明日はちゃんと、君のいない右側を歩いてく。

朱宮あめ

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第4章

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 数秒のコール音ののち、パッと音が途切れた。

『はい』

 男の人の太い声が聞こえ、どきんと心臓が跳ねる。声を聞いた瞬間、用意していた挨拶が頭から吹っ飛び、真っ白になってしまった。

「あ、あの……夜遅くにすみません。私、榛名水波といいます」

 上擦った声でなんとか名乗ると、スマホの向こうから、『ハルナ……?』とかすかに戸惑うような声が聞こえた。
『……あ!』
 しかしすぐに私だと気付いたのか、穂坂さんは音割れしそうなほど大きな声で、

『水波ちゃん!? うそ、本当に水波ちゃんなの!?』
「は、はい……」

 穂坂さんは『うわぁ、そうか。そうか』と、何度も繰り返す。本当に驚いているようだ。

『あ、ごめんね。うるさかったよね。ええと……こんばんは、穂坂です』
「こんばんは……」
『元気にしてた?』
「はい。元気です」

 穂坂さんの声なんてほとんど覚えていないはずなのに、なんだろう。すごく懐かしくて、ホッとした気分になった。

『いやぁ、それにしても嬉しいなぁ。水波ちゃんから連絡くれるなんて夢にも思わなかったからさ。あ、忘れてたわけじゃないからね! むしろ忘れたことなんてないし……水波ちゃんは今、高校生だっけ? 学校は?』

 矢継ぎ早に質問が飛んできて、実は今修学旅行中なんですと告げると、穂坂さんは再び驚きの声を上げた。

『へぇ、修学旅行か、そうかぁ。楽しんでる?』
「はい」
『場所はどこに行ってるの?』
「沖縄です」

 短くそう答えると、スマホの向こうで穂坂さんが黙り込んだ。

『……あー……そっかそっか』

 正直、穂坂さんのことはほとんど覚えていない。

 病院で目が覚めてしばらくしてから、フェリーの中に取り残された私を助けてくれたのは穂坂さんという海上保安庁の潜水士さんなのだと親から知らされた。

 入院中、穂坂さんは病院に一度だけお見舞いに来てくれたことがあった。けれど、そのときの穂坂さんはこちらが心配するくらいに泣いていて、ほとんど話はできなかった。

『あ、そうだ。美味しいものなにか食べた? 沖縄は本土の人の口に合うものが少ないっていうけど、ソーキそばとかは美味しいよ。あとね、海ぶどう! あれはぜひ食べてほしいなぁ。ぷちぷちってして、食感が楽しいからすごくオススメ!』

 電話口の穂坂さんは、事故や海のことには一切触れず、沖縄をアピールし続けている。

 小さく相槌を打ちながら、優しい人だなぁと感心した。
 あの事故以来、初めて連絡したのに。
 きっと、彼のほうもいろいろ気遣いたいだろうに、それは逆に私を苦しめることだと思って、穂坂さんはあえてふつうに接してくれる。

「……あの、今日は穂坂さんにお話があって電話しました」
『おっ、なになに? なんでも言ってごらん』
 一度言葉を止めて、息を吸う。
「……沖縄にいる間、少しの時間でいいから会っていただけませんか」
 思い切って告げる。
『俺に?』
 穂坂さんの声が、少し低くなった。

「やっぱり急だし、迷惑ですか……?」
『いやいや、そんなことはないんだけど……水波ちゃん、もしかして俺に礼でも言わなきゃとか考えてる?』
「……それもあります。助けてもらったお礼もまだちゃんと言えてないし……でも、それだけじゃなくて、穂坂さんに話さなきゃいけないことがあるんです」

 それから、事故のことも聞きたいと思っている。そう告げると、穂坂さんは少しの間考えるように沈黙した。

 どきどきしながら返事を待つ。きっと一分もなかっただろうに、私には、その間が十分にも二十分にも感じられた。

『……分かったよ。そういうことなら会おう。俺も久々に君の顔が見たいしね。水波ちゃんは、いつまでこっちにいる?』
 いい返事が返ってきてホッとしつつ「明後日までいます」と答える。

「特に明日は自由行動なので、時間の融通が利くかもです。場所は……」

 明日の日程を伝えると、
『分かった。それじゃあ、時間見つけたらまた連絡するね』
「急だったのにすみません」

 最後におやすみと言って、穂坂さんとの通話は終了した。
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