6 / 12
第二章(二)崇徳天皇譲位のこと①
しおりを挟む
前関白藤原忠実の語る(一)
そもそもの発端はな、白河法皇様よ。
食えないお方だ。璋子様を嫡男忠通の嫁に、と言って来た。そんな話をまともに受ける誰がいる。璋子様は正二位権(ごん)大納言藤原公実(きんざね)の娘だ。だが「乱行の人」と陰で言われていたのは知っているだろう。「乱行の人」に成したは法皇様ご自身なのだ。法皇様は生まれて間もない璋子様を、寵愛する祇園女御の養女にしてお育てになったが、その可愛がりようは度を越しておった。
いつだったか、私が院に参った時のことだ。
「忠実(ただざね)でございます」
私は深々と一礼し、そう言った。
「何用か」
法皇様の不機嫌そうなしゃがれ声が、御簾(みす)内から投げ返された。
「本日は延暦寺の………」
頭を上げて言い掛けた時、息を呑み込んだ。
「くすぐったい。キャッキャッ」
幼い璋子様のはしゃぐ声が聞こえて来たのだ。
私は御簾越しの法皇様の影に眼を凝らした。上畳(うわだたみ)に横になっている法皇様が、璋子様の両脚を自分の懐(ふところ)に入れ戯れているではないか。眼のやり場に困った。だが、政務を蔑(ないがし)ろにするわけにはいかぬ。ゴホンと一つ咳払いをして、再び申し上げようとした。
「延暦寺の僧徒の強訴(ごうそ)の件につきまして………」
法皇様は、横たわったまま私の言葉をさえぎった。
「今は手が離せぬ。後で参れ」
さすがに頭にカーッと血が昇るのを覚えた。手が離せないとは何ごとか。いくら幼い子が相手だとはいえ、昼の日中(ひなか)から閨(ねや)で戯れているとは、呆れ返って開いた口が塞がらぬわ。これが国政を執るお方のすることか!
私は立ち上がるや、足元を蹴散らすように退出した。
その後のことは眼にしておらずとも想像がつく。法皇様が璋子様の柔らかい脚を撫でる。ガサつく掌の皮膚がかえって刺激になるのか、璋子様は脚を跳ね上げたり縮めたりしながら、またキャッキャッと笑う。そうして法皇様は、おそらく璋子様にこう言ったことであろうよ。
「無粋なやつじゃ。のう、璋子。あやつはもっともらしい顔をして朕(われ)に伺いを立てながら、腹の底では朕のやり方を嫌うておる。あやつのすること為すことに、朕がことごとく反対するからじゃ。朕の命に背くことは出来ん。それゆえに、身動き取れなくなっておるのじゃ」とな。
藤原摂関家は代々天皇の代わりに政治を執っておる。ところが、それを嫌った白河天皇様は、譲位して上皇になると院政を始められた。言えば、同時に二つの朝廷が存在するようなものだ。摂関家は白河院様の顔色を窺いながら政務を執らなければならなくなった。それをいいことに、白河院様は私を揶揄(やゆ)したり、意図的に困惑させるような態度を取るようになったのだ。
白河院様は出家して法皇になると、造寺造仏や参詣に熱心になった。そのために朝廷は財政難に陥ったのだぞ。私の苦労など、あのお方は意にも介さぬ。日ごと夜ごと、璋子様と戯れておるばかりでな。
ちやほや甘やかし、猫可愛がりに可愛がって育てた璋子様を、法皇様がお手付きなさらぬ筈が無い。璋子様もそれを自然のこととして受け入れたろう。いや、これは表だっては口に出来ないながら、周知のことであったのだ。男女の仲は古今よりいわく言い難いものだが、あの頃六十をとうに越して人としての分別の欠片(かけら)も持ち合わせてなかったとはな。羞恥の極みよ。
自由奔放に育ち、性に目覚められた璋子様は遠慮というものをご存知ない。若い備後守季通(すえみち)と通じたのだ。季通は大納言宗道の三男でな、音楽の才に優れていた。宗道が法皇様のご寵愛を受けていたから、季通は童の頃から内裏に出入りし、長じてからは璋子様に管弦の手ほどきをしておったのだ。単なる遊び心か互いに惹かれ合ってのことかは定かではないが、下地は出来ていたのだろう。
いや、通じたのは季通だけではない。季通のことで法皇様のお叱りが無かったので、今度は加持祈祷に参上した僧侶増賢の連れて来た美しい童子にも興味を示された。まったく屈託無く几帳(きちょう)の陰に童子を引き入れ、女房たちを下がらせた。
璋子様に罪の意識は無かったろう。美しいものを愛で、愉しいことを悦ぶ。それを教えたのは他ならぬ法皇様であったのだ。
璋子様が年頃になられると、法皇様もさすがに手元に置いてはおられない。輿入れ先を考えねばならなくなった。そこで白羽の矢を立てたのが忠通だったというわけだ。そういう「乱行の人」との縁談を、私が言(げん)を左右にして執拗にお断りしたのも分かるだろう。法皇様の洗礼を受けた璋子様をお迎えすれば、藤原摂関家はどうなる? 院の力に牛耳られるは火を見るより明らかではないか。どうして首を縦に振ることなど出来よう。
私に断られて困った法皇様はどうしたと思う?
