、同じペンダント。輪切りした鹿の角の縁を細かくカットし、糸で組み紐にしてある。娘のは赤い糸、写真のは青い糸。娘は喜んで本に見入った。この辺りは鹿の繁殖が盛んで、駆除した鹿をジビエ料理や加工品にしているようだ。
太田さんはといえば車の運転に疲れたのか、考えるふうでもなく少しぼんやりして体と頭を休めている。
見回せば僕たちの席のすぐ脇の大きな水槽では、気持ち良さそうに泳ぐ金魚たち。部屋の隅の箪笥の上には本や小間物が置いてある。隣の部屋には、古びたピアノや版画を飾った箪笥。廊下のガラス戸は大きく開かれ、明るい風が入って来る。店のスタッフの若い女性は気配りしながら、客に注文の品を運ぶ。オープンな厨房では、年配の女性と若い男性が静かに仕事をしている。みんな笑顔を絶やさない。ここには、ゆったりとした時間が流れている。
外庭に出てみた。整えられた植木、砂利が敷き詰められた中に置かれたいくつかの踏み石もしっとりと落ち着きを与えてくれる。庭の一段高いところに、もう一つ庭がある。こちらの裏庭は、敢えてなのか整備されていない。上がってみると無造作に、いや意図的に無造作に見えるように、いくつかの平たい石が置かれている。石には白い文字が。ドキリ、とする。腰をかがめて読んだ。
〈3・11〉
〈いつか大地に残った 私達が互いに想い合い そして海や空となった人と 互いに未来を想い〉
〈そしてあなたが 心の中のあの人と 共に笑い合える日がくることを 心から祈っています〉
三つ縦に並んだ石に、そう書かれていた。少し距離を置いて一つの石。
〈なぜ私達は なにかになろうと するのだろう〉
また少し離れた石。
〈あなたが今 生きていることが 希望です〉
他に二つほど石があるが、どの石の側にも庭の草が寄り添っている。その時の、その場所を、そのまま残しておきたい。せめて想いを添えて。そんなふうに思える庭だった。
「Cafe はまぐり堂」は、自然とともに生きる人の息遣いが感じられるところだ。娘を呼んで、この庭を見せた。娘もじっと石に見入っていた。
伝えたい想いが石に染みている
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