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二、土佐
しおりを挟む--九月三日(陰暦八月六日)
高知城下は、騒然となった。
幕府役人が大挙しての土佐入りは、藩政始まって以来無かったことなのだ。平山図書頭率いる総勢三十二名は六つに分散し、割り当てられた宿舎に入った。
パークスの乗る軍艦バジリスク号が須崎に入港すると、乾退助指揮下の土佐藩諸隊が、警備のため要所に配備された。談判場所に予定されていた須崎大善寺にも、興奮気味の兵が派遣される。率いていたのは山田喜久馬、山路忠七、祖父江可成、高屋左兵衛ら屈強の面々である。
「談判はここでやるがですか、大監察殿」
中の一人、大藪新助の顔はすでに紅潮している。
「異人どもは腰掛けですろう。こちらは正座すべきじゃ思います。連中の礼に習うがは国辱ですき」
佐佐木三四郎は、穏やかに応じた。
「向こうが腰掛けて、こっちが坐るがか? ほいたら自然と上から見下される格好になるろうがよ。談判いうがは対等な立場で向かい合わないかん」
一同は「もっともだ」と頷いたが、今度は血気にはやる祖父江が詰め寄る。
「幕府の軍艦に乗って来ちゅう役人らぁが洋服着ぃて上陸しよったら、異人とみなして銃撃すべきじゃ」
「幕府の人間も同じ日本人やき。日本人と知っちょって発砲して殺すがかえ? それぁ暴論ぜよ。おまん、よおう考えや」
祖父江は佐佐木のたしなめに口を閉ざした。
「言うちょかないかんことがあるき、みな聞いとうせ」
興奮する一同を見回し、佐佐木が続ける。
「英国軍艦はしばらく碇泊する間、習練をする言いゆう。砲声が聞こえても攻撃やないき。くれぐれも間違いを起こしなや」
口々に異論が飛び出した。
「聞き捨てならんちや」
「たとえ訓練いうたち、土佐藩内の港やいか。発砲らしてみぃや、やっちゃるき」
「そうぜよ。発砲には発砲で応じちゃらいでどうするぜ」
「まっことそのままに打ち捨てられるかや」
連中はちょっとしたことで暴走しかねない。その危惧をひしひしと肌に感じるのだ。佐佐木は両手を広げ、まあまあと皆をなだめた。
「解った、解ったちや。発砲は差し控えるよう、よおぅ言うちょく」
こうした陸上の騒然とした空気は、船上からでも感じ取れた。三国丸から土佐の蒸気船「夕顔丸」に移っていた坂本龍馬はものものしい警備に半ばあきれ、隣の土佐藩士岡内俊太郎に言った。
「どうしゆうぜよ、あれらぁは」
「ちくと殺気立っちょりますねぁ」
「指揮しゆうがは乾に変あらん。おまん、行て言うて来とぅせ」
「はあ」
「えいかえ。英国軍艦のマストに提督旗を掲げちゃあせんろう。あれぁ戦意の無い証拠ぜよ。そんなことも知らんづつ騒ぎ過ぎよや。イギリス人に馬鹿にされるき。日本人はまっこと迂闊な人種じゃ、ち」
坂本は岡内を送り出しながら、一刻も早く世界に追いつける国づくりの必要を改めて思い知らされた。大政奉還はもう眼の前なのだ。こんなことで時間を潰されるのはかなわない。だが事件の行方がどうなるのか。それを見定めなければ先に進めないことも事実だった。
一方、アーネストも緊張を感じないわけではなかった。艦から見える陸に、何やらただ事でない気配を感じる。それで、何が起こっても対処出来るための準備だけはしておくよう、艦長始め水夫たちに命じておいた。
土佐藩参政の後藤象二郎が来艦した。後藤は長崎の事件に関しては真摯(しんし)な態度で取り組むと明言したが、パークスは聞く耳を持たない。恐ろしいほどの剣幕で怒鳴り散らす。まるで暴君そのものの態度だ。アーネストは、追い返された後藤を気の毒に思った。
続いてやって来た平山がパークスと会談を持つ。だが平山は、パークスの期待するような答えを持って来てはいない。これでは子どもの使い同然ではないか、とパークスは平山に怒号と罵声を浴びせた。火に油を注ぐような結果しか得られない平山は、自分の置かれている窮状を長々と訴えるしかなかった。
こういう状態では談判を開くことさえ危ぶまれる。
「やれやれ、ひと働きしなければ動きそうもないな」