何とあろうことか、ご自身の孫である鳥羽天皇様に璋子様を押し付けたのだ。鳥羽天皇様は十五歳、璋子様は十七歳であった。入内(じゅだい)が決定された時、思ったわ。「『乱行の人』の入内は日本第一の奇っ怪事、不可思議極まりない。将来きっと取り返しのつかない、末代まで祟(たた)るような忌(い)まわしいことが起こる」とな。
法皇様は抑えの利かないお方だ。思っていた通り、入内後も璋子様をみだりに愛された。そうして一年後、璋子様は皇子をお産みになられた。それが顕仁親王、後の新院様なのだ。
鳥羽天皇様はな、顕仁親王様を「叔父子(おじご)」と呼んでおられた。名目上は自分の「子」でありながら、実は「祖父の子」だ。鳥羽天皇様にとっては「叔父の子」に当たる。何ともやり切れない話ではないか。
鳥羽天皇様の憤(いきどお)りは、表に出すことが出来ない。体の奥底でくすぶり、ふつふつとたぎっておったのだろう。法皇様が熊野に詣でられた留守中に、私をお召しになられてな。真っ直ぐに私を見て、「忠実」とお声を掛けられた。
「はい」
「以前、法皇様よりそなたの娘の入内の話があったが」
「そういうこともございました」
「その時、どうして断った?」
天皇様が私をお咎(とが)めになっているのではないのは、その笑顔と静かなお声で分かった。
「それは………」
「言いにくいのか?」
私は返事に窮した。
「法皇様からのお申し入れであったからか?」
天皇様は、法皇様と私との距離を敏感に感じ取られておいでだった。だが、断った理由はそれだけではない。
「ずいぶんと前の話だ。朕(われ)も幼かった。その頃はものの分かる歳ではなかったと思う。今なら多少は分別もつく。どうだ、忠実。言ってみてはくれまいか」
私は、今頃になって話を蒸し返す天皇様の心中を図りかねた。言葉を探すうちに、天皇様の方からこう仰られた。
「当ててみようか」
愉しい悪戯をする時のように、聡明な明るい眼を輝かせておられる。
「さて………」
どう答えたものかと間を取ろうとしていると、さらりと言われた。
「忠実は、朕を嫌いなのであろう?」
「いえ。滅相もございません」
慌てて打ち消した。
「朕は知っておる」
「何を、でございましょう」
「ちょうどあの後のことだ、そなたが娘の入内を断ったのは」
「あの後、とは?」
「朕がふざけて、滝口の武士(宮中の警護兵)の顔に小弓(しょうきゅう)の矢を射立てたが………」
天皇様は、無垢(むく)な眼を私にお向けになった。
「それが因であろう?」
よく覚えておいでだ。私は図星をつかれ「あ、いや………」と曖昧に口ごもり、ただただ平伏した。
「あはは。やっぱりだ」
天皇様は無邪気に声を上げてお笑いになられた。
「大切な娘をこんな乱暴者の嫁には出せぬ。そう思ったのであろう?」
「まことに畏れ入りまする」
「朕がそなたなら、やはり嫁に出さぬであろう。賢明な判断だと、朕は思うが」
そう言って穏やかに、しかも可笑しくて堪らぬというふうにお笑いになられている。天皇様の素直さ、相手の気持ちを思いやる優しさに、私は感服したものだ。
「名は何という。その娘の」
「勲子(やすこ)でございます」
「そうか。では、忠実」
「はい」
「改めて勲子の入内を命ずる。今度は断ってほしくはないが。どうかな?」
法皇様への精一杯の抵抗であったのだろうな。鳥羽天皇様のお気持ちは、充分に理解出来た。私は私で摂関家を抑えようと意図する法皇様に日頃から反感を募(つの)らせている。それで即座に快諾した。
だが、熊野から戻られた法皇様は激怒なされた。
