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第6章
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しおりを挟むそうだ……。
「綺瀬……くん……」
涙声でその名を呼ぶ。すべて、思い出した。
あの日私は、最後まで綺瀬くんと一緒にいた。綺瀬くんは、怪我をした私を全力で助けようとしてくれて、実際私は、綺瀬くんのおかげで穂坂さんが来るまで生きていられたのだ。
足から力が抜け、その場にへたりこんだ。
「水波ちゃん! 君、顔色が……」
「……大丈夫です。すみません、ちょっと、力が抜けちゃって……」
穂坂さんの声を遠くに聞きながら、私は、どうしようもない悲しみに囚われていた。
……今さら思い出したって、なにも変わらない。
現実は、変わらない。……だって。
綺瀬くんはもう、ここにはいない。
あの日、あの事故で死んでしまった。
すっかり癒えたはずの頭の傷が、ガンガンと痛み始める。私は呻き声を上げ、その場にしゃがみ込む。
「水波ちゃん、ちょっと休もう。もう一度お店に……」
「いえ、大丈夫です……すみません」
視界が霞み、目をぎゅっと瞑ってこめかみを押さえたそのとき。
『――水波』
すぐ近くで綺瀬くんの声がした気がした。
ぼろぼろと涙を零しながら、私は思い出した真実に絶望する。
頭の中では、あの日のできごと記録された映写機が回り続けている。
病院で目が覚めてからずっと、なにかが足りないと感じていた。
来未がいなくなって、ひとりになって。
死んでしまうのではないかと思うほどの喪失感に襲われて。
来未の存在の大きさを思い知った。だけど、それでもまだなにか忘れているような気がしていた。
それを今、ようやく――……。
『……水波。ずっと守ってやれなくてごめん。でも、俺はずっと、死んでも水波のことが大好きだから』
半分失くした意識の向こうで、綺瀬くんはそう、私に言っていた。
部屋はどんどん海水に満たされていくなか、必死に私を空気のあるところに押し上げながら。
『だから、水波は生きて』
「あの事故で、綺瀬くんは……綺瀬くんだけフェリーの中に閉じ込められたまま、救出が間に合わず沈んだんですね」
「……うん。綺瀬くんは、足が瓦礫に挟まっていて……即時救出が困難だった。ただ、綺瀬くんの身体があったおかげで、水波ちゃんはわずかに残った空気中に顔を出したままで助かったんだけどね」
綺瀬くんは事故当時、じぶんの足が挟まれて溺れながらも、必死に私を守ろうとしてくれていたということだ。
「君を先に救出したあと、もう一度フェリーに戻る前に、上から撤退命令が出されたんだ」
穂坂さんの声が遠くなる。
そしてあの日、私が死のうとしたときも……。
再び私の前に現れたのも、きっと私を守るためだ。私がまた、死に近付いたから……。
息すら忘れて記憶の波に呑まれたあと、思い出したように嗚咽が漏れた。
それから、どうやってホテルに戻ったのかよく覚えていない。気付いたらホテルで、朝香たちと一緒にいた。
帰ってきてからも、私の気分は沈んだままだった。そんな私に朝香たちはなにも言わず、いつもどおりに接してくれる。
ホテルの部屋に入ったとき、事故のときの知り合いと話してきたということだけを軽く伝えたからだろう。
「水波、お菓子食べる?」
琴音ちゃんが聞いてくる。
「ううん。さっきケーキ食べちゃったから」
そう断ると、琴音ちゃんは、
「えっ、ずるっ!」
と、私に抱きついた。
「あは、ごめん」
「いいなぁ。なに食べたの?」
「……ティラミス」
「私も食べたかった」
言いながら、琴音ちゃんは私の頬を片手で掴み、ぷにぷにとしてくる。私はされるがままになりながらも、頭の中は綺瀬くんのことでいっぱいだった。
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