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第7章・さよならのあとで
第46話
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蛍を見に行った数日後、桜の体調が急変したと蝶々さんから連絡を受けた。
僕は、学校が終わると急いで病院へ向かった。
病室に行くと、蝶々さんは珍しく険しい顔をしていて、その表情に、僕はすべてを察した。
桜の病状については、蝶々さんから既に知らされている。
クローンである桜の臓器は急速に衰弱し、現在ではほとんどの機能が停止しているという。そのため、薬と機械で無理やり動かしている状態だった。
しかし、それもとうとう限界がきてしまったらしい。
「しおちゃん、桜ちゃんのそばに行ってあげて」
しかし僕は、病室の扉の手前で立ち止まったまま、動けなかった。
大切なひとの死と向き合う恐怖が、今になって荒波のように押し寄せてくる。
覚悟はしていた。だけど、そんなのは勝手な思い込みで、実際弱った彼女を前にしたら、なんの意味も持たなかった。
初めて自覚する。
桜はもうすぐ、死んでしまう。僕のそばからいなくなる。それがどういうことなのか、頭では分かっているのに想像がまったくできない。怖くて足が動かない。
「……しおちゃん」
蝶々さんが僕の手を握る。その手は思いのほか小さかった。今さらながら、蝶々さんはこんな小さな手で彼女を救い続けてきたのかと変なところで感心する。
その手はかすかに震えていた。
ようやく気が付く。
蝶々さんも怖いのだ。
きっと僕なんかよりも、蝶々さんは死の恐怖を知っている。
僕は未だ、大切なひとの死に向き合ったことがない。
だけど蝶々さんは既に、両親を失くし、親友を失くし、患者であった女の子も亡くしている。
何度も、ひとの死に向き合っているのだ。怖くないはずがない。
「……蝶々さん。僕、怖い」
素直な気持ちを漏らす僕を、蝶々さんが抱き締める。
「うん。私も怖いよ」
「……やっぱり桜が死ぬことを受け入れるなんてできないし、涙をこらえられる自信もないよ……」
「いいのよ、それで。覚悟なんていらない。泣くのを我慢なんてしなくていい。泣いていいの。その涙がしおちゃんの本心なら、桜ちゃんにぜったい届くから」
「……うん……」
悲しんだら桜に悪いから、泣いたら桜が気にしてしまうから、必死に歯を食いしばっていた。
でも、そんなことをしたところで、最初から堪えられるはずなんてなかった。
僕は涙で視界を滲ませたまま、桜の病室に入った。
足音に気付いたのか、それまで目を瞑っていた桜が目を開けた。桜が僕を見て、弱々しく目を細める。
「汐風くん……来てくれたんだ」
「……桜、調子はどう?」
「ん……まあまあ、かな」
「……そっか」
桜は苦しげな呼吸をしながらも答えた。
桜の精一杯の強がりに胸が苦しくなる。桜の体調が、まあまあなわけない。きっと今、すごく辛いはずだ。苦しいはずだ。
臓器の機能が止まる。僕には想像ができない。
「汐風くんは?」
「僕もふつうだよ」
いつもの世間話のような口調で返すと、桜はふふっと小さく笑った。
「汐風くん、私より体調悪そうだよ」
「そんなことないだろ」
「あるよ。顔が険しいもん。あ、もしかしてにらめっこしてる?」
「……してないって」
「へへ」
こうして、なんでもない話をいつまでもしていたい。だけど、そんな時間はないことは分かっている。
……分かってはいても、身体はまるで錆びた鉄のように固まってしまう。
「……ねぇ、汐風くん。約束覚えてる?」
「え? 約束……?」
「海、行こうって」
「…………」
僕は戸惑いながら、俯く。
「忘れちゃった?」
「まさか!」
もちろん、忘れたことなどない。ふたりでデートをしたあの日、次は海に行こうと約束したのだ。
でも結局、叶えられなかった。
蛍を見に行ったあの日以降、桜の体力はガクッと落ちてしまった。とても、外出なんてできる状態ではない。
「海、行こうよ」
「え? でも……」
「約束破ったら針千本だよ。約束は守るためにあるんだよ」
「……それはそうだけど……でも、今の状態じゃ無理だよ」
「大丈夫!」
桜は手をベッドについて、上体を起こした。枯れ枝のように細い腕に、血管が浮き上がり、僕は慌てて彼女の背中を支える。
ただ起き上がるだけでも、かなり大変そうだ。