「自分の命には服さず、天皇の申し出ならば受けるのか!」と、それはもう大変なお怒りようであった。
ひと月後、私は「文書内覧の権」を剥奪されてしまった。「内覧」とは天皇様に奏上する公文書を内見して政務を代行することで、摂政関白に準ずる権限がある。それを取り上げられたのだから、事実上の関白罷免よ。運が尽きたのだ、と観念した。天皇といえども口出し出来なかったほどの摂関家の権威が、法皇様のひと言で霧散したのだ。法皇様の力の大きさを、嫌というほど思い知らされたわ。
鳥羽天皇様も逆らうことはお出来にならなかった。勲子の入内は取り消され、三年後には二十一歳の若さで譲位させられてしまった。そうして、新たに即位したのが顕仁親王様改め崇徳天皇様だ。保安四年(一一二三年)二月のことで、まだ五歳の幼帝であられた。忠通が摂政の任に着いたから、まあ、辛うじて藤原摂関家の面目は保たれはしたのだがな。
すべてが思い通りになり、法皇様のしたい放題に掛かる拍車は留(とど)まることを知らぬ。六年後の崇徳天皇様の元服式に、法皇様は嬉々として参列し、曾孫の晴れ姿をご覧になられた。前代未聞、未曾有(みぞう)のことだぞ、曾孫の元服式に出席するなどということは。
待賢門院となられた璋子様と崇徳天皇様の幸せの絶頂が、法皇様の幸せの絶頂であったな。曾孫の元服式からちょうど七ヶ月と七日後、七十七歳で法皇様の幸せは閉じられた。璋子様と崇徳天皇様の幸せもな。
法皇様が亡くなられると、鳥羽院様は法皇様を否定する施政を行われた。仏教の教理に従って制定していた殺生(せっしょう)禁止令。あれは庶民にとって悪法の何ものでもなかったが、それを廃止なされた。私は剥奪されていた文書内覧の院宣を賜った。勲子は入内し、忠通の娘聖子は崇徳天皇様の中宮に、元服した私の次男頼長は右近衛権少将、中将と昇進し、ついには内大臣にまでなった。
君臣合一が叶い、藤原摂関家もようやく息を吹き返すことが出来た。と、そう喜んでいたのだが………。
そもそもの発端はな、白河法皇様よ。
食えないお方だ。璋子様を嫡男忠通の嫁に、と言って来た。そんな話をまともに受ける誰がいる。璋子様は正二位権(ごん)大納言藤原公実(きんざね)の娘だ。だが「乱行の人」と陰で言われていたのは知っているだろう。「乱行の人」に成したは法皇様ご自身なのだ。法皇様は生まれて間もない璋子様を、寵愛する祇園女御の養女にしてお育てになったが、その可愛がりようは度を越しておった。
いつだったか、私が院に参った時のことだ。
「忠実(ただざね)でございます」
私は深々と一礼し、そう言った。
「何用か」
法皇様の不機嫌そうなしゃがれ声が、御簾(みす)内から投げ返された。
「本日は延暦寺の………」
頭を上げて言い掛けた時、息を呑み込んだ。
「くすぐったい。キャッキャッ」
幼い璋子様のはしゃぐ声が聞こえて来たのだ。
私は御簾越しの法皇様の影に眼を凝らした。上畳(うわだたみ)に横になっている法皇様が、璋子様の両脚を自分の懐(ふところ)に入れ戯れているではないか。眼のやり場に困った。だが、政務を蔑(ないがし)ろにするわけにはいかぬ。ゴホンと一つ咳払いをして、再び申し上げようとした。
「延暦寺の僧徒の強訴(ごうそ)の件につきまして………」
法皇様は、横たわったまま私の言葉をさえぎった。
「今は手が離せぬ。後で参れ」
さすがに頭にカーッと血が昇るのを覚えた。手が離せないとは何ごとか。いくら幼い子が相手だとはいえ、昼の日中(ひなか)から閨(ねや)で戯れているとは、呆れ返って開いた口が塞がらぬわ。これが国政を執るお方のすることか!
