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第6章・桜の正体
第40話
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そして今、僕の前には彼女がいる。
涙で滲んだ桜の瞳は、蒼ざめた空のような、澄んだ泉のような、美しい色をしている。
とても人間離れした不思議な瞳だ。
蝶々さんは、クローンである桜には、ひと以外の遺伝子も組み込まれていると言った。
たとえば、クローンの臓器や角膜は、特定の光を当てると光るようになっているらしい。
それは、ひととクローンを確実に見分けるためだという。この先クローン臓器の移植が法律で認められた場合、救命の現場で患者の臓器が移植されたものかどうかを瞬時に判別するためだとか。
だから、桜の瞳は不思議な色をしていたのだ。
僕と違う色の瞳。
だけどそれを、
「気持ち悪いなんて思わないよ……」
「うそ」
桜は、涙で潤んだ瞳できっと僕を睨む。
「本当だよ。たしかに、話を聞いたときは驚いたけど……気持ち悪いなんて思わない。だって、君は君だよ」
心からの言葉だ。
「……ねぇ君。今、じぶんがどんな顔をしてるか、気付いてる?」
「え……」
桜は、僕の問いに戸惑いが滲んだ声を漏らす。
「僕ね、君が僕に声をかけてくれたときのこと、今になってなんとなく理解できた気がするんだ」
たぶん、放っておけなかったのだ。僕が今の彼女のような、拠り所のない顔をしていたから。
「だけど僕はさ、あのとき君が僕にしてくれたように、純粋に君を助けたいって気持ちだけで動いてるわけじゃない。僕は君のことが好きだから、そういう気持ちで動いてる」
「私は……」
桜が苦しげに声を漏らす。
「だから、桜が僕を拒むのは間違ってない。僕の気持ちにこたえられないことに傷付くのは、桜だから。それに僕も、君を傷付けてることを自覚してる。それでも、僕はじぶんを貫く。君のそばにいたいから」
電話の向こうの凪と久しぶりに話をした、あの日のことを思い出す。
あの日も今と同じように怖かった。今さら謝ることに意味なんてあるのか。そもそもあっちは、僕のことなんて覚えてないんじゃないか。
だれかの心に踏み込むのは、暗闇に飛び込むことだ。
拒絶されるかもしれない。じぶんの存在を否定されるかもしれない。
だからみんな、ひととのあいだに線を引く。
だけどそれではダメなのだ。
あの日があるから、僕は今、凪と話すことができている。あの日がなければ、僕と凪は二度と交わることはなかっただろう。
凪と仲直りしてから、僕たちは毎日のようにメッセージや電話のやり取りをするようになった。
同じ学校ではないからこそ相談できることもあって、今では凪のいない日常は考えられない。
きっと、桜は今、あの日電話をかける前の僕なのだ。
「……僕、桜に会うまではなにごとにも無関心になってた」
だれかといると、ぜったいに衝突するから。またあのときのように、いじめられたくなかったから。
だから意地を張って、ひとりでいた。
でも、実際はぜんぜんそんなことはなかった。無関心でいることなんて、できやしないのだ。
桜は、未だに僕を睨んでいる。でも、僕の話を遮ろうとはしなかった。
「だけど桜は、そんな僕を受け入れてくれた。僕みたいな、陰キャで、ぼっちの僕を」
だから、僕も受け入れたい。
「……桜は僕のこと、おかしいって思う?」
ぴくり、と桜の肩がわずかに上下する。
「……汐風くんはそんなことないよ」
「でも、僕はずっとおかしいって言われて、いじめられてきた。それだからじぶんに自信なんてなかったし、最初は桜のことも信用できなかった」
だけど同時に、桜にふつうに話しかけてもらったことに、救われてもいた。
「僕は、君に見つけてもらえたから今ここにいる」
あのとき自覚した。僕は、このひとを求めていたんだと。
「……というか君って、機嫌が悪いとそうなるんだね」
桜はムッとした顔を僕に向ける。
「ん!? どういう意味!?」
「新鮮だなって。僕の知ってる君は、仔猫が好きで、ただの虹に感動して、それから少しお節介で……子どもみたいに笑う子だったからさ」
桜は瞳を潤ませたまま、不貞腐れたように頬をふくらませる。
「……子どもみたいは余計だってば」
「ごめん」
「……幻滅した?」
「まさか。新しい君が知れて嬉しい。君は君だから」
「……なにそれ」
桜がふふっと笑う。
ようやくいつもの桜に戻ってひと安心したのもつかの間、しかし桜は再び顔を曇らせた。
「桜?」
「……でも、やっぱり汐風くんとはもうこれ以上いっしょにいられないよ」
「どうして? 僕は、どんなことでも受け止めるよ」
強い口調で言うと、桜は力なく首を横に振った。
「君はなにも知らないから、そんなことを言えるんだよ」
どこか聞き覚えのある言葉にハッとする。それは、いつか僕が彼女を拒絶したときに放った言葉だった。
思わず苦笑が漏れた。
「……それって、もしかして嫌味?」
「え?」
桜が戸惑いがちに顔を上げる。
「それなら言わせてもらうけど」
と、前置きをしてから僕は桜に告げる。
「君はじぶんの生まれを気にしてるみたいだけど……僕は君が何者かなんてどうだっていいんだ。僕はただ、君が好きだからそばにいたいってだけなんだよ」
桜は目を見張る。そして、気まずそうに僕から目を逸らした。
不貞腐れたような顔をして、それから困ったように俯いた。
鼻をすする音がした。
