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三、満寿丸

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「満寿よ、気になるであろう」
 閨(ねや)の中で、斯波義将(しばよしまさ)が言った。
「何がでございますか」
 満寿丸は、冷ややかな眼を天井に据えたまま答えた。
「相変わらずだな」
 義将は満寿丸の端正な横顔を眺めながら、言葉を継いだ。
「心は内に秘し、決して現さぬ。まるで面を被(かぶ)ったような顔だが、それがいいのだ。感情にとらわれないその顔がな」
「また戯れを申されます。相変わらずは殿の方ではありませんか」
「ハハハ。怒るな、満寿」
 久し振りの満寿丸とのやり取りが、義将をくつろがせている。
 考えがとどこおったり仕事が行き詰まると、義将は決まって満寿丸を呼んだ。元来が逆上(のぼ)せ性ですぐにカッとなる義将だが、満寿丸といると不思議に気持ちが落ち着くのである。
「分かっているだろう。藤若のことだ」
「………」
「同じような境遇ではないか。気にならないことはあるまい」
「同じではありません」
「儂にはそう思えるが」
「殿は政(まつりごと)ばかりで、芸能に気が向いてはおりません。お分かりにならないのも無理はないと存じます」
「なるほど。確かに儂は芸ごとには無縁の男だな」
 斯波義将は幕府の重臣である。二代将軍足利義詮(よしあきら)の執事として重用された。義満の代になると細川頼之(よりゆき)に取って代わられたが、依然幕府内での力は大きく政務に追われる毎日だ。
「藤若には猿楽の、私には田楽の血が引き継がれております。猿楽と田楽とでは同じ根から生まれた芸能ではあっても、その立つところ、歩む先が違います」
「そういうものかな」
「はい」
「だが藤若は義満公の、弟の竹若は側近細川頼之の寵童だ。しかも藤若は、二条様のお気に入りでもある。歳も違わず、芸能の血も引き、寵童として仕えながら破格の扱いではないか。我が身に比して、とは思わんのか」
「………」
 黙ったまま、満寿丸は天井を見続けている。
 満寿丸は、天井板や柱の節目を見るのが好きだった。見詰めていると、節目が生き物のように動き始める。うねり、広がり、形を変える。迫るかと思えば遠のき、また迫って来る。飽きることがなかった。だが、夜の薄暗い部屋は天井の節目どころか、天井までの距離をも掴ませない。ある筈の節目に焦点を合わせようと、満寿丸は眼を凝らした。
 満寿丸は「音曲の祖」と言われた奈良田楽新座の名人喜阿弥の孫である。幼い頃からその才能を発揮し舞台にも立っている。当時、人気の高い田楽に比べ一段も二段も低く見られていた猿楽師たちは、田楽座や他の歌舞座に弟子入りし、その芸風を取り入れようと躍起になっていた。何人もの猿楽師たちが祖父のもとへ習いを請いにやって来た。そういう猿楽師を、満寿丸は幼いながら下の者を見下すような眼で見ていた。が、中に際立つ二人がいた。観阿弥父子である。群を抜くその熱心さと修得の力は眼に焼き付いた。二人の存在は日に日に重みを増す石となり、満寿丸の心のひと隅に確とした座を占めるようになった。
 ところが今や猿楽は将軍始めその側近、公家たちにまで持てはやされている。立場を逆転しそうな勢いが猿楽にはあった。その筆頭が観阿弥であり、耳目(じもく)を集めていたのが藤若だった。否が応でも藤若の動向は耳に入って来る。だが満寿丸は、自分と同年輩の藤若が手の届かない高みへ駆け昇って行くのをうらやましいとは思わなかった。焦りも無い。対抗心は、むしろ自分の内に向けられていた。猿楽師の子は、所詮、猿楽師でしかない。自分は田楽の領域を究めていけばいい。そう思っていた。
「のう、満寿よ」
 しばらく同じように口を閉ざしていた義将が、満寿丸の細い指をもてあそびながら言った。節くれた義将の太い指が、満寿丸の強張(こわば)る指の力をほぐそうと微妙な動きを伝える。満寿丸はただくすぐったいだけで、じっと我慢していた。
「義満公は管領(かんれい)細川頼之を頼みにしている。先代の義詮公のご遺言で、義満公は頼之に託された。だから義満公が頼之を心強く思われているのも仕方が無い。だが頼之は、いわば『爺や』ではないか」
 義将は藤若の話を続ける気は無かった。関心があるのは、直面している政局のことだ。藤若のことは話の糸口として持ち出したに過ぎない。義将は満寿丸に話すことで自分の考えを整理確認し、秩序立てようとしていた。