私は立ち上がるや、足元を蹴散らすように退出した。
その後のことは眼にしておらずとも想像がつく。法皇様が璋子様の柔らかい脚を撫でる。ガサつく掌の皮膚がかえって刺激になるのか、璋子様は脚を跳ね上げたり縮めたりしながら、またキャッキャッと笑う。そうして法皇様は、おそらく璋子様にこう言ったことであろうよ。
「無粋なやつじゃ。のう、璋子。あやつはもっともらしい顔をして朕(われ)に伺いを立てながら、腹の底では朕のやり方を嫌うておる。あやつのすること為すことに、朕がことごとく反対するからじゃ。朕の命に背くことは出来ん。それゆえに、身動き取れなくなっておるのじゃ」とな。
藤原摂関家は代々天皇の代わりに政治を執っておる。ところが、それを嫌った白河天皇様は、譲位して上皇になると院政を始められた。言えば、同時に二つの朝廷が存在するようなものだ。摂関家は白河院様の顔色を窺いながら政務を執らなければならなくなった。それをいいことに、白河院様は私を揶揄(やゆ)したり、意図的に困惑させるような態度を取るようになったのだ。
白河院様は出家して法皇になると、造寺造仏や参詣に熱心になった。そのために朝廷は財政難に陥ったのだぞ。私の苦労など、あのお方は意にも介さぬ。日ごと夜ごと、璋子様と戯れておるばかりでな。
ちやほや甘やかし、猫可愛がりに可愛がって育てた璋子様を、法皇様がお手付きなさらぬ筈が無い。璋子様もそれを自然のこととして受け入れたろう。いや、これは表だっては口に出来ないながら、周知のことであったのだ。男女の仲は古今よりいわく言い難いものだが、あの頃六十をとうに越して人としての分別の欠片(かけら)も持ち合わせてなかったとはな。羞恥の極みよ。
自由奔放に育ち、性に目覚められた璋子様は遠慮というものをご存知ない。若い備後守季通(すえみち)と通じたのだ。季通は大納言宗道の三男でな、音楽の才に優れていた。宗道が法皇様のご寵愛を受けていたから、季通は童の頃から内裏に出入りし、長じてからは璋子様に管弦の手ほどきをしておったのだ。単なる遊び心か互いに惹かれ合ってのことかは定かではないが、下地は出来ていたのだろう。
いや、通じたのは季通だけではない。季通のことで法皇様のお叱りが無かったので、今度は加持祈祷に参上した僧侶増賢の連れて来た美しい童子にも興味を示された。まったく屈託無く几帳(きちょう)の陰に童子を引き入れ、女房たちを下がらせた。
璋子様に罪の意識は無かったろう。美しいものを愛で、愉しいことを悦ぶ。それを教えたのは他ならぬ法皇様であったのだ。
璋子様が年頃になられると、法皇様もさすがに手元に置いてはおられない。輿入れ先を考えねばならなくなった。そこで白羽の矢を立てたのが忠通だったというわけだ。そういう「乱行の人」との縁談を、私が言(げん)を左右にして執拗にお断りしたのも分かるだろう。法皇様の洗礼を受けた璋子様をお迎えすれば、藤原摂関家はどうなる? 院の力に牛耳られるは火を見るより明らかではないか。どうして首を縦に振ることなど出来よう。
私に断られて困った法皇様はどうしたと思う?
何とあろうことか、ご自身の孫である鳥羽天皇様に璋子様を押し付けたのだ。鳥羽天皇様は十五歳、璋子様は十七歳であった。入内(じゅだい)が決定された時、思ったわ。「『乱行の人』の入内は日本第一の奇っ怪事、不可思議極まりない。将来きっと取り返しのつかない、末代まで祟(たた)るような忌(い)まわしいことが起こる」とな。
法皇様は抑えの利かないお方だ。思っていた通り、入内後も璋子様をみだりに愛された。そうして一年後、璋子様は皇子をお産みになられた。それが顕仁親王、後の新院様なのだ。
鳥羽天皇様はな、顕仁親王様を「叔父子(おじご)」と呼んでおられた。名目上は自分の「子」でありながら、実は「祖父の子」だ。鳥羽天皇様にとっては「叔父の子」に当たる。何ともやり切れない話ではないか。
鳥羽天皇様の憤(いきどお)りは、表に出すことが出来ない。体の奥底でくすぶり、ふつふつとたぎっておったのだろう。法皇様が熊野に詣でられた留守中に、私をお召しになられてな。真っ直ぐに私を見て、「忠実」とお声を掛けられた。
「はい」
「以前、法皇様よりそなたの娘の入内の話があったが」
「そういうこともございました」
「その時、どうして断った?」
天皇様が私をお咎(とが)めになっているのではないのは、その笑顔と静かなお声で分かった。
