鈍色の空、かすかな晴れ間に星を見る。

朱宮あめ

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第5章

第5話

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 家に帰ると、玄関先でばったりお姉ちゃんと出くわした。
「あ……」
 お姉ちゃんとは、あの夜以来ずっと喧嘩したままだ。いい加減ちゃんと話さなきゃと思いつつ、すれ違い続けていた。
 お姉ちゃんは動揺する私にさらりとした声で「おかえり」と言うと、私の横を通り過ぎて靴を履く。
「うん……ただいま」
 靴箱のほうへ身体を寄せて、お姉ちゃんが靴を履いているのを見下ろしていると、ふと視線を感じたらしいお姉ちゃんが顔を上げた。
「柚香、あとで、時間ある?」
「え?」
「来週末とか。ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「あ……うん。大丈夫だけど」
「じゃあ、週末ね」
 お姉ちゃんはそれだけ言うと、振り返りもせずに家を出ていった。


 ***


 朝、部屋のカーテンを開けると、しとしとと雨が降っていた。
 衣替えは済んでいるが、今朝は少し肌寒い。
 私はブラウスの上からサマーセーターを着て、家を出た。
 雨の街を見ていると、音無くんのことを思い出す。以前、音無くんとの会話の中で、雨の話題が出たからだろうか。
 あのときの話は本心だった。
 雨はもともと好きだった。でも、あれから雨がもっと好きになった。
 傘を鳴らす雨音も、田んぼの水面に広がる波紋も。くすむビルの影も、そのなかでも色彩鮮やかな草花も。
 ぜんぶ、音無くんとの思い出にリンクするからだろう。
 私は少し早歩きで学校へ向かった。
「おはよう」
 校門前に差し掛かったところで、ビニール傘を差した音無くんが向かいから歩いてきた。
「おはよう」
 挨拶をすると、音無くんがしみじみと言う。
「やっと会えたわ」
「え?」
「最近清水、俺のこと避けてただろ?」
「あ……ごめん。なんか、邪魔したくなくて」
「邪魔?」
 音無くんが眉を寄せる。
「その……梓ちゃんと仲良いみたいだったし……」
「えっ! なにそれ」
「なんか、ふたりがよく一緒にいるとこ見たから」
「まぁ、小林とはそりゃ同じ部活だから、仲はいいけど。でも、朝勉は一緒にやるって約束してたじゃん。ずっと待ってたんだよ」
「そうだけど……私はそうしたかったけど、でも、もしかしたら音無くんにとっては迷惑だったかなって思って」
「あー、また勝手な解釈!」
 ハッとする。
「あっ……ごめん」
 そうだ。
 私はまた勝手に、じぶんの想像で音無くんから離れようとした。音無くんはきっとこう考えていると思い込んで。
「……そうだよね、ごめん」
「いいよ。癖っていうのは、そう簡単に変わらないよな。俺もそうだし」
「……音無くんも変えたいところがあるの?」
「あるよ、たくさん」
「意外……」
「清水は俺のことなんだと思ってんの? てか、じぶんがめちゃくちゃ好き! なんてひといないと思うけどな」
 本当、そのとおりだ。
「ごめん」
 ぺろりと舌を出して謝ると、音無くんは「もう」と、ぽりぽりと頬をかいていた。
「べつにいいけどさ。俺も、もしかしたらまたなにかして清水にきらわれたのかもって落ち込んでたし」
 ハッとした。私はまた、先入観に縛られていた。
「そんなわけないよ!」
「本当?」
「……う、うん。本当」
 ――むしろ……私は。
 途端に音無くんの目をまっすぐに見るのが恥ずかしくなって、私は俯きがちに歩く。
 ちらりと隣を見て、覚悟を決める。
「……あのさ。私、ずっと音無くんに言いたいことあったんだ」
「なに?」
 音無くんが不思議そうに振り向く。
「あのね、私……音無くんのおかげで葉乃と美里とちゃんと話せた。ずっと、だれにも言えなかったことも言えた。だから、ありがとう」
「……そっか。それは、よかったな」
「うん」
 話しながら、肩を並べて昇降口に入っていく。
 今まで学校は、勉強するための場所だと思っていた。
 でも今は、音無くんに会える学校が、美里や葉乃と笑い合える学校が純粋に楽しみに感じている。


