神を従えし者たち

真崎 遥也

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第4章 Η αλήθεια είναι σκληρή.

プロローグ

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I gnorance is bliss. 

What the eye does not see the heart does not grieve over.

見ぬは極楽、知らぬが仏。

これらの言葉のように知らない方が幸せである事と言うのはもはや真実を知った時において常套句だろう。

しかし、普段何も知らない状態だと今現在が幸せだということは実感出来ないだろう。

知らない方が良かった。そう思った時、今までの自分は幸せだったんだ、と実感できる。

だがその時点でもう幸せな時には戻れない。

要するに、人生とは詰みゲーである。人は幸せになれない。幸せだと気づくには真実を知る。しかしその時点で後戻りは出来ない。このように詰んでいるのだ。

ここまで色々語ってきたけど、それっぽい事をただ言ってる訳では無い。よく考えてみてほしい。例えば、親友だと思ってたヤツが実は自分の事が嫌いで嫌々一緒に居たとか、病院の余命宣告だってそうだ。自分の死期が告げられるのだ。しかし、これは人によっては残り少ない人生を謳歌するきっかけにもなるため、断言は出来ない。

ただ半分の確率で、真実は残酷なのだ。

嘘にも二種類ある。幸せになれる嘘、残酷な嘘。2分の1の確率でこの世に存在する人々は不幸になるのか幸せになれるのか決まるのだ。

僕が言いたいのはこのシステム自体が詰んでいる。それだけだ。

僕達は名前も顔も知らない、まして、存在すらしないかもしれない奴に踊らされている。

これは忠告だ。君たちには幸せになる権利がある。人間の本質は真実を知る事ではない。今ある幸せに気づき、それを大事にしてほしい。

この忠告は、彼を救うことができなかった僕自身に対しての戒め、罪滅ぼしなのだ。

ここから、多くの人々が幸せになる事を祈っている。



───原初の神 虚無と表裏を司る神ヴァニダリウスがここに記す。
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