虹色浪漫譚

オウマ

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 日の光に目が覚めた。翠はまだ寝息を立てている。せっかくだから二度寝しようと目を閉じたけど、どうにももう頭が冴えてしまったらしい。寝るのを諦めて布団を出る。
 翠は気持ち良さそうに寝息を立てたままピクリとも動かない。よく寝てるなあ。自称絶世の色男も無防備に寝てる時は子供っぽい顔をしている。
 ……まったく、不可思議な人。
 抱えてる負を誤魔化す為に明るく虚勢を張ってるのかと思いきや本当に自分に揺るぎない自信を持っていたりする。この不可思議な男は観察していてとても楽しい。
 ちょっと身体中が痛い。ケツの中がまだジンジンしてる。昨日のあれは夢じゃなかったんだな……。
 翠が、俺のことを必要だなんて言ってくれた。あれは夢じゃなかったんだ。嬉しい。
 適当に着物を羽織って極力、物音を立てないように外に出て井戸水を汲んで顔を洗って水を飲んで、またそっと忍者のように中に戻る。
 さっきと変わらない格好で翠はまだ寝てる。
 せっかく貰った鏡を覗き込んだ。変だ変だと言われ続けた記憶ばかりのこの髪と目。だけど、ちょっと悪くないかもと思い始めてるあたり彼が暗示を掛けるように何度も綺麗だ素敵だと言ってくれた効果なのかな。
 だよな、大嫌いだった人の言葉より大好きな人の言葉を一番に信じるべきだよ。
 目元を擦って乱れ放題な髪を手ぐしで整える。一応今までだって鏡は見なくとも身なりはそれなりに整えていたんだけど……。翠が目ヤニだらけのざんばら金髪頭と歩いてたなんて悪評立てられたら嫌だしね。そうさ、ちゃんと隣を歩いても相応しいように、しゃんとしなきゃ。嗚呼これが恋する乙女心……って、違~う!! 俺は男だあああ!! って、うおおお!! 危ない危ない!! これはせっかく翠がくれた鏡だぞ壊しちゃダメダメダメ!! うわあああ危なかった~!!
 あーあ、俺はなにを一人でジタバタしてるんだか。
 翠は相変わらずよく寝てる。とりあえず風呂でも沸かしておくか。翠も起きたら入りたいだろう。お互い汗塗れのまま寝てしまったし。
 またそっと移動。さっきも思ったけど、なんか今日は俺のがに股がいやに悪化してる。気のせいだろうか。いや、気のせいじゃないな。
 嗚呼、ケツが痛い。でも、嫌な痛みじゃない……。夜鷹を働いていた時は、その度に気持ち悪くなって吐いていたのに……。
 恐ろしく狭い土間を突っ切った先にちゃっかりポツンとある我が自慢の風呂。狭いが喜んでもらえるだろうか。風呂桶に水を入れて薪をくべ、火を付ける。フーフーと火を焚いて、いよいよ湯が沸いてきたかという時、不意に背後から「おはようさん」と声を掛けられた。振り返るとそこには素っ裸の絶世の色男。
 凄いな。頃合いを見計らったように起きてきたぞ、どーゆーことだ。まあ丁度いいけど。
「おはよう。物音うるさかったかな?」
「いんや。たまたま起きた。いないからドコ行ったかと軽く焦ったぞお前。……風呂?」
 手で口元を隠しつつ大きくアクビして若干寝癖のついた頭をボリボリと掻く。ちょっとまだ寝ぼけてる? 無防備だなあ~。これは客にはまず見せない顔だろう。それだけ安心してくれてるのかと思うと嬉しいな。
「煙突があるからまさかと思ったが、ちゃっかり風呂持ちか。大したもんだ」
「ありがとう。銭湯が苦手なもんだから何より優先して手に入れた風呂さ。丁度沸いたとこだ、入るだろ?」
「ああ。うん。入る入る。……ところで、身体は大丈夫なのか?」
「大丈夫、心配ない。俺を誰だと思ってんだ? さあ、狭いけどどうぞ」
 風呂に入るよう諭す。先に入るのが忍びないのか少し申し訳なさそうな顔をして翠は風呂窯に身体を沈めた。おお、気持ち良さそうな声を出したなあ。俺と大差ない体格、水かさが一気に増した。湯加減はどうか聞くと丁度いいと言う。大丈夫そうだな。
「じゃあちょっと色々用意してくるから温まって待ってて」
 目を閉じて風呂を思い切り堪能してくれてるっぽい彼の頭をひと撫で。「待った」と言われ顎を掴まれる。チュッと唇に軽く口づけされた。で「行ってらっしゃい」と手を振られた。
 朝から何をするんだ、この兄さんは。
 行ってきますと告げて部屋に脱ぎ捨てたままだった翠の着物だとか手拭いだとか色々持って用意して風呂場に戻る。と、いきなり顔にお湯を飛ばし掛けられた。
「ぷはっ! なにすんだよ!?」
「水も滴るなんとやらってな! 一緒に入ろう?」
「絶対無理だから遠慮するよ! ほら早く温まっちまえ!」
 ちぇっ、と舌打ちをして翠はまた目を閉じた。
 だってお前さんが入っただけでいっぱいいっぱいな風呂だ。俺がムリヤリ入ったら湯が溢れて無くなるっ。
