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05:王妃は知らなかったのです
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場所は王宮の一室。王妃はヴィットーリアの母であるベラドンナを迎え、差し向かい二人きりでお茶を楽しんでいた。
「ねえベラドンナ。トリアちゃんはフェルディナンドと上手くいっているのかしら?」
「アルベルト殿下の時よりは楽しそうにしておりましてよ、妃殿下」
幾分含むところのある応えに王妃カロリーナは体をすくめる。アルベルトをヴィットーリアの婚約者に捻じ込んできた王家に対する厭味だと感じたのだ。
「でもでもだってね?母親だからって息子の性癖を把握するなんて無理よ?まさか、あの子が女の子を愛せないだなんて思わなかったものっ」
私的な場所ということでかなり砕けた物言いのカロリーナであるが、これでいて公の場では一部の隙も無い見事な王妃殿下へと変身する。そのため、人目のない場所での貴婦人らしからぬ言動は周囲から大目に見られている。
「え……妃殿下、まさかそれ……」
「知らなかったわよー。ごめんってば。お友達のベラドンナと親戚付き合いできるのもトリアちゃんが娘になるのもほんっとうに他意無く楽しみにしていたのよ?決して不良債権だと承知して押し付けようとしたわけじゃないの。跡継ぎを望めない息子だなんて知っていたら、いくらなんても婿入りさせてくれなんて言わなかったわよぅ。ごめんね?本当にごめんね?嫌いにならないで?」
カロリーナは学園時代からの無二の親友であるベラドンナを涙目で拝んだ。幼いころから学生時代にかけて破天荒な振る舞いが目立ったカロリーナは、ある者からは熱狂的に支持されある者からは蛇蝎のごとく嫌われていた。
熱狂的信者はカロリーナが何をしても是とし、嫌忌するものはあらゆることを非とした。
そんな中、自分を信奉するでなく厭うでなくフラットに接してくれたベラドンナ。3歳下の彼女だけはカロリーナだからという理由ではなく、当たり前のようにいいことはいいと認め悪いことは悪いと諭してもくれた。ゆえに、カロリーナが絶対に失いたくない無比の友人なのだ。
「……まさかあなたが分かってなかったとは思わなかったわ、カロリーナ」
脱力したベラドンナが思わず学生時代口調と呼称で呆れたように言うので、カロリーナは慌てて釈明しようと口を開きかけ、何を言っても言い訳だと眉を寄せて視線を膝に落とす。だがしかし、息子の性癖など母親が把握しているべきことなのだろうか。大っぴらに公言していればともかく密かに心の中で育んでいるものだとしたら?それでも看破するのが母親なのだろうかと、王妃稼業と7人もいる子どもたちの教育の忙しさ、それに加えて甘えたな夫にかかる手間暇を考えとても無理と結論を出す。
「そうじゃないわよ、いくら親だからって子どもの全てを把握するなんて無理。幼いころならともかくね。もしも、万が一、アルベルト殿下に一般的でない性癖があったとしても、それを知らなかったと言って責めたりしないわ」
母親として忸怩たる思いを抱いたカロリーナの気持ちを察したベラドンナが慰めるように言った。
「エスパーベラドンナ」
「久々に聞いたわ、えすぱー。王妃語ね」
そういってクスクスを笑う友人にカロリーナが恨みがましい目を向けてしまうのは仕方がないかもしれない。
学園に通っていたころに、カロリーナの思いを察したベラドンナが助言をしたり叱咤激励をしたりしていた。これはベラドンナが機微に聡いのかカロリーナが分かりやすいのか意見の分かれるところである。
「怒ってたじゃない、ベラドンナ」
「貴女に怒ってたんじゃないわ、カロリーナ。私が――私と夫が腹立たしく思っているのはアルベルト殿下に対してよ」
「やっぱり性へ……」
「違いますわ。性癖云々じゃございません」
ベラドンナとその夫、国王であるカロリーナの夫、あまつさえ今日の愁嘆場に立ち会うこととなった食堂にいた学生諸子も察したことをカロリーナは理解していない。
「あれはただの浮気宣言よ。まあ、ずいぶんと舐めたことを言ってくれたわよね。私は勿論だけれど、夫が怒り心頭よ。私たちの可愛い可愛いヴィットーリアに対する暴言はもとより、よくも婿入りする身で婚姻前から浮気することを公言できたものだわ」