「その『爺や』に、どうして儂が従わねばならん」
 義将の口調に力が込められた。
「お腹立ちが収まらないのですか」
「南朝方の楠木正儀(まさのり)がいくら帰順したからといって、儂が手を貸すと思うか。心を翻(ひるがえ)した者が、また心を翻さないとは限るまい。安易に信用すれば足元をすくわれる。そうなってからでは遅いのだ」
 楠木正儀は楠木正成の次男である。後醍醐天皇を奉じて華々しく戦場に散った父や兄正行と違い、政治的な手腕に重きを置く武将だった。
 楠木一族の棟梁となった正儀は南朝の主軸となって戦う中で、幕府軍の強さを身に沁みて思い知らされた。このままではじわじわと追い込まれる。南朝を守り抜くには、力のあるうちに出来るだけ優位な講和を結ばなければならない。そう考えた正儀は、天皇や南朝軍の諸将を説得して回った。何度か北朝側と和睦の折衝があり、その都度交渉に当たった。結局物別れに終わったが、正統である南朝を存続させるには講和しかないという思いは強まるばかりだった。
 ところが、後醍醐天皇を継いだ後村上天皇が崩御した。すると、正儀の立場は一変した。即位した長慶天皇は、九州をほぼ制圧していた懐良(かねなが)親王に心酔する強硬派だったのである。南朝方は一気に徹底抗戦を唱える主戦派に塗り替えられた。正儀は北朝に帰順する道を取らざるを得なくなった。この時、正儀を幕府に迎える便宜(べんぎ)を図ったのが、北朝側の交渉役を務めていた細川頼之だったのである。
「細川様のお力で、幕府はよろしき方へ動いているのでは」
 満寿丸の言葉を、義将は舌打ちしながらさえぎった。
「頼之は正儀を引き入れ優遇する代わりに、南朝の酒屋・土倉(ともに担保を取って金を貸す金融業者)への課税権を得た。確かに幕府の財政は潤うことになったが、そんな小手先のことで四十年も続いている南北朝の争乱が収まるわけは無い」
 義将の言うことは、一応もっともなことのように聞こえる。だが、その言葉の裏には細川頼之に対する恨みが含まれている、と満寿丸は感じていた。
 十年近く前になる。楠木正儀の帰順を認めない義将ら反対派に業を煮やした細川頼之は、西芳寺に隠遁し政務から退く行動に出た。幕府を切り盛りする頼之が抜けては屋台骨がぐらつく。将軍といっても義満はまだ若い。老獪(ろうかい)な頼之の手腕は必要だった。駄々をこねれば義満が反対派を抑えるだろう、と判断した上での行動である。案の定、義満は動いた。反対派の中心だった義将を処罰し、頼之は返り咲いた。だが、処罰された義将は面白くない。禍根が残り、くすぶり続けた。
 義将にとって面白くないことが、もう一つある。
 数年前、義将が守護を務める越中(現在の富山県)で事件が起きた。守護代(守護の代わりに在国して職務を行う役)と国人衆の間で合戦があり、国人方の多くが討ち取られた。ところが、太田荘に逃げ込んだ残兵を追って守護代の軍勢が荘内に乱入し、これを焼き払った。土足で踏み込まれ、火まで掛けられて黙っている主はいない。太田荘領主は激怒した。その領主というのが管領細川頼之だったのだ。
 頼之の命を受け、太田荘代官は飛騨の軍勢を率いて合戦の準備に入った。京では細川と斯波との間で合戦があると噂が広まる。実力者同士の抗争は幕府そのものを壊しかねない。一触即発の事態を憂慮した将軍義満の取りなしで、何とか事は収束した。だが、義将の胸の内にくすぶっていた禍根に火が着いた。頼之を追い落とし幕府の中心に復帰する機会を、義将は密かに狙うようになったのである。
 そのことを知っている満寿丸は、しかし口には出さず無難な受け答えに終始した。
「正儀様が北朝側になられたお陰で、畿内の南朝軍は兵力を減じたのではないのですか」
「正儀に組していた者の一部は南朝を抜け、一部は抗戦派に移った。兵などというものは、その時々の力でどうにでも動くものだ。揺り戻しが来るだろうな」
「揺り戻し?」
「うむ。講和の路線から抗戦に切り替えたのだ。この数年で南朝軍は精鋭化され結束力が強まっている。さらにな、南朝の正当性と権威を振りかざして全国に飛び、幕府に不満を抱える在地勢力を味方に引き入れようと連絡を密に取っているようだ」
「争いはまだまだ続く、ということですか」
「この争いは南朝北朝のどちらが正しい朝廷であるのか、その白黒を決めるだけのものではない。それは表面的なものだ。儂はな、全国各地の土豪たちの勢力争いだと見ている」
