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第7章・さよならのあとで
第45話
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手を繋ぎ、再び歩き始める。
「なぁ汐風~。そろそろ目的教えてくれよ」
「あぁ、うん。ちょっと待って。もうそろそろだから……」
そう言っているうちに、目的の場所に着いた。
僕が足を止めると、三人もその場で立ち止まる。きょろきょろと周囲を見て、首を傾げた。
「ここ?」
「うん。ここ」
「いや、ここって……」
涼太が困惑気味に言う。
「ただの田んぼだけど?」
涼太の言うとおり、僕らが立っている場所には、見渡す限り田んぼしかない。
「こんなところでなにすんだよ?」
「それは……」
僕が答えようとしたときだった。
「ねぇ、あれ見て!」
桜が声を上げた。暗がりのなか、桜がとある場所を指でさす。その指先を辿ると、そこには淡く発光するなにかがいた。
「あそこ! なにか光ってるよ!」
続けて、涼太と志崎さんも桜の指さしたほうを見て、声を上げる。
「うそ! あれって……」
「蛍だ!」
田んぼのなかには、無数の蛍たちが飛んでいた。
「こっちにも!」
「うわぁ、すげえ!」
「すごい。光が線みたいに流れてく……」
三人から、たちまち感嘆の声が上がる。
空には満天の星。そして、地上には蛍の光。
どちらも紛うことなき自然の光。生命の光が、僕たちのまわりにはあふれていた。
その優しい光は消えそうで消えない。
「私、蛍なんて初めて見た……」
志崎さんがうっとりしながら呟く。
「俺も。まさか、地元で見られるなんて知らなかったわ。地元じゃないのによく知ってたな。こんな穴場」
涼太が振り向いて言った。
「……うん。まぁ」
「なんで知ってたの?」
「来たことあったとか?」
涼太と志崎さんから何気なく問われ、僕はわずかに喉を詰まらせる。
「……うん。中学生の頃、一度だけ叔母が連れてきてくれたんだ」
「へぇーそうなんだ」
「あれ。でも、蛍って夏休みの頃まで見られるものなの?」
「……いや、この時期だけ。僕、中学生の頃学校行ってなかったから」
だれかが息を呑む音がした。
「あ……とはいっても、夏休みも挟んだから、実際不登校だったのは二ヶ月とか、たぶんそのくらいだったと思うんだけど」
僕の告白に、全員が黙り込んだ。
涼太あたりにてっきり笑ってからかわれるかと思っていたものだから、しんみりとしてしまった空気に逆に焦る。
「……あ、いや、とはいっても、そんな重い話じゃないからな?」
慌てて明るい声で言うが、涼太は真面目な声音のまま、僕に訊いた。
「理由、聞いてもいいか?」
「……えっと……」
少し歯切れの悪い反応になってしまった。中学時代の記憶が蘇り、怖くなってしまったのだ。
いじめられていたことを知られたら、偏見の目で見られるんじゃないか。僕をきらいになってしまうんじゃないか。
涼太も志崎さんも桜も、そんなひとじゃないということは分かっているのに、いざ話そうとすると、喉になにかがつっかえたようになる。
黙り込んでいると、繋いでいた手のひらに力が籠った。となりを見ると、桜が笑っていた。大丈夫、と言われているような気がした。
ふっと全身から力が抜ける。
「まぁ……原因はありきたりだけど、いじめでさ。そんなひどいやつじゃなかったし、夏休み明けからはちゃんと登校したんだ。……ただ、中一の一学期は家から出られなくなってて、そうしたら叔母がこっち来ないか、って言ってくれて」
学校に行かないなら、家でぼうっとしている時間、こっちで遊んだほうがずっといい気分転換になるよ、と、そう言ってくれたのだ。
まわりの大人は、みんな学校に行かない僕を心配したのに。
このまま学校に行かなくなってしまったら、この子の将来はどうなるんだろう、とか、病院に連れていったほうがいいかしら、とか。
あの頃、ひそひそと僕のことを話し合う声ばかり聞こえてきた。
本当は、そういう声を聞くのもいやだった。いやだったけど、みんな僕のことを心配して言っているのだから仕方ないと我慢した。
「たぶん叔母は、そういう僕の気持ちもぜんぶ理解した上で、こっちにおいでと言ってくれたんだと思う」
僕の将来やじぶんの体裁を危惧する大人たちのなか、蝶々さんだけが、当時の僕に向き合ってくれていた。
そのとき、蝶々さんがここに連れてきて言ってくれたのだ。
『話がしたかったんだ。私、しおちゃんのことほとんど知らないし、しおちゃんも私のこと知らないでしょ?』って。
「叔母は僕に、一度も学校に行けって言わなかった。ただ、話をしてくれた。すごく救われた。みんな、僕の話を聞こうとはしたけど、話をしようとは言ってくれなかったから」