「え?あれ?男の浮気と女の浮気は違うって」
「そう言ったようね」
「女は浮気しちゃダメって。身籠る可能性があるからって」
「ええ」
「だから相手は身籠ることはあり得ない男性だと」
「貴女は相談してきたヴィットーリアにそう言ったのよね?」
「そうでなくては筋が通らないもの。……違う?」
ヴィットーリアからアルベルトの発言に関して相談を受けたとき、カロリーナは本気でそう思ったし、そう言った。女が浮気をしてはいけないのなら相手は男しかないではないかと。
身籠る云々ならば、もしかしたら妊娠不可能な年齢の女児あるいは閉経後の女性の可能性も無きにしも非ずと。
七人も息子がいれば一人くらい男色家がいてもおかしくははないだろうと考えるあたりが、少々世間一般の母親とは違っていたかもしれない。しかし、カロリーナは子どもたちを愛していたし、その気持ちはたとえ性愛の対象が同姓であっても全く変わらなかった。
「……本当、変わらないわカロリーナ。貴女のそういうところが大好きよ」
「私もベラドンナが大好きだけど、どういうこと?」
頑是ない子どもを慈しむような目でベラドンナが見るので、カロリーナは少々居心地の悪い思いである。思えば学生時代もよくこういう目で見られることがあったと思いだすが、それはもう30年近くも前のことだ。
「あれはね、自分は浮気をするけれどお前はダメだっていう身勝手な布告。まったく婿入りする身でよくも言えたものよね?自分のほうが立場が上で相手は従うべきだと言う示威行為。えーと、あなたが昔言っていたわよね、そう、マウンティング――だったかしら?」
「あ、ええ、うん。陛下……いえ、当時は王子殿下だったあの人と婚約したときに、よく爵位が上の令嬢からマウンティングとられてたから、その言葉を使っていた覚えがある。というか、何!?アルベルトはトリアちゃんにマウント取ろうとしてあんなことを言ったの!?」
学生たちも食堂での切れ切れの会話だけで察した自分の優位を示すための言動を、カロリーナは全く気付いていなかった。本気でアルベルトが女性を愛せない男だと思い、ヴィットーリアには申し訳ないことをしたと慙愧に堪えぬ思いをもち、それでも母親として息子の幸福を望んで婚約解消をしたのだ。
気色ばむカロリーナを見てやっと理解したかとベラドンナは頷く。
「私たち夫婦はご存じの通り婚姻後10年近く子を持てませんでしたし、生まれたのは娘一人。本来なら3年身籠れなかった時点で離縁されてもおかしくありませんでしたわ。或いは第二夫人を迎えても。それでも夫は私一人を愛しているからと周囲の雑音を耳に入れることはありませんでした。家の存続なら養子を受け入れればいい、妻として必要なのは私だけだと仰ってくださいました」
「ひゅー、らぶらぶー」
「ですので」
王妃語でひやかされてやや頬を染めたベラドンナはコホンと一つ咳をする。
「婚姻前から浮気をすると宣言するようなアルベルト殿下を、夫は許せないと申しておりますの。妃殿下が婚約解消に動いてくださったのは、アルベルト殿下のたわ言をわざと曲解して娘に傷がつかないように取り計らってくださったものとばかり思っておりましたわ」
「ゴメン。ほんっとうに本気で言ってたの」
「そのようですわね。驚きましたが……貴女のそういう部分が変わっていなくて嬉しかったわ」
「そういう部分?」
「ええ、二心ある貴族たちの裏を見抜く目は誰よりも鋭いのに、身内に対してはとことん信じぬき愛して受け入れる純真なところ。うちの子もあなたの影響かしら、ちょっとそういうところがあるわ」
ベラドンナが言うヴィットーリアの信じる身内とはアルベルトではなくカロリーナである。
他でもないカロリーナが判断した息子の言葉を、そのまま受け入れていた。
愛情ゆえに目が曇るのは貴族としては問題がある。娘にはこれからそのあたりの教育をせねばならないとベラドンナは思った。愛する親友の欠点は夫である国王が補っているので心配はしていない。
というより、いままで妻に見せないよう問題を裏で処理してきた国王のせいでカロリーヌは成長できなかった節があるのだとベラドンナは認識している。ならば最後までそれを全うしてほしいものだとも思っている。
「つまり……みんな知ってたの?」
「アルベルト殿下が男色ではないということを?ええ、もちろん、あなた以外はみな知っていてよ?」
