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1、雪のおしごと

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「雪? 雪でいいの?」
「はい」
 私はキョロキョロと辺りを見渡しながら、頷いた。
 黒い壁、暗い照明。
 面接にきて案内されたのは、狭くて暗い部屋だった。
「でも雪って、本名でしょ? 大丈夫?」
 目の前に座っているのは、この店の店長。
 履歴書ーーではなく、私が丸っこい文字で書いたエントリーシートを眺めながら、店長の大男は心配そうに言った。
「風俗ははじめて?」
「いえ、はじめてではないです。前もホテヘルで少しやってました。でも稼げなくて」
 はじめての風俗店は、今思えば、店長が商売下手だったのだろう。ネットからのアクセスも少なかったし、看板も出していなかった。
 そのときの私は業界について全くの無知だったので、適当に店を選んでしまったのである。結果、風俗で働いているのに、まともにご飯も食べれないという事態に陥った。
「前の店では源氏名をつけたんですけど、プレイ中に、自分のことを『雪』って言っちゃったんです。それはまずいので、じゃあ雪にしとけば逆にバレないかなと思って」
「なるほど、それならたしかに雪がいいかもしれないな」
 店長は軽く笑った。
 でかくて強面の男だけど、優しそうな人だった。
 私は臆病で人見知り。けれどこんな人と話すことができるのは、やはり、人生経験が少なくて、人の怖さを知らない無知の二十二歳だからだろう。
 正直、私は人が苦手だ。特に複数のグループが苦手である。
 ついでにいうと、仕事も嫌いだ。
 働かずにずっと遊んでいていいよ、と言われれば、喜んで遊び続ける。ふふん。
 しかしだ、そんな風に私を甘やかしてくれる人はいないのである。もっと言うと、普通の彼氏すらいないのである。
 そこで目をつけたのが風俗だった。
 バイトの求人雑誌を探してコンビニへ寄ったとき、それはあった。
 風俗関係の求人雑誌だ。
 これだ、と思った。
 学もない私はまともな仕事ができない。
 誰にでもできると言われる工場バイトも、半年と続かない。なんなのだ、誰にでもできるのではないのか。
 そこでなぜできないのか、考えた。
 仕事ができないわけではない。求人雑誌が高々と叫ぶように、誰でもできる仕事なのだ。
 ではなぜ。
 ーー答えは明白である。人だ。
 仕事をするには、人と関わらなくてはならない。工場では、たくさんのおばちゃーんずの中で、うまく溶け込まなくてはならない。
 私にはそれができなかった。
 風俗なら、話す相手は一人。
 一人と複数なら、一人相手のほうが簡単だと、私は思う。
 なぜなら、相手は私と話すからだ。私の話が無視されることは、まぁ、ない。ちゃんと拾ってくれて、相手も私に向けて話す。ほら、簡単ではないか。
「じゃあ、雪ちゃん。見た目も可愛いし、採用ってことで。今日は体験入店で、少し働いてみる?」
 店長が立ち上がって言った。
 つられて私も勢いよく立ち上がり、
「はい! よろしくお願いします!」
 こうして私、雪の新しいおしごとがはじまったのである。
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