そう判断したアーネストは、後藤と会うため上陸することにした。
前もって連絡していたから土佐藩兵と面倒は起こらなかった。だが皮膚を剃刀(かみそり)で撫でられるような、ヒリヒリした空気を感じないわけにはいかない。アーネストは、一触即発の雰囲気の中で後藤象二郎と対面した。
「まず、サー・パークスの非礼をお詫びしなければなりません」
アーネストの謙虚な態度に、後藤はいくぶん表情を和らげた。
「ミニストルは、誰にでもあんな風に接するがですか」
「いえ。時と場合、相手によってです」
「土佐がなめられちゅうがか、ワシがなめられちゅうがか、そのどっちかですろう」
「腹立ちは解ります。しかし、我々は談判をするために土佐に来ているのです」
「けんどのぉ、身に覚えのない疑いを掛けられちゅういうだけで犯人扱いされるがは、気が収まらんき」
「もっともだと思います」
アーネストは、慎重に言葉を選ばなければならないと思った。
「サー・パークスは土佐の人間が犯人に違いないと思い込んでいます。ですが、談判は事件の真相を明らかにするためのものです。ミスター・後藤、土佐藩を代表するあなたにひと肌脱いで貰わなければ、談判は開かれないも同然です」
後藤はあっさりと頷いた。ここでイギリス側ともめても得策ではない、と瞬時に判断したのだ。
「解った。では、イギリス側が土佐に嫌疑を掛けている理由を説明しとうせ。まずはそれからですき」
アーネストは、後藤を見込みのある人物だと感じ取った。頭の回転は鋭い。状況の把握も正確だ。また、それに対する決断力も備えている。アーネストはパークスからもたらされた情報を包み隠さず後藤に語った。
後藤はイギリス側の言い分に対し、疑問も寸評も差し挟まなかった。すべては談判の席で言うべきことだからだ。話を聞き終わると、明日の談判に出席出来るよう取り計らってくれ、とアーネストに頼んだ。
「もちろんです。そのために私はここに出向いて来たのですから」
後藤の理解に、アーネストは丁重な礼を述べた。
「ちくと気になることがある」
「何です?」
「ミスター・サトウの連れちゅう人間がおりますろう」
「ああ。小野と野口ですか」
「彼らは幕府が付けてくれたがですか」
「ええ。小野は書記で、野口は従者として私の身の回りのことを何かと手伝ってくれています」
「気ぃ付けた方がえい」
「なぜです?」
「幕府の隠密か知れんきに」
「スパイ、だというのですか?」
アーネストは一笑に付したが、後藤はいぶかしそうな顔をくずさない。
土佐藩側は、幕府が長崎事件に激昂するパークスを利用して討幕派の土佐藩を混乱させようと動いているのではないか、という疑念を抱いている。それほどに土佐藩は、懐疑を念頭に置いて自分たちと接しているのか。悪くすると、イギリスと土佐藩がいがみ合うことになりかねない。アーネストは強くそう感じた。
日本の革命を後押ししたいと思っているアーネストにとって、それは最も避けたい事態だった。「イカルス号事件」が、その大きな黒い影を日本の夜明けに落としている。パークスやアーネスト自身、被害者も容疑者の土佐海援隊も、幕府や討幕派諸藩、その他多くの人間が蝋(ろう)で作られたイカルスの翼に巻き込まれ、日の出の太陽に向かって進んでいる。やがてその光と熱をまともに受け、イカルスの翼とともにどろどろに溶けようとしているのではないのだろうか。
アーネストは、気を引き締めて事に臨まなければならないと、改めて心に刻み込んだ。
--九月四日(陰暦八月七日)
談判は土佐藩の夕顔丸で行うことになった。陸上の不穏な空気の中では何が起こるか解らなかったからだ。
出席者はイギリス側のパークスとアーネスト、土佐藩側代表の後藤象二郎である。
後藤は昨日やって来た時と同じことを言った。
「犯人は土佐藩の者ではないと信じちょります。ですが、たとえ土佐の人間であろうとなかろうと、犯人の発見には全力を尽くしますき」
パークスは立ち上がり、例のパフォーマンスを演じた。部屋中に大きな音が響き渡る。パークスの拳以上に頑丈でなければ、テーブルはいくつあっても足りないだろうとアーネストは思う。