 ***


「そういえば、梓が音無に告ったって噂になってたけど、あれガチかな?」
「えっ、そうなの?」
 昼休み、三人でお弁当を食べていると、葉乃がちらりと言った。
「さぁ……」
 たぶん、葉乃は私が音無くんと仲がいいことを知っているから、わざと言ってくれているのだろう。葉乃のちょっとした優しさに気づけるようになったことが嬉しい。
「本当かどうかは知らないけどね」
 音無くんがモテることは知っていた。
 それから、梓ちゃんが音無くんに好意を抱いているということも。
 ふたりでいるところはよく見かけたし、梓ちゃんが音無くんに教科書を借りに来ることも多々あったから。
 ――音無くんはなんて返事したんだろう……。
 もし、梓ちゃんと付き合い出したのだとしたら、もう今までのように電話したり、会うことはできなくなるのだろうか。
 それは少し寂しい。せっかくやっと仲良くなれてきたのに。
「……ゆず?」
 黙り込む私を、美里が控えめに呼ぶ。
 顔を上げると、心配そうな顔をしたふたりが私を見ていた。
「あ、なに?」
「あのさ、ずっと気になってたんだけど、ゆずって音無と付き合ってるの?」
「えっ!?」
 思わず大きな声が出る。
「つつ、付き合ってないよ!」
 否定すると、葉乃はふぅんと小さく呟き、いちごミルクを飲む。
「でも、好きだよね?」
「え……」
 どきりとする。
「最近よく、音無と話してるとこ見るし」
「…………それは、そうなんだけど」
 隠していたわけではないけれど、なんとなくじぶんの気持ちがまだよく分からなくて、言い出せずにいたのだ。
「その……そもそもなんだけど。好きってどんな感じ?」
「えーそりゃあ、ふとしたときに会いたいなーとか、今なにしてるのかなーとか、気付いたら考えちゃってるって感じよ」
 ――気付いたら考えてる……?
「どう。気付いたら考えてる?」
 葉乃に訊かれ、考える。
「考えてる……かも」
 神妙に頷くと、葉乃はしみじみと頷いた。
「そっか。じゃあ好きだね」
「でも、付き合いたいかって言われると、ちょっと違うかも」
「えーなんで? どーゆうこと?」
 美里が興味津々に訊いてくる。
「今のままでも私は満足してるというか、もし告白して断られたら今までのようには会えなくなっちゃう。そんなのいやだし、それにこれから受験だし……だれの手も煩わせたくないなって」
「あーまぁね。言いたいことは分かるけど」
 葉乃が頷く。
「でもさ、柚香の中で特別なのは間違いないんだね」
「……うん。それはそう」
 音無くんがいなければ、私は今頃もひとりで悩んだままだっただろう。
「じゃあ、音無が他の子と付き合っちゃってもいいって思える?」
「それは……」
 いやだ、と思う。
 でも、それを口にする権利は私にはない。私は、音無くんにとってなんでもないから。
「いやなら、やっぱり思いは伝えたほうがいいんじゃない? 伝えないまま後悔するよりは、言って後悔したほうが、次に進めそう」
「それはあるね。私は結局、不完全燃焼だったから余計、告白には憧れる」
 ――告白、かぁ。
 怖いけれど、踏み出さなければなにも変わらないということを、私はもう知っている。
 音無くんの気持ちは、素直に知りたいと思う。
 もし、告白をして音無くんも同じ気持ちだったら、どうなるのだろう。
 ――付き合うってこと?
 でも、付き合ったらどうするんだろう。
 ――デートとか?
 ふたりで出かけるのは楽しそう。
 でも、それは恋人じゃなくても勇気さえ持って誘えばできてしまう気がする。
 それにもし、付き合ってやっぱりダメになってしまったら。そっちのほうが私は怖い。だって、もしそうなってしまったらきっと、今までのような友達関係には戻れなくなってしまう。
 それはいやだ。
 そんなリスクを負うのなら、今のままでもいいと思ってしまうのは臆病なのだろうか。
 ――恋って、難しいな……。
 もうすぐ期末テストが始まる。そして、期末テストが終わったら夏休みに入る。
 毎年楽しみにしていたはずの夏休みが、今年はなぜか、そんなに嬉しくない。
 卵焼きを頬張りながら、私は味気のない空を見上げた。
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