桜は俯いたまま声を押し殺し、肩を震わせて泣いていた。
「……汐風くんは、どうしてそんなに優しいの」
「……優しくなんてないよ。今まで君が僕にくれたものを返してるだけだ」
涙で滲んだ桜の瞳は、蒼ざめた空のような、澄んだ泉のような、美しい色をしている。
とても人間離れした不思議な瞳だ。
蝶々さんは、クローンである桜には、ひと以外の遺伝子も組み込まれていると言った。
たとえば、クローンの臓器や角膜は、特定の光を当てると光るようになっているらしい。
それは、ひととクローンを確実に見分けるためだという。この先クローン臓器の移植が法律で認められた場合、救命の現場で患者の臓器が移植されたものかどうかを瞬時に判別するためだとか。
だから、桜の瞳は不思議な色をしていたのだ。
僕と違う色の瞳。
だけどそれを、
「気持ち悪いなんて思わないよ……」
「うそ」
桜は、涙で潤んだ瞳できっと僕を睨む。
「本当だよ。たしかに、話を聞いたときは驚いたけど……気持ち悪いなんて思わない。だって、君は君だよ」
心からの言葉だ。
「……ねぇ君。今、じぶんがどんな顔をしてるか、気付いてる?」
「え……」
桜は、僕の問いに戸惑いが滲んだ声を漏らす。
「僕ね、君が僕に声をかけてくれたときのこと、今になってなんとなく理解できた気がするんだ」
たぶん、放っておけなかったのだ。僕が今の彼女のような、拠り所のない顔をしていたから。
「だけど僕はさ、あのとき君が僕にしてくれたように、純粋に君を助けたいって気持ちだけで動いてるわけじゃない。僕は君のことが好きだから、そういう気持ちで動いてる」
「私は……」
桜が苦しげに声を漏らす。
「だから、桜が僕を拒むのは間違ってない。僕の気持ちにこたえられないことに傷付くのは、桜だから。それに僕も、君を傷付けてることを自覚してる。それでも、僕はじぶんを貫く。君のそばにいたいから」
電話の向こうの凪と久しぶりに話をした、あの日のことを思い出す。
あの日も今と同じように怖かった。今さら謝ることに意味なんてあるのか。そもそもあっちは、僕のことなんて覚えてないんじゃないか。
だれかの心に踏み込むのは、暗闇に飛び込むことだ。
拒絶されるかもしれない。じぶんの存在を否定されるかもしれない。
だからみんな、ひととのあいだに線を引く。
だけどそれではダメなのだ。
あの日があるから、僕は今、凪と話すことができている。あの日がなければ、僕と凪は二度と交わることはなかっただろう。
凪と仲直りしてから、僕たちは毎日のようにメッセージや電話のやり取りをするようになった。
同じ学校ではないからこそ相談できることもあって、今では凪のいない日常は考えられない。
きっと、桜は今、あの日電話をかける前の僕なのだ。
「……僕、桜に会うまではなにごとにも無関心になってた」
だれかといると、ぜったいに衝突するから。またあのときのように、いじめられたくなかったから。
だから意地を張って、ひとりでいた。
でも、実際はぜんぜんそんなことはなかった。無関心でいることなんて、できやしないのだ。
桜は、未だに僕を睨んでいる。でも、僕の話を遮ろうとはしなかった。
「だけど桜は、そんな僕を受け入れてくれた。僕みたいな、陰キャで、ぼっちの僕を」
だから、僕も受け入れたい。
「……桜は僕のこと、おかしいって思う?」
ぴくり、と桜の肩がわずかに上下する。
「……汐風くんはそんなことないよ」
「でも、僕はずっとおかしいって言われて、いじめられてきた。それだからじぶんに自信なんてなかったし、最初は桜のことも信用できなかった」
だけど同時に、桜にふつうに話しかけてもらったことに、救われてもいた。
「僕は、君に見つけてもらえたから今ここにいる」
あのとき自覚した。僕は、このひとを求めていたんだと。
「……というか君って、機嫌が悪いとそうなるんだね」
桜はムッとした顔を僕に向ける。
「ん!? どういう意味!?」
「新鮮だなって。僕の知ってる君は、仔猫が好きで、ただの虹に感動して、それから少しお節介で……子どもみたいに笑う子だったからさ」
桜は瞳を潤ませたまま、不貞腐れたように頬をふくらませる。
「……子どもみたいは余計だってば」
「ごめん」
「……幻滅した?」
「まさか。新しい君が知れて嬉しい。君は君だから」
「……なにそれ」
桜がふふっと笑う。
ようやくいつもの桜に戻ってひと安心したのもつかの間、しかし桜は再び顔を曇らせた。
「桜?」
「……でも、やっぱり汐風くんとはもうこれ以上いっしょにいられないよ」
「どうして? 僕は、どんなことでも受け止めるよ」
強い口調で言うと、桜は力なく首を横に振った。
「君はなにも知らないから、そんなことを言えるんだよ」
どこか聞き覚えのある言葉にハッとする。それは、いつか僕が彼女を拒絶したときに放った言葉だった。
思わず苦笑が漏れた。
「……それって、もしかして嫌味?」
「え?」
桜が戸惑いがちに顔を上げる。
「それなら言わせてもらうけど」
と、前置きをしてから僕は桜に告げる。
「君はじぶんの生まれを気にしてるみたいだけど……僕は君が何者かなんてどうだっていいんだ。僕はただ、君が好きだからそばにいたいってだけなんだよ」
桜は目を見張る。そして、気まずそうに僕から目を逸らした。
不貞腐れたような顔をして、それから困ったように俯いた。
鼻をすする音がした。
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