「信じる信じないではない!」
それにしても雷のような声だ。だが、後藤は涼しい顔を少しも変えなかった。
「いいか、ミスター・後藤。私が土佐に望んでいるものは、友好関係以外の何ものでもない。正式な談判は土佐ではなく、政府と行う!」
「幕府は、土佐藩が直接イギリス側と談判するよう言いよります」
「犯人が土佐藩の者なら、それを匿(かくま)うかも知れない土佐藩の言い分は信用が置けない。だから諸藩を束ねる幕府が、このテーブルに!」
もう一度、パークスの拳とテーブルとが凄まじい音を立てた。
「着くべきなのだ!」
パークスは「幕府が自分たちの主張することに同意している」と、後藤に言った。幕府は我々とは別の情報を得る能力を持っている。その幕府が同意見だということは、客観的に見て土佐藩士が犯人であるという可能性は高い。偏見を持ちかねない土佐藩と談判する必要は、我々には無い。談判は日本の諸藩を統轄する幕府が土佐藩と行う。それが筋というものだ。土佐藩は犯人を差し出すだけでいい。それがパークスの考えだった。
「仮にです。仮に犯人が土佐藩の者だとしちょきましょう。その場合、犯人捕縛に幕府は手を出せませんき。それに、犯人の詮議もです」
「なぜだ!」
「土佐の者なら土佐藩が捕縛し、土佐藩が詮議する。藩内のことは藩主が責任を負う、いうことになっちょります。それがこの国の、今の制度ながです」
「何という国だ、この国は! 話にならん!」
パークスは床を踏み鳴らし、ドシドシと歩き回った。
そのパークスの背に、パークスに負けないくらい大きな声を後藤は投げ掛けた。
「なる話にせな、いかんがと違いますろうか!」
パークスの顔が見る見る赤く染まった。
後藤はそのパークスの顔をじっと見据えている。
「ミスター・パークス。あなたの態度は実に乱暴極まりない。そういう言葉遣いや振る舞いは、他日必ず騒動を引き起こすと私は懸念しちょります。あなたがこの土佐までわざわざやって来たがは、ミスター・パークス、交渉のためですろうか。それとも挑戦のためですろうか。私はまっこと理解に苦しんじゅう。私は山内容堂公から直々(じきじき)に遣わされたがです。私と話すがは、容堂公ご自身と話すがに等しい。このような侮辱的な態度で接するがでしたら、私はむしろ談判の中止を申し込みたい」
毅然とした後藤の言い分だった。
アーネストは思わず胸の内で拍手喝采を唱えた。今までサー・パークスに正面切って思うところをはっきり言う人物はいなかったのだ。アーネストは、眼を白黒させているヒグマに自分も思うところを申し述べた。
「サー・パークス。世界に冠たる英国はその手本となる外交をすべきだ、と思いますが」
アーネストの言葉に、パークスは虚を突かれたような表情を浮かべた。そうして自分の席に戻り、椅子の背もたれを両手で掴んだ。
「そうだな。確かにそうだ」
パークスは椅子を引き、静かに腰を下ろした。
「私は中国に在任していた時、常に威圧的に接して来た。その方が効果的な結果を得られることが多かったからだ。その経験から、ついついこの国の人々にも同じような態度を取って来た。無礼であったことを許されたい」
やっとこの時点から本題に入った。だが議論は平行線をたどるしかなかった。何しろパークスの意見は風説の域を出ず、確証も無い。後藤の方も議論を展開出来る材料を持っていなかったのだ。翌日に当事者である「若紫」(南海丸)の艦長らを呼び、二度目の談判を開くことにした。
「あれは何をしているのか?」
話が一段落つき、転じた眼に映ったものを見てパークスが後藤に問うた。
陸地で土佐藩兵たちが気勢を上げ、示威行動を取っている。
後藤もちらりと陸地を見た。
「ああ。何ちゃあないがです。猪狩りをしゆうだけですき」
--九月五日(陰暦八月八日)
訊問が始まった。
土佐藩は後藤象二郎に加え佐佐木三四郎、由比猪内、前野源之助。容疑者側として土佐藩砲艦若紫(南海丸)艦長野崎伝太、寺田典膳が出席した。