「ひぃぃぃぃ」
貴婦人らしくなくテーブルに突っ伏したカロリーナを、ベラドンナは優しく微笑んで見つめていた。
「ねえベラドンナ。トリアちゃんはフェルディナンドと上手くいっているのかしら?」
「アルベルト殿下の時よりは楽しそうにしておりましてよ、妃殿下」
幾分含むところのある応えに王妃カロリーナは体をすくめる。アルベルトをヴィットーリアの婚約者に捻じ込んできた王家に対する厭味だと感じたのだ。
「でもでもだってね?母親だからって息子の性癖を把握するなんて無理よ?まさか、あの子が女の子を愛せないだなんて思わなかったものっ」
私的な場所ということでかなり砕けた物言いのカロリーナであるが、これでいて公の場では一部の隙も無い見事な王妃殿下へと変身する。そのため、人目のない場所での貴婦人らしからぬ言動は周囲から大目に見られている。
「え……妃殿下、まさかそれ……」
「知らなかったわよー。ごめんってば。お友達のベラドンナと親戚付き合いできるのもトリアちゃんが娘になるのもほんっとうに他意無く楽しみにしていたのよ?決して不良債権だと承知して押し付けようとしたわけじゃないの。跡継ぎを望めない息子だなんて知っていたら、いくらなんても婿入りさせてくれなんて言わなかったわよぅ。ごめんね?本当にごめんね?嫌いにならないで?」
カロリーナは学園時代からの無二の親友であるベラドンナを涙目で拝んだ。幼いころから学生時代にかけて破天荒な振る舞いが目立ったカロリーナは、ある者からは熱狂的に支持されある者からは蛇蝎のごとく嫌われていた。
熱狂的信者はカロリーナが何をしても是とし、嫌忌するものはあらゆることを非とした。
そんな中、自分を信奉するでなく厭うでなくフラットに接してくれたベラドンナ。3歳下の彼女だけはカロリーナだからという理由ではなく、当たり前のようにいいことはいいと認め悪いことは悪いと諭してもくれた。ゆえに、カロリーナが絶対に失いたくない無比の友人なのだ。
「……まさかあなたが分かってなかったとは思わなかったわ、カロリーナ」
脱力したベラドンナが思わず学生時代口調と呼称で呆れたように言うので、カロリーナは慌てて釈明しようと口を開きかけ、何を言っても言い訳だと眉を寄せて視線を膝に落とす。だがしかし、息子の性癖など母親が把握しているべきことなのだろうか。大っぴらに公言していればともかく密かに心の中で育んでいるものだとしたら?それでも看破するのが母親なのだろうかと、王妃稼業と7人もいる子どもたちの教育の忙しさ、それに加えて甘えたな夫にかかる手間暇を考えとても無理と結論を出す。
「そうじゃないわよ、いくら親だからって子どもの全てを把握するなんて無理。幼いころならともかくね。もしも、万が一、アルベルト殿下に一般的でない性癖があったとしても、それを知らなかったと言って責めたりしないわ」
母親として忸怩たる思いを抱いたカロリーナの気持ちを察したベラドンナが慰めるように言った。
「エスパーベラドンナ」
「久々に聞いたわ、えすぱー。王妃語ね」
そういってクスクスを笑う友人にカロリーナが恨みがましい目を向けてしまうのは仕方がないかもしれない。
学園に通っていたころに、カロリーナの思いを察したベラドンナが助言をしたり叱咤激励をしたりしていた。これはベラドンナが機微に聡いのかカロリーナが分かりやすいのか意見の分かれるところである。
「怒ってたじゃない、ベラドンナ」
「貴女に怒ってたんじゃないわ、カロリーナ。私が――私と夫が腹立たしく思っているのはアルベルト殿下に対してよ」
「やっぱり性へ……」
「違いますわ。性癖云々じゃございません」
ベラドンナとその夫、国王であるカロリーナの夫、あまつさえ今日の愁嘆場に立ち会うこととなった食堂にいた学生諸子も察したことをカロリーナは理解していない。
「あれはただの浮気宣言よ。まあ、ずいぶんと舐めたことを言ってくれたわよね。私は勿論だけれど、夫が怒り心頭よ。私たちの可愛い可愛いヴィットーリアに対する暴言はもとより、よくも婿入りする身で婚姻前から浮気することを公言できたものだわ」
「え?あれ?男の浮気と女の浮気は違うって」
「そう言ったようね」
「女は浮気しちゃダメって。身籠る可能性があるからって」
「ええ」
「だから相手は身籠ることはあり得ない男性だと」
「貴女は相談してきたヴィットーリアにそう言ったのよね?」