涼太はなにも言わず、蛍を見ている。志崎さんも、桜も。
その沈黙に我に返る。一気に血の気が引いていく。話し過ぎた。
「……いや、なんかごめん。いきなりこんな重い話して。今のは忘れて」
気まずくなって、僕は頭をかきながら笑った。
「……笑うなよ」
低い声が夜の空に響いて、頭をかいていた手が止まる。
「笑いごとじゃないだろ。ぜんぜん」
「……涼太?」
暗闇に慣れた目が捉えたのは、険しい顔をした涼太だった。となりにいる志崎さんも同じような顔をして、僕を見ていた。
「俺は笑えないよ。お前が不登校だったとき、どんな気持ちでこの街に来てたのかとか、どんな気持ちでここで蛍を見てたのかとか、考えたらぜんぜん笑えない」
涼太の声はほんの少し震えていた。
奥歯に力が入った。涙が出そうになる。
「……うん。たしかにあのときは辛かった。でも、あのときここに来てなかったら、たぶん僕、この街の高校を選んでなかったと思うんだ」
そうしたら、桜だけじゃなく、涼太や志崎さんにも会えていなかった。
「だから……たしかに辛かったけど、辛い経験も、生きてさえいたら、いつかは、あってよかったってことになるのかなって、ちょっと思った。逃げるっていけないことって思われがちだけど、僕は逃げてよかったと思ってる。だから、みんなで来たかったんだ。ここに」
正直、蛍の光を見るといつもあのときのことを思い出して、胸が苦しくなる。
でも、今目の前にある光たちは、心から美しいと思える。泣きたくなるくらいに、美しいと。
あの日の僕はここで泣きじゃくることしかできなかったけれど、今は違うから。
毎日が平穏に過ぎていくわけじゃない。
いやなことだってたくさんあるし、そのたびすべてを投げ出したくなることも、死にたくなることもある。
だけど、今僕は、ここにいてよかったって思えているから。
それだけでじゅうぶんだ。
足元に、蛍がいた。草に止まって、ぽうぽうと光っている。僕は蛍をそっと両手で包むように捕まえた。
「すごい。蛍って、こんな簡単に捕まっちゃうんだね」
「のんびり屋さんなんだ」
「たしかに、飛んでる感じもなんかふわふわしてるもんな」
僕のもとに、みんなが集まってくる。それが嬉しくて、だけどちょっと落ち着かない。
指の隙間から、淡い光がこぼれ落ちている。
僕はゆっくりと、手を開いた。
手のひらにいた蛍が、パッと飛び立つ。
光はなめらかな軌道を描いて、ゆっくりと僕たちから遠ざかってゆく。
そして、蛍はやがて点滅をやめて闇のなかに消えた。
きっと、どこかの草の上に降り立ったのだろう。
僕たちはしばらく、その優しい光のなかでその光景に見惚れていた。
ほのかな明かりのなか、桜の肩が小さく震えていることに、僕だけが気付いていた。
「なぁ汐風~。そろそろ目的教えてくれよ」
「あぁ、うん。ちょっと待って。もうそろそろだから……」
そう言っているうちに、目的の場所に着いた。
僕が足を止めると、三人もその場で立ち止まる。きょろきょろと周囲を見て、首を傾げた。
「ここ?」
「うん。ここ」
「いや、ここって……」
涼太が困惑気味に言う。
「ただの田んぼだけど?」
涼太の言うとおり、僕らが立っている場所には、見渡す限り田んぼしかない。
「こんなところでなにすんだよ?」
「それは……」
僕が答えようとしたときだった。
「ねぇ、あれ見て!」
桜が声を上げた。暗がりのなか、桜がとある場所を指でさす。その指先を辿ると、そこには淡く発光するなにかがいた。
「あそこ! なにか光ってるよ!」
続けて、涼太と志崎さんも桜の指さしたほうを見て、声を上げる。
「うそ! あれって……」
「蛍だ!」
田んぼのなかには、無数の蛍たちが飛んでいた。
「こっちにも!」
「うわぁ、すげえ!」
「すごい。光が線みたいに流れてく……」
三人から、たちまち感嘆の声が上がる。
空には満天の星。そして、地上には蛍の光。
どちらも紛うことなき自然の光。生命の光が、僕たちのまわりにはあふれていた。
その優しい光は消えそうで消えない。
「私、蛍なんて初めて見た……」
志崎さんがうっとりしながら呟く。
「俺も。まさか、地元で見られるなんて知らなかったわ。地元じゃないのによく知ってたな。こんな穴場」
涼太が振り向いて言った。
「……うん。まぁ」
「なんで知ってたの?」
「来たことあったとか?」
涼太と志崎さんから何気なく問われ、僕はわずかに喉を詰まらせる。
「……うん。中学生の頃、一度だけ叔母が連れてきてくれたんだ」
「へぇーそうなんだ」
「あれ。でも、蛍って夏休みの頃まで見られるものなの?」
「……いや、この時期だけ。僕、中学生の頃学校行ってなかったから」
だれかが息を呑む音がした。
「あ……とはいっても、夏休みも挟んだから、実際不登校だったのは二ヶ月とか、たぶんそのくらいだったと思うんだけど」
