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3話
しおりを挟む「……夜斗よ。どうやら、霊力を認識できたようだな」
耳元で落ちた父の声に、そっと目を開ける。
「これが……霊力ですか」
胸の奥で、さっきまでぼんやりとしか感じられなかった何かが、まだかすかに揺れている。
熱いような、冷たいような、不思議な感覚だった。
「ああ、そうだ」
父は腕を組み、いつもの低い声で続ける。
「霊力にはな、各々でかたちというものがある。
色や温度、重さのようなもの……それが五行術の扱いやすさを左右する」
「五行術の、扱いやすさ……」
繰り返すと、父はゆっくり頷いた。
「基本的には、陰陽師はすべての五行術を使える。
だが、己の霊力に合った行を用いれば、同じ術式でも威力も精度も大きく跳ね上がる」
「なるほど……」
理屈は納得できる。
身体の作りが違えば、得意な動きも違う――それと似たようなものだろう。
「夜斗。さきほど感じた霊力だが、どこで、どのように巡っていた?」
問われ、さきほどの感覚をなぞるように目を閉じる。
「……胸のあたりから、全身に広がっていました。
中心は、みぞおちの少し上くらいで」
そこから、細い糸のように腕や脚へと伸びていく。
それ自体は、さほど特別なものではないのかもしれない。
「ただ――」
言いかけて、言葉を探す。
「ただ?」
「ひとつでは、ない感じがしました」
自分でも妙なことを言っている自覚はある。
けれど、そうとしか言いようがなかった。
「芯のほうは、じんわりと熱いのですが……
その周りを、少し冷たいものが絡みつくように流れているといいますか」
「熱いものと、冷たいもの」
父は短く復唱し、じっと僕の顔を見つめた。
「熱は、火行の性だ。
冷やし、潤すのは、水行の性」
指先で空をなぞるようにしながら、淡々と続ける。
「火と水は、本来は相克の関係にある。
火が勝てば水は沸き、水が勝てば火は消える。――ひとりの霊力の中でそれがどう共に在るのか、興味深いな」
「僕の霊力は……火と水、両方の気配がある、ということですか」
問うと、父は少しだけ目を細めた。
「今のところは、そう見える。霊力のかたちは年と共に変わることもあるが……最初から二つの性をはっきり感じる者は、多くはない」
多くはない――つまり、珍しいほう、ということだ。
目立つのはあまり好きではないが、力としての伸びしろがあるのなら、悪くない。
「勘違いするな。珍しいからといって、それだけで強いわけではない」
こちらの考えを見透かしたように、父が釘を刺す。
「火と水、どちらも半端では、片方を極めた者には届かぬ。両方を扱うなら、両方を磨け。片方を捨てるなら、そのぶん一方を極めろ」
「……はい」
「ただし」
父はそこで少し声を落とした。
「もし本当に、火行と水行の両方を高い水準で扱えるようになれば――それは蒸し、霧を生む。霧は視界を奪い、蒸気は呪を隠す。式神の隠形にも、結界の補助にも使えるだろう」
「霧、ですか」
前世で見た、湯気に曇る浴室や、雨の日の白い路地が脳裏をよぎる。
(視界を奪い、自分だけが見えるようにする……)
それは僕にとって、とても都合のいい性質に思えた。
「いずれにせよ、今はまだ感じ取れただけだ。
火だの水だのと言うのは、それを術として形にできるようになってからでよい」
父はそう締めくくると、手を打った。
「今日からしばらくは、霊力の感知と、五行の型だけを叩き込む。式神の契約は、その先だ。焦るな、夜斗」
焦るな、とは言われたが――
「……でしたら、ひとつお願いがございます」
自分でも、口が勝手に動いたような気がした。
「五行の型を、家にある書で学び、
初歩の術だけでも一通り、術式どおりに使えるようになりましたら――」
そこで一度、息を整える。
「その折には、式神との契約をお許しいただけますか」
言ってから、内心で苦笑する。
式神という甘美な餌に、すっかり釣られてしまった。
けれど、早く辿り着きたいのも事実だった。
火と水、相克する二つの性質を抱えた霊力が、どれほど便利で、どれほど危ういものになるのか。
その実験台として、式神という存在はあまりにも魅力的だった。
父は、しばし黙って僕を見下ろしていた。
断られる可能性もある、と覚悟しかけたところで――
「……よかろう」
短い言葉が落ちた。
「ただし、本に書いてあることをなぞれた気になった程度では認めんぞ」
声の調子は淡々としているが、その目だけはわずかに愉快そうに光っている。
「五行の初伝――火なら灯し、水なら動かし、土は支え、木は育て、金は断つ。
それぞれの最初の一手を、俺の前で淀みなく示してみせろ。術の形だけでなく、霊力の流れも伴っていると俺が見て取れたとき、そのときは一体だけ、式神との契約を許す」
「一体だけ、ですか」
思わず聞き返すと、父は口の端を上げた。
「欲を言えばきりがない。まずは一体を扱え。それすら満足に制御できぬ者が、二も三も抱えれば、いずれ式に喰われる」
たしかに、それはもっともだった。
「……承知いたしました。その条件で、お願いします」
深く頭を下げると、胸の奥でさっき感じた熱と冷たさが、また静かに揺れた気がした。
(五行の初伝を一通り。霊力の流れを伴って)
条件は軽くはない。
だが、目標が明確になったぶん、むしろやりやすい。
「夜斗」
父の声に顔を上げる。
「生き延びるために学ぶと言ったな」
「……はい」
「あれも嘘ではなかろうが、今の顔を見るに――式神のため、というほうがよほど正直そうだ」
図星を刺され、思わず言葉を詰まらせる。
父はくつくつと喉の奥で笑った。
「それでいい。理由など、きれいなものである必要はない。大事なのは、続けられる理由を自分で用意しておくことだ」
そう言って、父はひとつ頷いた。
「では、今日から地獄だぞ、夜斗」
「……手加減は?」
「せん」
きっぱりと言い切られ、思わず肩が落ちる。
けれど同時に、胸の奥の霊力が、さっきよりもはっきりとした輪郭を持ち始めているのを感じていた。
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