「ほらね? ちゃんと私起きれるし、歩けるよ。だから、行こ?」
……こういうところだ。
桜はいつも、僕の想像を超えてくる。こんなに小さな身体で、こんなに小さな手で……いとも簡単に、奇跡を起こす。
僕は、学校が終わると急いで病院へ向かった。
病室に行くと、蝶々さんは珍しく険しい顔をしていて、その表情に、僕はすべてを察した。
桜の病状については、蝶々さんから既に知らされている。
クローンである桜の臓器は急速に衰弱し、現在ではほとんどの機能が停止しているという。そのため、薬と機械で無理やり動かしている状態だった。
しかし、それもとうとう限界がきてしまったらしい。
「しおちゃん、桜ちゃんのそばに行ってあげて」
しかし僕は、病室の扉の手前で立ち止まったまま、動けなかった。
大切なひとの死と向き合う恐怖が、今になって荒波のように押し寄せてくる。
覚悟はしていた。だけど、そんなのは勝手な思い込みで、実際弱った彼女を前にしたら、なんの意味も持たなかった。
初めて自覚する。
桜はもうすぐ、死んでしまう。僕のそばからいなくなる。それがどういうことなのか、頭では分かっているのに想像がまったくできない。怖くて足が動かない。
「……しおちゃん」
蝶々さんが僕の手を握る。その手は思いのほか小さかった。今さらながら、蝶々さんはこんな小さな手で彼女を救い続けてきたのかと変なところで感心する。
その手はかすかに震えていた。
ようやく気が付く。
蝶々さんも怖いのだ。
きっと僕なんかよりも、蝶々さんは死の恐怖を知っている。
僕は未だ、大切なひとの死に向き合ったことがない。
だけど蝶々さんは既に、両親を失くし、親友を失くし、患者であった女の子も亡くしている。
何度も、ひとの死に向き合っているのだ。怖くないはずがない。
「……蝶々さん。僕、怖い」
素直な気持ちを漏らす僕を、蝶々さんが抱き締める。
「うん。私も怖いよ」
「……やっぱり桜が死ぬことを受け入れるなんてできないし、涙をこらえられる自信もないよ……」
「いいのよ、それで。覚悟なんていらない。泣くのを我慢なんてしなくていい。泣いていいの。その涙がしおちゃんの本心なら、桜ちゃんにぜったい届くから」
「……うん……」
悲しんだら桜に悪いから、泣いたら桜が気にしてしまうから、必死に歯を食いしばっていた。
でも、そんなことをしたところで、最初から堪えられるはずなんてなかった。
僕は涙で視界を滲ませたまま、桜の病室に入った。
足音に気付いたのか、それまで目を瞑っていた桜が目を開けた。桜が僕を見て、弱々しく目を細める。
「汐風くん……来てくれたんだ」
「……桜、調子はどう?」
「ん……まあまあ、かな」
「……そっか」
桜は苦しげな呼吸をしながらも答えた。
桜の精一杯の強がりに胸が苦しくなる。桜の体調が、まあまあなわけない。きっと今、すごく辛いはずだ。苦しいはずだ。
臓器の機能が止まる。僕には想像ができない。
「汐風くんは?」
「僕もふつうだよ」
いつもの世間話のような口調で返すと、桜はふふっと小さく笑った。
「汐風くん、私より体調悪そうだよ」
「そんなことないだろ」
「あるよ。顔が険しいもん。あ、もしかしてにらめっこしてる?」
「……してないって」
「へへ」
こうして、なんでもない話をいつまでもしていたい。だけど、そんな時間はないことは分かっている。
……分かってはいても、身体はまるで錆びた鉄のように固まってしまう。
「……ねぇ、汐風くん。約束覚えてる?」
「え? 約束……?」
「海、行こうって」
「…………」
僕は戸惑いながら、俯く。
「忘れちゃった?」
「まさか!」
もちろん、忘れたことなどない。ふたりでデートをしたあの日、次は海に行こうと約束したのだ。
でも結局、叶えられなかった。
蛍を見に行ったあの日以降、桜の体力はガクッと落ちてしまった。とても、外出なんてできる状態ではない。
「海、行こうよ」
「え? でも……」
「約束破ったら針千本だよ。約束は守るためにあるんだよ」
「……それはそうだけど……でも、今の状態じゃ無理だよ」
「大丈夫!」
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ただ起き上がるだけでも、かなり大変そうだ。
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