僕の告白に、全員が黙り込んだ。
涼太あたりにてっきり笑ってからかわれるかと思っていたものだから、しんみりとしてしまった空気に逆に焦る。
「……あ、いや、とはいっても、そんな重い話じゃないからな?」
慌てて明るい声で言うが、涼太は真面目な声音のまま、僕に訊いた。
「理由、聞いてもいいか?」
「……えっと……」
少し歯切れの悪い反応になってしまった。中学時代の記憶が蘇り、怖くなってしまったのだ。
いじめられていたことを知られたら、偏見の目で見られるんじゃないか。僕をきらいになってしまうんじゃないか。
涼太も志崎さんも桜も、そんなひとじゃないということは分かっているのに、いざ話そうとすると、喉になにかがつっかえたようになる。
黙り込んでいると、繋いでいた手のひらに力が籠った。となりを見ると、桜が笑っていた。大丈夫、と言われているような気がした。
ふっと全身から力が抜ける。
「まぁ……原因はありきたりだけど、いじめでさ。そんなひどいやつじゃなかったし、夏休み明けからはちゃんと登校したんだ。……ただ、中一の一学期は家から出られなくなってて、そうしたら叔母がこっち来ないか、って言ってくれて」
学校に行かないなら、家でぼうっとしている時間、こっちで遊んだほうがずっといい気分転換になるよ、と、そう言ってくれたのだ。
まわりの大人は、みんな学校に行かない僕を心配したのに。
このまま学校に行かなくなってしまったら、この子の将来はどうなるんだろう、とか、病院に連れていったほうがいいかしら、とか。
あの頃、ひそひそと僕のことを話し合う声ばかり聞こえてきた。
本当は、そういう声を聞くのもいやだった。いやだったけど、みんな僕のことを心配して言っているのだから仕方ないと我慢した。
「たぶん叔母は、そういう僕の気持ちもぜんぶ理解した上で、こっちにおいでと言ってくれたんだと思う」
僕の将来やじぶんの体裁を危惧する大人たちのなか、蝶々さんだけが、当時の僕に向き合ってくれていた。
そのとき、蝶々さんがここに連れてきて言ってくれたのだ。
『話がしたかったんだ。私、しおちゃんのことほとんど知らないし、しおちゃんも私のこと知らないでしょ?』って。
「叔母は僕に、一度も学校に行けって言わなかった。ただ、話をしてくれた。すごく救われた。みんな、僕の話を聞こうとはしたけど、話をしようとは言ってくれなかったから」
涼太はなにも言わず、蛍を見ている。志崎さんも、桜も。
その沈黙に我に返る。一気に血の気が引いていく。話し過ぎた。
「……いや、なんかごめん。いきなりこんな重い話して。今のは忘れて」
気まずくなって、僕は頭をかきながら笑った。
「……笑うなよ」
低い声が夜の空に響いて、頭をかいていた手が止まる。
「笑いごとじゃないだろ。ぜんぜん」
「……涼太?」
暗闇に慣れた目が捉えたのは、険しい顔をした涼太だった。となりにいる志崎さんも同じような顔をして、僕を見ていた。
「俺は笑えないよ。お前が不登校だったとき、どんな気持ちでこの街に来てたのかとか、どんな気持ちでここで蛍を見てたのかとか、考えたらぜんぜん笑えない」
涼太の声はほんの少し震えていた。
奥歯に力が入った。涙が出そうになる。
「……うん。たしかにあのときは辛かった。でも、あのときここに来てなかったら、たぶん僕、この街の高校を選んでなかったと思うんだ」
そうしたら、桜だけじゃなく、涼太や志崎さんにも会えていなかった。
「だから……たしかに辛かったけど、辛い経験も、生きてさえいたら、いつかは、あってよかったってことになるのかなって、ちょっと思った。逃げるっていけないことって思われがちだけど、僕は逃げてよかったと思ってる。だから、みんなで来たかったんだ。ここに」
正直、蛍の光を見るといつもあのときのことを思い出して、胸が苦しくなる。
でも、今目の前にある光たちは、心から美しいと思える。泣きたくなるくらいに、美しいと。
あの日の僕はここで泣きじゃくることしかできなかったけれど、今は違うから。
毎日が平穏に過ぎていくわけじゃない。
いやなことだってたくさんあるし、そのたびすべてを投げ出したくなることも、死にたくなることもある。
だけど、今僕は、ここにいてよかったって思えているから。
それだけでじゅうぶんだ。
足元に、蛍がいた。草に止まって、ぽうぽうと光っている。僕は蛍をそっと両手で包むように捕まえた。
「すごい。蛍って、こんな簡単に捕まっちゃうんだね」
「のんびり屋さんなんだ」
「たしかに、飛んでる感じもなんかふわふわしてるもんな」
僕のもとに、みんなが集まってくる。それが嬉しくて、だけどちょっと落ち着かない。
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