幕府側の出席者は大目付戸川伊豆守と目付設楽岩次郎で、平山は幕府の回天丸に留まった。土佐藩船「夕顔丸」は土佐藩の領土である。よって土佐藩士を裁く場では、幕府はこれに手を出すことは出来ない。それが取って付けたような平山欠席の理由だった。
アーネストは平山の本音がパークスの顔を見たくないだけのことだと見抜いていた。平山が居ようが居まいが、幕府側が訊問の成り行きを見届けるだけの聞き役に終始するだろうことも。
イギリス側のパークスが自説を披露した。
「七月六日夜、我々の陽暦で言うと八月五日夜、いや六日の午前零時から二時頃、長崎丸山の引田屋前で我が英国軍艦イカルス号のマドロス(水夫)二名が殺害された。犯人は遁走(とんそう)して見つかっていない」
後藤象二郎が訊いた。
「それは確証のあることですろうか」
「殺されたのは事実だ」
パークスは穏やかに答えた。昨日の後藤の抗議が功を奏し、ヒグマはモーニングを着て結婚式に参列している紳士のようだ。
「犯人は横笛丸に乗って海上に逃れたものと思われる」
「その根拠は?」
「探索したが、犯人らしき人物の姿がどこにもいない。直ちに長崎を出たと考えるのが自然だろう」
「横笛丸と限定した理由は?」
「横笛丸はその夜三時頃に出航している。犯人が逃亡したとすれば時間的に合致する。それに、横笛丸以外に港を出た船はいないのだ」
「犯人が土佐藩に関わりのある者だとするのは?」
「横笛丸は土佐海援隊に所属する。また、犯人らしき人物を引田屋近辺で目撃した証人がいる」
「目撃証言をしたがは、どんな人物です?」
「岩助という外国人道案内をしている男だ」
「岩助なる人物の詳しい証言を聞かせて貰えませんろうか」
「二人の外国人水夫が酔いつぶれ、路上に寝ていた。そこに酩酊した十二、三人の武士が詩を吟じながら差し掛かり、中の一人が抜刀したと証言している」
「犯人は土佐の者だと言うたがですか?」
「いや、明言したわけではない。しかし、岩助はこう言っている。その武士たちは白筒袖の服装をしていた、と」
「白筒袖、ですか」
「聞けば、土佐海援隊の服装だそうではないか。犯人は海援隊隊士の一人だと断定出来る証拠だ」
「ミスター・パークス。それだけでは断定出来んですき」
「なぜだ」
「まず、岩助いう人間が信用出来るかどうかが問題ながです」
「証人が噓をついたと言うのか? 噓をついて、何の得がある」
「いや。信用度の問題ながです。岩助が信用に足る人間かどうかで、証言の信用度が違いますき。岩助を知る複数の人間からその人となりを聴かないかん思うちょります」
ううむ、とパークスは唸った。ヒグマが考え込む姿は案外可愛いものだ、とアーネストは意外な気がした。
後藤は落ち着いて続けた。
「それに、ミスター・パークス」
「何だ」
「白筒袖を着ちゅう人間が、必ずしも土佐海援隊隊士だとは決め付けられませんきに」
「ああ?」
パークスは怪訝(けげん)な眼を後藤に向けた。
「長崎では、海援隊はかなり幅を利かせちょります。我が藩は長崎に貿易のため『土佐商会』いうがを置いちゅうがですが」
「ふむ」
「商会は海援隊に融資をしゆうがです。そこを任せちゅう主任の岩崎弥太郎の報告によれば、海援隊の働きは眼を見張るものがあり、また料亭や遊郭でも豪気に散財しゆうらしい。他藩の藩士がこれを羨(うらや)ましがりゆう言いよります」
「何が言いたいのか、ミスター・後藤」
「ですき、羽振りのえい海援隊隊士を真似(まね)て、中には同じ衣装をしちゅう他藩の者もおるがです。そうじゃないかえ、野崎艦長」
野崎は心得たとばかり、何度も頷いた。
パークスは後藤の言い分に理解を示したが、まだ疑惑が晴れるに至っていないと自説を繰り返した。
「しかし『横笛丸』が出航して、一時間半後に後を追うように『若紫』も出航した。犯人は海上で乗り換えたと私は確信する」
後藤は若紫艦長に眼を移した。
「そういう事実があったがか、野崎艦長」
野崎は首を横に振った。
「まったくの事実無根ですき」
「何だと!」
それまで紳士然としていたパークスが、にわかに豹変しそうな気配を見せる。
「静粛に願いたい!」と、後藤がパークスを制した。
「ミスター・パークス、反論は野崎艦長の言い分を聞いてからでえいですろう」
パークスは、ふんと荒い鼻息を吹いただけで自分を抑えた。今までのパークスとは明らかに違うパークスだ。アーネストは可笑(おか)しくなった。
「野崎艦長に訊くが………」
「何じゃち訊いとうせ」
「事実無根言うたけんど、ミスター・パークスが納得するような説明が出来るがかえ」
「『若紫』が出航したがは、七日の朝四時ではないですき」
「いつぜよ」
「七日の四ツ、午後十時」
「何だと!」
パークスは、それこそびっくり箱から跳び出すバネ仕掛けの人形のように跳び上がった。
後藤は、落ち着くようまたパークスに言わなければならなかった。
「ほいたら、犯人は『横笛丸』から『若紫』に乗り移ることが出来んじゃいか」
「ワシらぁの船に、部外者は誰っちゃあ乗せちゃあせんですき」
パークスが立ったまま叫んだ。
「そんな馬鹿なことがあるか!」
野崎はむっとして答えた。
「疑うやったら調べて貰うてかまんぜよ。ワシらぁの船が出港した刻限は、ちゃあんと長崎奉行所に届けちゅうきに」
パークスの憤(いきどお)りは、今度は長崎奉行の悪態をつく方に向けられた。
「そのことはもう一度調べ直すことにしたらえい。そうですろう、ミスター・パークス」
後藤の言葉にパークスは頷かざるを得なかった。だが、パークスは疑問を払拭したわけではない。
「ミスター・後藤」
「イエス」
「もう一つ、腑に落ちないことがある」
「何ですろう」
「なぜ横笛丸は夜中ともいうべき時刻に出航しなければならなかったのか。犯人を乗せるのがその目的でなかったとしたら、横笛丸の目的は何だったのか」
「それは横笛丸の艦長に訊かな解らんですき。野崎艦長、横笛丸は今どこにおるがな」
「長崎じゃ思いますが」
パークスは、椅子に落とし掛けた腰を再び上げた。
「それでは、諸君。長崎で再調査をすることを提案したい」
一同に異論のある筈もない。パークスの論理が崩れたのだ。土佐藩側は次の進展に踏み出す段階に至ったことを暗黙の内に了解した。
訊問が済んで、アーネストはパークスとともに軍艦バジリスク号に戻った。戻るとすぐにパークスはアーネストを自室に呼んだ。
「私は江戸に帰る。後はお前に任せることにする」
アーネストは、これでやっと自分の力を発揮出来ると喜んだ。
「いいか、ミスター・サトウ。お前がしなければならないことが二つある」
「はい」
「一つは幕府と土佐の両方の調査活動を監視すること」
「解りました。もう一つは?」
「大坂で板倉に約束させたことだ」
「長崎奉行の件ですか?」
「そうだ。二人の長崎奉行を本当に罷免するかどうか、これも厳重に見届けろ」
それだけ言うと、パークスは机に向かった。本国のスタンレー外相に送らなければならない報告書を書き上げるためだ。
アーネストは一礼すると、パークスの部屋を出た。ドアを閉める時、うつむいて書きものを始めたパークスの頭の頂上がまともに眼に入った。パークスの頭の中にアーネストのことはすでに無い。カリカリと音を立てペンを走らせている。ヒグマが突如、どんぐりを齧(かじ)る子リスに変身したみたいだった。アーネストは子リスの邪魔にならないよう、静かにドアを閉めた。
--九月八日(陰暦八月十一日)
高知湾から鏡川に入った兵庫丸は小さな入り江に碇(いかり)を投じた。ここからは川幅は広いが水深は浅い。乗り換えた屋形船の上で遅い朝食を摂(と)りながら、アーネストは城を見上げた。四層の高い天守閣がそびえている。美しい城だ。まもなく堤防のある堀割りを左に曲がり、町外れの大きな真新しい建物の下に着く。
後藤象二郎がにこやかに微笑みながら、アーネストを出迎えた。
「よう来た、よう来た。疲れつろう」
「いや、大丈夫です」
「容堂公とは、この開成館で会うて貰いますき」
昨夜遅く、アーネストは後藤から手紙を受け取った。高知に来て「隠居(山内容堂)」に会え、という。迎えに寄越された兵庫丸に乗り込み、須崎から浦戸に掛かる辺りまで船中で寝た。大きな船ではない。しかも格納箱の上だったから熟睡は出来なかった。屋形船は、川風は心地よいが寝不足を解消してはくれなかった。疲れていないと言えば噓になる。しかし、高知の城下町を歩かせ異人を見物人に晒すのを避けてくれた後藤の配慮に、アーネストは感謝した。
「なかなか立派な建物ですね」
「そうですろう。去年建ったばっかりやき」
「何のための建物なのですか」
「外国語と科学を教授するがです」
胸を張って答える後藤は、まるで褒められた子どものように嬉しそうだった。
着替えを済ませたアーネストは、開成館の二階に案内された。部屋の入口に来ると、山内容堂が立っている。直々に出迎えた背の高い容堂は、指先が足先に届くほど深々とお辞儀した。
アーネストも容堂に習い、深く頭を下げた。
容堂は床の間を背にして立派な肘(ひじ)掛け椅子に腰を下ろす。アーネストの方は尻の当たるところが籘(とう)で編んである不格好な椅子に向かい合わせに坐った。後藤と同僚数名は次の間との境である敷居のところに坐っている。
「おまさんの名ぁは、よおう聞いちゅう。かねがね会いたい思ちょった」
「お目に掛かる機会を与えていただき、まことに感謝いたします」
「サトウという姓からすると、日本と繋がる血を持っちゅうがか」
「いえ。サトウはスラブ系の希少姓で、スウェーデン人の父方のものです」
「ほうか。日本には佐藤姓が多いき、親しみを覚える者もおるろう」
「私も、自分の名前が日本人との交流に大いに役立っているよう感じています」
「得じゃいか、通辞の仕事には。のぉ」
後藤から、容堂は内臓疾患だと聞いている。確かに痩せて顔色が悪い。四十歳だというが、顔にあばたがあり歯並びが悪いので老人のように見える。「鯨海酔候(げいかいすいこう)」と自ら称するほどの酒好きだからだろうか、アーネストは何となく親近感を抱いた。これまでアーネストは何人かの各藩を代表する人物、特に将軍慶喜を支える四候のうち越前の松平春嶽を除く薩摩の島津久光・宇和島の伊達宗城・土佐の山内容堂の三人に会ったことになる。その中でも容堂は異色に感じた。畏(かしこ)まらない、くだけた印象を受ける。
「後藤から聞いちゅう思うが、長崎の一件のことは」
「はい」
「将軍慶喜公から親書が届いちゅう」
「大君にもお気を遣わせました」
「将軍はのぉ、土佐に不利な証拠があるきに犯人を処罰せい言いゆう。もちろん土佐の人間が下手人じゃったら、将軍に言われいでもこれを捕らえて処罰する。たとえ他藩の人間じゃっても、発見の労は惜しまんつもりじゃ」
「お心遣い、大変ありがたく思います」
「けんどのぉ、将軍の言う『証拠』いうがが解らん」
早口で喋る容堂は、アーネストから眼を離さない。じっと見詰める眼光は、しかし、宙を漂っているようにも見える。捉えどころの無い眼だった。
「私はこう思います。サー・パークスの申し立てだけで、幕府が納得するとは考えられません。幕府は幕府で何か証拠を掴んでいるのでしょう。もしそうでないとしたら、幕府はサー・パークスとの不愉快な談判を逃れるために、土佐に嫌疑を掛けたのかも知れません」
後ろから、後藤が大きな声を上げた。
「それぁ許せん! もしそやったら、幕府にねじ込んじゃるき!」
「後藤。客人の前で大声はいかんろうがよ」
笑いながら後藤をたしなめた容堂は、アーネストに穏やかに話し掛けた。
「ミスター・サトウ」
「はい」
「実は、越前の友人からも手紙を貰ちゅう」
「松平春嶽様ですか」
「ああ。イギリスが激昂しちゅうきに妥協した方がえい、とぉ」
容堂は、アーネストの反応を窺(うかが)いながら言葉を続けた。
「友の忠告は大事にせないかん。がじゃ、ワシは妥協はせん。さっきワシが言うたようにするきに、の」
「幕府の応対から見て、私は幕府が独自の『証拠』を握っていると思いますが」
「どんな『証拠』ぜよ。平山が言うたがは、『下手人が横笛丸から南海丸に乗り移った』いうだけじゃいか。しかも、裏付けは無い」