 満寿丸を相手にしていると、義将はなぜか思考が明確になるような気がしていた。もやもやとして言葉にならなかった歯がゆい思いが、巻物を紐解くようにするすると目の前に展開するのである。もつれていた糸が徐々にほぐれ、その糸が布を織り上げていく。そんな感覚が義将にはあった。
「では、正儀様の帰順は無駄だったのですか」
「正儀か。あやつは天秤(てんびん)ばかりよ。こちらが重いか、あちらが重いか。それによって身を移す。講和などとほざいているが、正体は知れたものではない。だからこそ儂は信を置くな、信を置けば苦い水を飲まされると、口酸(す)っぱく言っているのだ」
「土岐様は?」
「頼康殿も同調してくれている」
 美濃(現在の岐阜県南部)の守護であった土岐頼康は、二代将軍義詮に仕え功を重ね尾張(現在の愛知県西部)・伊勢(現在の三重県)の守護も兼ねるようになった。京都と関東の中間に位置する要(かなめ)の地域を収める守護大名の力は、幕府の動向をも左右する。将軍義満の信頼厚い細川頼之とは肌が合わず、事あるごとに反目していた。その土岐頼康を、義将は担ぎ上げようとしていたのだ。
「土岐だけではない。山名、佐々木も動く」
「佐々木様と言えば、近江の道誉(どうよ)様の………」
「そうよ。尊氏公の時代に名を馳せた婆娑羅(ばさら)大名の血を、高秀殿もしっかり受け継いでいるということだ」
 伝統的権威を無視し傍若無人に振る舞う風潮を「婆娑羅」と言ったが、佐々木道誉は「婆娑羅」の奇抜をむしろ風流として好む守護大名であった。道誉は近江の京極氏の嫡流で、近江の他に五カ国を統治し有力大名の内紛には黒幕として必ず名が挙がる。芸能に秀で、和歌・連歌をたしなんだ。高秀はその道誉の子である。
「高秀様は細川派だったのでは?」
「自分の一族を幕府の要職や守護に登用する頼之の露骨なやり方が気に食わなかったらしい。高秀殿がこちら側についてくれたのは心強い。これから反細川派はますます増えるぞ」
「殿はこれからどうなさるおつもりなのです」
「我らは連署して義満公に頼之排斥(はいせき)を訴える。頼之の思い通りにはさせん」
「ですが………」
「何だ、満寿」
「細川様は義満公が十一歳で将軍職に就いてより、後見人としてお仕えしているお方です」
「それがどうした」
「もっとも信頼している細川様を安易に手放すようなことをなさるでしょうか」
「ふん」
「もし義満様がお聞き届けなさらなければ」
 義将は満寿丸の手の指と指の間を執拗に撫でながら言った。
「その時はやむを得ん」
「まさか」
「戦いをも辞さぬ」
「………」
「案ずるな。もしもの場合だ。それほどの覚悟が無ければ事は動かん、ということだ」
 義将の手をさり気なく外しながら、満寿丸が訊いた。
「幕府が内から割れれば、天下は三分どころか四分、五分にも分かれます」
「ふふふ。二十歳を少し越えたばかりの若さだが、義満公はしたたかだぞ。前が見えておる。自ら足元を崩すような真似はすまい」
 外された義将の手が上に伸び、満寿丸の耳の窪みをまさぐる。
「まずは細川頼之を取り除くだろう。何かにつけ自分の思い通りにさせぬ、眼の上の瘤(こぶ)だからな。次いで三種の神器を南朝より北朝に移す」
「三種の神器………」
 満寿丸の耳に、義将の指の感触と初めて聞く言葉が伝わる。
「知らんか。天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)。皇位を持つ証(あかし)として歴代の天皇が受け継いで来た宝物のことだ。後醍醐天皇がこの三種の神器を携えて吉野に逃れたため、いくら京都に朝廷を打ち立てたとしても事が収まらぬのよ」
「その神器を北朝に移せば」
「この争乱は終わる。大義名分が無くなるからな。南朝は消えるしかない。幕府に対抗する守護大名や土豪たちも根を失えばなびく。それを目論んでいるのだ、義満公は」
 義将は胸のつかえが取れ、気が楽になった。満寿丸を抱き寄せ、その肌理(きめ)の細かい頬に自分の髭を擦り付けた。
 満寿丸は義将の為すがままにさせていた。いつもと変わらない淡泊さで、それを受け止めていた。頭の中では、義将の言葉が明滅している。藤若のこと、幕府の内紛、南北朝のいがみ合い、主人である義将の思惑………。だが、そういうものは満寿丸にとってどうでもいいことだった。ただ、三種の神器には興味をそそられた。それは見たことの無い宝物に対する単純な好奇心に過ぎなかったが。
 義将の息が耳に掛かる。満寿丸は、見えない天井の節を脳裏に甦らせようと眼を閉じた。
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