「そうでなくては筋が通らないもの。……違う?」
ヴィットーリアからアルベルトの発言に関して相談を受けたとき、カロリーナは本気でそう思ったし、そう言った。女が浮気をしてはいけないのなら相手は男しかないではないかと。
身籠る云々ならば、もしかしたら妊娠不可能な年齢の女児あるいは閉経後の女性の可能性も無きにしも非ずと。
七人も息子がいれば一人くらい男色家がいてもおかしくははないだろうと考えるあたりが、少々世間一般の母親とは違っていたかもしれない。しかし、カロリーナは子どもたちを愛していたし、その気持ちはたとえ性愛の対象が同姓であっても全く変わらなかった。
「……本当、変わらないわカロリーナ。貴女のそういうところが大好きよ」
「私もベラドンナが大好きだけど、どういうこと?」
頑是ない子どもを慈しむような目でベラドンナが見るので、カロリーナは少々居心地の悪い思いである。思えば学生時代もよくこういう目で見られることがあったと思いだすが、それはもう30年近くも前のことだ。
「あれはね、自分は浮気をするけれどお前はダメだっていう身勝手な布告。まったく婿入りする身でよくも言えたものよね?自分のほうが立場が上で相手は従うべきだと言う示威行為。えーと、あなたが昔言っていたわよね、そう、マウンティング――だったかしら?」
「あ、ええ、うん。陛下……いえ、当時は王子殿下だったあの人と婚約したときに、よく爵位が上の令嬢からマウンティングとられてたから、その言葉を使っていた覚えがある。というか、何!?アルベルトはトリアちゃんにマウント取ろうとしてあんなことを言ったの!?」
学生たちも食堂での切れ切れの会話だけで察した自分の優位を示すための言動を、カロリーナは全く気付いていなかった。本気でアルベルトが女性を愛せない男だと思い、ヴィットーリアには申し訳ないことをしたと慙愧に堪えぬ思いをもち、それでも母親として息子の幸福を望んで婚約解消をしたのだ。
気色ばむカロリーナを見てやっと理解したかとベラドンナは頷く。
「私たち夫婦はご存じの通り婚姻後10年近く子を持てませんでしたし、生まれたのは娘一人。本来なら3年身籠れなかった時点で離縁されてもおかしくありませんでしたわ。或いは第二夫人を迎えても。それでも夫は私一人を愛しているからと周囲の雑音を耳に入れることはありませんでした。家の存続なら養子を受け入れればいい、妻として必要なのは私だけだと仰ってくださいました」
「ひゅー、らぶらぶー」
「ですので」
王妃語でひやかされてやや頬を染めたベラドンナはコホンと一つ咳をする。
「婚姻前から浮気をすると宣言するようなアルベルト殿下を、夫は許せないと申しておりますの。妃殿下が婚約解消に動いてくださったのは、アルベルト殿下のたわ言をわざと曲解して娘に傷がつかないように取り計らってくださったものとばかり思っておりましたわ」
「ゴメン。ほんっとうに本気で言ってたの」
「そのようですわね。驚きましたが……貴女のそういう部分が変わっていなくて嬉しかったわ」
「そういう部分?」
「ええ、二心ある貴族たちの裏を見抜く目は誰よりも鋭いのに、身内に対してはとことん信じぬき愛して受け入れる純真なところ。うちの子もあなたの影響かしら、ちょっとそういうところがあるわ」
ベラドンナが言うヴィットーリアの信じる身内とはアルベルトではなくカロリーナである。
他でもないカロリーナが判断した息子の言葉を、そのまま受け入れていた。
愛情ゆえに目が曇るのは貴族としては問題がある。娘にはこれからそのあたりの教育をせねばならないとベラドンナは思った。愛する親友の欠点は夫である国王が補っているので心配はしていない。
というより、いままで妻に見せないよう問題を裏で処理してきた国王のせいでカロリーヌは成長できなかった節があるのだとベラドンナは認識している。ならば最後までそれを全うしてほしいものだとも思っている。
「つまり……みんな知ってたの?」
「アルベルト殿下が男色ではないということを?ええ、もちろん、あなた以外はみな知っていてよ?」
「ひぃぃぃぃ」
貴婦人らしくなくテーブルに突っ伏したカロリーナを、ベラドンナは優しく微笑んで見つめていた。
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