めぐる名月

戸浦 隆

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一、温泉宿の名月

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 ボクのおばあちゃんは明治生まれです。
 勉強が好きで、級長を務めるほどでした。時には先生の代わりに教えてもいたそうです。でも尋常小学校の途中で、学校はやめました。お商売をする店の養女だったので、仕事の手伝いをさせられたのです。
 その当時は、女に教育は必要ないという考えが普通だったのでしょう。だから、おばあちゃんは漢字をあまり知りません。
 毎日、その日の出来ごとや思い出したことをカタカナで書いていました。
 タバコが好きだったけれど、女の人の吸う姿を見て嫌になってやめたとか。夜道で後ろに気配を感じ、襲われる瞬間身をかわし啖呵たんかを切ったとか。日照り続きの夏には、昔あった山の水槽を一人で掘り起こしたとか。
 水槽のふちが土から出た時、おばあちゃんの側には一ぴきの犬がいました。おばあちゃんの真夏の作業を、ずっと見守ってくれていた犬です。デメというその犬を抱きしめ、おばあちゃんは大泣きしたそうです。
 父が手伝い、水槽にセメントを塗って山水を引きました。山水は枯れ掛けていた畑を生き返らせ、ボクたちの夏の遊び場にもなりました。
 そんな思いつくままを、ひも綴じのメモ用紙に鉛筆でカリカリ書いていたのです。
 母はおばあちゃんが書いたものを清書し、新聞に投稿していました。入選して新聞に載ると、ふたりは大喜びでした。
 この話はボクのおばあちゃんの書き残した、そんな思い出話のひとつです。


 夏のにぎわいは去り、秋たけなわまでのひと休み。九月の温泉宿は静かなたたずまいです。秋の気配の草群れのそこここで虫が鳴く。その声に耳を澄ませば、身に過ぎた幸せばかりがよみがえります。わたしも、はや六十の半ばを越しました。
「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」とうたったのは誰だったかしら。確かあれは……と思い出そうとするけれど、名前が出て来ない。いけませんねえ、歳を取ると忘れることが多くなってしまって。
 小さな森の上に、仲秋の名月が昇ろうとしています。ゆっくりと時を刻んで動くにつれ、森の様子も変わります。
 飽きることなく眺めていると、宿のご主人の声。
「お客さん、こちらへおいでなさい。いいお月さんですよ」
 家族で月見の宴を開いているらしい。宿のご主人とその息子夫婦、孫たちの仲間に加えていただきました。
 子どもたちが歌い出す。
「出た出た月が、まあるい、まあるい、まんまるい……」
 子どもたちの合唱に誘われるように、森のこずえの先に満月が浮かび上がります。ほんとうにウサギがお餅をつきそうな、大きな美しい月です。秋の野花と山盛りのお団子を、月明かりがくっきりと照らしていました。
 その時、わたしは風変わりなお供えに気がついたのです。
 二つ折りの半紙にのった、十銭玉二つとおにぎり。
 その昔、わたしもよくご厄介やっかいになったものでした。でも、月見のお供えにしてはちょっと妙な感じがします。
 私の眼の先に気づいた宿のご主人。
「ああ、それですか。おかしいとお思いでしょう? そのお供えには、思い出がありましてね」
 空に浮かぶ満月を見ながら、ご主人が問わず語りに話し始めました。
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