「我々イギリス側の考えも同じ想定に基づいています。こんなにやかましく言い立てたあげく他藩の人間が犯人だったとすれば、我々は大いに恥じ入らねばなりません。ですが、土佐に疑いが無いという理由も見つかりません」
「後藤が言うに、長崎で再吟味することになったそうなが」
「その通りです」
「そうするがえい。このままグジグジしよったらお互い体に悪いきに、のぉ」
アーネストは、容堂の芯の強さと物事に対応する柔らかさを感じ取った。おそらく土佐は、変革を迎えようとしているこの日本で大きな役割をするのではないか、という予感をアーネストに抱かせた。
それから話は容堂と後藤の質問に答えるという形で、最近の諸外国の動向についてのことに移った。
やがて酒肴(しゅこう)が整えられた。二十五菜の皿鉢(さわち)料理が並べられ、見事に髪を結った女性たちが酌(しゃく)をする。解剖学を教授するために作ったという等身大の男女の模型が持ち込まれ、それをバラバラに分解して披露する。決していい眺めではない。アーネストは身震いした。
容堂が、気分が悪くなったので失礼すると言って部屋を出た。アーネストも実のところ部屋を出たかったのだが、そういうわけにはいかない。
代わって、後藤と由比猪内がアーネストの相手をした。ずいぶん多くの汁物が出されたが、アーネストはほとんど口に出来なかった。指の瘭疽(ひょうそ・化膿性炎症)が熱を持って痛みがひどく、食欲がなかったのだ。
アーネストが辞去の挨拶をするために隣の部屋へ入ると、容堂は酒を飲んでいた。あれからずっと飲み続けていたのだ。さすがに「鯨海酔候」と言うだけのことはある、とアーネストはほとんど驚きの眼で容堂を眺めた。
「いぬる(帰る)がか」
「歓待に感謝いたします」
「ミニストル・パークスは、えい部下を持っちゅう」
容堂は、少しろれつの回らない口調で言った。
「そう言っていただいて恐縮です。ですが、あなた様もそれはご同様だと思いますが」
「ほうか、ほうか」
容堂は嬉しそうにうなずきながら、盃を口に運んだ。
「後藤。ミスター・サトウに贈り物を」
「あ。いや、お気遣いは………」
言い掛けたアーネストを、後藤が横から制した。
「断ったらいかんがです」
「そうなのですか?」
「贈り物いうがは宴会に欠くべからざるものながです。受け取るがが礼儀ですき」
「解りました。では、サー・パークスの承認を得られたならば、という条件でありがたく頂戴することにいたします」
容堂はアーネストに、白縮緬(しろちりめん)の反物(たんもの)七反をはなむけとして用意してくれていた。
二人は会った時と同様に丁寧に頭を下げ、別れの挨拶を交わした。
アーネストは会見の前よりも、容堂を高く評価している自分に気付いた。彼は決して偏見を持つ人間ではない。また決して保守的な人間でもない、と。
再び屋形船に乗った。何艘(なんそう)もの小舟が追い掛けて来て、アーネストを見ようと身を乗り出す。中にはアーネストの乗る船にぶつかって来る舟もあった。これでは街中を歩いていれば大変なことになっていただろう。改めて後藤の気配りをありがたく思った。
大坂から東海道を上ったり、加賀から大坂まで旅をしたことのあるアーネストだが、どこでも人々は大人しかった。遠巻きに、あるいは物陰から珍しい異人をこっそり眺めるといった風だった。だが土佐人の気質はまるで違う。つっけんどんのように見えて、実は親切心は篤(あつ)い。興味のあることは、とことん追いかける。情熱的で、開放的だ。わだかまれば、しこりは根強く残るだろう。だが一旦胸襟を開き理解し合えば、仇敵(きゅうてき)も友とする。そんな気質が風土の中で育(はぐく)まれているような気がした。
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おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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