「それは………」
「言いにくいのか?」
私は返事に窮した。
「法皇様からのお申し入れであったからか?」
天皇様は、法皇様と私との距離を敏感に感じ取られておいでだった。だが、断った理由はそれだけではない。
「ずいぶんと前の話だ。朕(われ)も幼かった。その頃はものの分かる歳ではなかったと思う。今なら多少は分別もつく。どうだ、忠実。言ってみてはくれまいか」
私は、今頃になって話を蒸し返す天皇様の心中を図りかねた。言葉を探すうちに、天皇様の方からこう仰られた。
「当ててみようか」
愉しい悪戯をする時のように、聡明な明るい眼を輝かせておられる。
「さて………」
どう答えたものかと間を取ろうとしていると、さらりと言われた。
「忠実は、朕を嫌いなのであろう?」
「いえ。滅相もございません」
慌てて打ち消した。
「朕は知っておる」
「何を、でございましょう」
「ちょうどあの後のことだ、そなたが娘の入内を断ったのは」
「あの後、とは?」
「朕がふざけて、滝口の武士(宮中の警護兵)の顔に小弓(しょうきゅう)の矢を射立てたが………」
天皇様は、無垢(むく)な眼を私にお向けになった。
「それが因であろう?」
よく覚えておいでだ。私は図星をつかれ「あ、いや………」と曖昧に口ごもり、ただただ平伏した。
「あはは。やっぱりだ」
天皇様は無邪気に声を上げてお笑いになられた。
「大切な娘をこんな乱暴者の嫁には出せぬ。そう思ったのであろう?」
「まことに畏れ入りまする」
「朕がそなたなら、やはり嫁に出さぬであろう。賢明な判断だと、朕は思うが」
そう言って穏やかに、しかも可笑しくて堪らぬというふうにお笑いになられている。天皇様の素直さ、相手の気持ちを思いやる優しさに、私は感服したものだ。
「名は何という。その娘の」
「勲子(やすこ)でございます」
「そうか。では、忠実」
「はい」
「改めて勲子の入内を命ずる。今度は断ってほしくはないが。どうかな?」
法皇様への精一杯の抵抗であったのだろうな。鳥羽天皇様のお気持ちは、充分に理解出来た。私は私で摂関家を抑えようと意図する法皇様に日頃から反感を募(つの)らせている。それで即座に快諾した。
だが、熊野から戻られた法皇様は激怒なされた。
「自分の命には服さず、天皇の申し出ならば受けるのか!」と、それはもう大変なお怒りようであった。
ひと月後、私は「文書内覧の権」を剥奪されてしまった。「内覧」とは天皇様に奏上する公文書を内見して政務を代行することで、摂政関白に準ずる権限がある。それを取り上げられたのだから、事実上の関白罷免よ。運が尽きたのだ、と観念した。天皇といえども口出し出来なかったほどの摂関家の権威が、法皇様のひと言で霧散したのだ。法皇様の力の大きさを、嫌というほど思い知らされたわ。
鳥羽天皇様も逆らうことはお出来にならなかった。勲子の入内は取り消され、三年後には二十一歳の若さで譲位させられてしまった。そうして、新たに即位したのが顕仁親王様改め崇徳天皇様だ。保安四年(一一二三年)二月のことで、まだ五歳の幼帝であられた。忠通が摂政の任に着いたから、まあ、辛うじて藤原摂関家の面目は保たれはしたのだがな。
すべてが思い通りになり、法皇様のしたい放題に掛かる拍車は留(とど)まることを知らぬ。六年後の崇徳天皇様の元服式に、法皇様は嬉々として参列し、曾孫の晴れ姿をご覧になられた。前代未聞、未曾有(みぞう)のことだぞ、曾孫の元服式に出席するなどということは。
待賢門院となられた璋子様と崇徳天皇様の幸せの絶頂が、法皇様の幸せの絶頂であったな。曾孫の元服式からちょうど七ヶ月と七日後、七十七歳で法皇様の幸せは閉じられた。璋子様と崇徳天皇様の幸せもな。
法皇様が亡くなられると、鳥羽院様は法皇様を否定する施政を行われた。仏教の教理に従って制定していた殺生(せっしょう)禁止令。あれは庶民にとって悪法の何ものでもなかったが、それを廃止なされた。私は剥奪されていた文書内覧の院宣を賜った。勲子は入内し、忠通の娘聖子は崇徳天皇様の中宮に、元服した私の次男頼長は右近衛権少将、中将と昇進し、ついには内大臣にまでなった。
君臣合一が叶い、藤原摂関家もようやく息を吹き返すことが出来た。と、そう喜んでいたのだが………。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる