救急車、来たねぇ

戸浦 隆

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三、中学生

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 市民体育館は、熱気でいっぱいだった。掛け声と竹刀しないを打ち合う音と声援の声。ボクたちの一回戦の相手は、名前の知らない私立中だ。
 先鋒せんぽう次鋒じほうが負けた。中堅のボクが負ければ試合は決まる。
「始め!」
 審判の声が終わらないうちに、相手が撃ち込んで来た。
「メーン!」
 伸びて来る竹刀を払い、撃ち返す。
「メーン!」
 どちらも浅く、一本にならない。
 一度竹刀を合わせれば、お互いの力は大体分かる。
(勝てるかも知れない……)
 けれど、試合は長引いた。ボクは少しあせり始めた。
 つばぜり合いの時、相手の竹刀がボクの面垂れの下に入った。左の首筋がヒヤリとする。
 面金めんがねの物見の奥の相手の眼が、嫌な笑いを浮かべたように見えた。その瞬間、首筋に熱く焼けた線が走った。
「痛っ!」
 相手が竹刀を首に押しつけたまま思いっ切り引いたんだ。そうしてボクの足を踏みつけると体をぐいと押し、バランスをくずそうとした。
 反則行為にカッとなったボクは、相手を突き飛ばそうとした。それを待ってたんだ。相手は下がりながら、引き籠手こてをねらって来た。ボクは体を寄せ、面や籠手を立て続けに撃ち込む。相手は場外に逃げた。
「ヤメ!」
 審判の声で開始線に戻る。
(あれはわざとだ、絶対!)
 ボクが相手をにらみつけた時だった。
 ボクの竹刀の先に、少年の顔がふっと飛び出した。
「救急車、来たねぇ」
 少年の顔はすっと消えた。
(何? 今の……)
 二つの開始線の間には、白い×印のテープが貼ってある。そこに小さな緑色の台があって、小人のような少年が跳ねてた。そうして、ボクの竹刀の先に跳び上がるんだ。
「救急車、来たねぇ」
 審判の声が聞こえた。
「始め!」
 同時に相手に面を撃ち込まれ、審判の赤旗が挙がった。
 ボクは負けた。カッとなった時、いや、勝てるかもと思った時、すでに負けてたんだ。
 副将も大将も負けて、ボクたちは初戦敗退した。

 外はまだ正午前の明るい日差しが降り注いでる。引率の先生と、ボクたち剣道部員五人は駅に向かった。
 首のミミズれがヒリヒリ痛い。けれど、そのことは誰にも言わなかった。負けた言い訳にしたくないし、言えば自分が情けなくなるような気がしたから。
 赤い大きな橋の下で、先生が立ち止まる。
「腹減ったな。うどん、食ってくか」
 ボクたちの返事を待たず、先生はプレハブのうどん屋の引き戸を開けた。
 ボクたちは、カウンターだけの席に並んで坐る。
「何にする?」
 先生は言ったけれど、ボクたちは顔を見合わせるだけだった。
「元気ないなあ、お前ら。ようし、じゃあ『肉うどん』にしよう」
 頭の上でトラックや自動車の走る音がするたびに、壁が震える。建て付けの悪い店の中で、親父さんがうどんをでる。湯気がもうもうと立ち籠め、やがて「肉うどん」が六つカウンターに並んだ。
「初めての遠征試合だったから、緊張しただろ。お前らみんな一年生だし、負けてもともと。チャンスはいくらでもある」
「はい」
 ボクたちは、やっとそれだけ言った。
「遠慮するな。オレからのほうびだ。一生懸命戦った、な」
「けど、負けました」
 大将の生徒が言った。
「しょぼくれるな。負けて得るものの方が大きいんだ」
「はい」
「さあ、食え。食わないヤツのうどんはオレが食うぞ」
 先鋒の生徒が、あわてて割り箸を取る。他のみんなも、取った箸を割った。
「いただきます!」
 いっせいに、うどんをすする。
 それを見て、先生もふうふう息を吹き掛けながら食べ始めた。
「肉うどん」を食べたのは、これが初めてだった。こんな美味しいものがあったんだ! ボクは夢中で「肉うどん」を頬張った。汁をすすると、湯気で眼鏡が曇る。眼鏡を取った。それでも、うどん屋の親父さんも部員も先生も曇って見える。
 ボクは「肉うどん」をすする、なぜだか込み上げて来る鼻水といっしょに……。
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