救急車、来たねぇ

戸浦 隆

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四、高校生

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 列車は満員で、坐る席が無かった。
 ボクは乗降口の側に立ち、外を見ていた。ガラス窓の向こうに、田畑や山が流れる。七つか八つ駅を過ぎた時だ。
「救急車、来たねぇ」
 流れる風景をバックに、少年の顔がひょいと現れた。
(え?)
 緑色のトランポリンが、ガラス窓のすぐ脇を列車と並んで走っている。少年がピョンと跳び上がる。
「救急車、来たねぇ」
 突然、外が真っ暗になった。その途端、少年もトランポリンも消えた。
 代わりに彼女のことが頭に浮かぶ。公害病支援ボランティア活動で一緒になった女の子だ。患者さんの家を訪れたり、蜜柑畑の世話を手伝ったり、集会に行ったり……。いつも一緒にいた彼女は、まだボランティアを続けている。会ってどうするつもりもない。が、無性に会いたくなった。
 ボクの体が火がついたように熱くなる。体中から汗が噴き出し、ふらふらして立っていられないくらいだ。吊革にしがみつき、手の甲に額を押しつけて何とか体を支えた。
 トンネルの暗がりを抜け、列車はようやく駅に着く。ボクはよろけるように降りた。
 見知らぬ小さな駅の改札口で、駅員に切符を見せる。駅員は怪訝けげんな顔をボクに向けた。
「途中下車ですか?」
「いえ。気分が悪くなって。少し休みたいんです」
「次の列車は十二時三十二分発、そのまま乗れます。下りは一時四十六分、一時間半後ですね。清算して切符を買われますか?」
「少しよくなったら、どっちに乗るか決めます」
 ボクは駅舎を出て歩き始めた。
 線路沿いの土手を下り、用水路にかる小さな橋を渡る。目の前には大根やネギの葉が並ぶ畑が広がっていた。ボクは、畑を左右に分ける真っすぐな道を進む。その先には小高い山があり、登り口に赤い鳥居が見えた。
 鳥居の階段を登り切ると、細い道が続いている。道を抜けると、少し広い場所に出た。そこには杉の木立に囲まれた古いやしろがあった。賽銭箱も開き戸も、触れるとぼろぼろと崩れ落ちてしまいそうだ。
 社の手前に、緑色のトランポリンが置かれている。不思議な感じがしないのは、なぜだろう。
 ボクは靴を脱ぎ、トランポリンの上に乗った。歩くと、足元が頼りなく揺れる。弾みをつけ、ちょっと跳び上がってみる。
 上がっては落ち、落ちては上がる感覚が気持ちいい。
 ボクは夢中になって、高く高くと跳び上がる。
「救急車、来たねぇ」
 声がして、少年と空中で行き違った。ボクが落ちる途中で、少年が跳び上がって来たんだ。ボクが跳び上がると、少年が落ちて来る。
「救急車、来たねぇ」と、挨拶するように少年が言った。
「救急車、来たねぇ」と、ボクも返す。
 空中を行き交うたびに、ボクらは合言葉みたいに繰り返した。
「救急車、来たねぇ」
「救急車、来たねぇ」
 少年はボクより高く跳ぶけれど、ボクは少年ほど高く跳べない。これ以上高く跳ぼうとすると、急所がぞんぞんする。
 蹴る力が弱いんだろうか。それとも高く跳ぶのが怖いんだろうか。
 トランポリンの床を強くしならせ、少年は楽しそうに高く跳ぶ。
 落ちてゆくボクと跳び上がって来る少年とが、空中でまた行き違う。その時、少年の顔が誰かに似てると思った。ボクのごく身近な誰かに。なぜだかそれが、心を決めた。
(戻りの列車に乗ろう)
 黙って家を出て、出来るだけ遠くへ行くつもりだった。戻ればこの先の駅には行けないのだ。けれども戻らなければ、これからどの先の駅にも行けない気がする。
 トランポリンを降りたボクは、駅を目差し駆け出した。
 緑色のトランポリンの上を跳ねる少年の声が背中に届く。
「救急車、来たねぇ」
「救急車、来たねぇ」

       ── 了 ──
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