めぐる名月

戸浦 隆

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三、おばあちゃんの名月

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 あの頃、昭和五年だったか。
 わたしは夫の仕事の都合で、ほんのわずかの間だけ長府に住んでいました。貧乏だったけれど、一歳の娘との三人暮らし。行き倒れにならないだけでも幸せだ、と思っていました。
 家は街道筋にあって、無銭飲食や物乞ものごいの人をよく見掛けたものです。当時は、世の中全体がそんな有りさまでねえ。そういう人に会うたびに、何度かわずかのものを渡していました。自分も昔は同じようにつらい日があった、と思い出しましてね。
 隣の人から、よく笑われたものです。
「ここは日に三人や五人、困った人の通らない日はないんだから。奥さんのようにしていたら、切りが無い」って。
 その通りだ、と思いますよ。でも、わたしのささいな行いをこんなにも大事に受け止めてくれた人もいた。ああ自分の出来る精一杯のことをしてあげてよかった、と心底思います。
 宿のご主人に、わたしのことを告げる必要はありません。それぞれの思いが何十年を経て、今夜ここで重なっただけなのですから。名月がめぐり来るたびに、ご主人は二十銭とおにぎりを供えることでしょう。わたしは宿のご主人のことを思い出し、お互いのゆく末と無事を祈るだけ。
 お月さまが、ずいぶん高く昇りました。縁側に置かれたお供えに、お月さまはおだやかな光りを届けてくれています。


 おばあちゃんが亡くなったのは、昭和五十三年の夏のことです。七十八歳でした。わずらった肺ガンが体のあちこちに転移していたのです。
 朝早くボクたちは家からリヤカーを引き、おばあちゃんを迎えに行きました。手続きや荷物の片付けがあって先に行っていた母が、病院で待っていました。
 リヤカーにおばあちゃんを乗せ、山の中腹の家まで連れて帰る。それは、おばあちゃんの遺言でした。
「生きるのは人さまに迷惑を掛けることだから。死んだ時ぐらい、なるべく迷惑を掛けないように始末しとくれ」
 父が前を引き、母と妹は両脇に、ボクと弟が後ろを押す。急な坂道も暑さも、不思議に苦になりませんでした。
 家の寝床に横になったおばあちゃんと家族だけで、丸一日過ごしました。
 シワがいっぱいのおばあちゃんの顔は、けれどもすっきりとして綺麗でした。
 おばあちゃんが人に迷惑を掛けて来たとは、ボクには思えません。人に生かされて生きるのはお互いさま、だから謙虚に生きること。そういう気持ちで言ったんじゃないか、と思います。
 長府に住んでいたという家も九州の宿も、今はどこにあるのか分かりません。おばあちゃんは亡くなり、その宿の主人ももう亡くなっているでしょう。
 場所は変わり時は移るけれど、毎年仲秋の名月はめぐって来ます。その月を見る時ばかりは、おばあちゃんのことを想うのです。

       ── 了 ──
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