「全くもう! 狭い風呂で悪う御座いました。背中くらいは流してやるよっ」
「そらどーもどーも。……蒼志。借金が無くなったらさ、まずは二人で温泉にでも行こうか。日本を離れるわけだしな! 最後に日本の風情を堪能して~、それで!」
「それで異国に旅立つって? 悪くないね~」
 そういえば俺は翠の借金の額を知らない。でも、あんなに真剣な眼差しをしていたんだ、返せない額じゃない筈。
 温泉はどこがいいかって次々と土地名を楽しげに挙げてる彼の笑顔は、きっと遠い夢を語ってる笑顔じゃない筈だ。
「翠、俺も借金返すの手伝うよ」
「ああ、そうだな。最寄りならやっぱ箱根……。って、ええ!? しかし……」
「翠の夢は俺の夢でもある。二人で返せばきっと早い! いいだろう? ほら俺たちもう一心同体なわけだし! 水臭いこと無しでいこう?」
「まあ、うん……」
 翠は返事を濁したが、俺の腹はもう決まってる。引きこもり生活だったから無駄に貯蓄はあるんだよ~んだ。
 俺いつか異国に行くってカンクローに伝えなきゃいけないな。
 交代で風呂を済ませた。湯上がりにぼんやり一休み。何気なく鏡を覗き込むと「早速使ってもらえて嬉しいよ」って翠が笑った。なんか、初めて立ち上がった赤子を見るような温か~い目をして……。
「ああ。大事に使わせてもらうよ、これ」
 気付けば俺はいつも彼の隣に腰を下ろしてすり寄ってしまってる。引っ付いてると安心するんだ……。いい加減に実は甘えん坊なのだと自覚するべきだろうか。彼は一度もこれに難色を示さなかった。……嬉しかった。
「ところでさ」
 一言置いて翠が話を切りだした。
「用心棒の仕事ってやっぱり危ない目に遭ったりすんの?」
 おや、俺の仕事に興味が?
「いや、今の御時世じゃ滅多にないけど、そうだなあ~。壮絶な場面に出くわした事は何度か」
「ほお~? 例えば?」
「例えば~。見受けする金はないが遊女は欲しいという事で、どう隠し持ってたやら知らないが刃物で周りを脅かしながら女の手を引いてごり押しで逃げようとした客とかいたな」
「本当にいるんだ、そういう人!! で、どうした?」
「ああ、申し訳ないが叩きのめしたね」
「流石! 怪我なく終わったのか?」
「もちろん! 俺を誰だと思ってんの? 身体見ただろ、どこに傷の跡が?」
「いいえ、なーんにもない綺麗な身体でした」
「そうだろう、そうだろう。俺、強いから!」
「よし。その意気で顔だけは何が何でも怪我するなよ」
「どうして?」
「当たり前だ! こんな綺麗な顔に怪我されたらお前は泣かなくても俺が泣く!」
 な、なんか顔面を鷲掴みにされた。
「いてててっ。そーんなムキになるなよ! 分かった分かった大丈夫だって。俺、喧嘩だけは強いから!」
 とは言ったものの、実はお前さんと会ってからは仕事が少し怖いんだ……。何事もなく終わって欲しいと願ってしまってる自分がいる。こんな事は今までなかった。恐れ知らずが俺の売りだった筈なのに……。
 以前は死ぬことがまるで怖くなかった。なのに今は怖い。彼と出会って俺は少し弱くなった。生きたいと思い始めて、弱くなった……。
「それならよし」
 頷き、手を引っ込める翠……。俺は、ちょっと待てとばかりにその引っ込めた手を掴んだ。言いたいことがあったから。
「俺は強い。だから翠のこと、守ってあげるからね」
 だって、お前と一緒に生きたいから。って、真剣に言った言葉なのに翠は「はあ?」と首を傾げた挙句、眉間に皺を寄せた。
「逆だ。俺がお前を守るんだよ」
「ええ!? だって絶対に俺のが腕っぷし強いだろ。だから俺が、お前を守る!」
「おいおい自惚れてくれるなよ、俺だって実は腕っぷしには自信があるんだからなっ。歌舞伎座でのあの見事な殺陣を見ただろ~? それに俺が上に乗ったんだ俺がお前を守る!」
「重なりの上下は関係ないだろー!? 肝心なのは腕っぷしだって!」
「だからなんだお前、俺を弱いと決めつけるな! 本気で拳を交えた事ないだろ!? 試してみるか、この!」
 掴みかかってきた!?
「ちょいと待っ……! んぅ!?」
 顔を掴まれ口づけされた。何がなんだかと思ってるうちに身体を押し倒された。
「ほら、俺のが強くて尚且つ上だ!」
 満面の笑みで翠が俺を見下ろす。参ったなこりゃ。
「認めたか~?」
 翠が念を押すように顔を近付けて白い歯を見せて笑う。
「ん~~、でも俺のが若干上背があるっ」
「まだ言うか! 爪先程度の差しかないだろ背!」
「分かった、分かったよ。翠が上でしかも強いんだね? 分かったって」
 こりゃ一応折れたふりしておかないとキリがないなと。
「分かればヨシ」
 まあ満足そうな顔。やれやれ昨日のしかかってきた時の顔が嘘みたいだ。あの不安に押しつぶされそうだった表情が嘘みたい。
 友達以上の気持ちを抱いたのはどちらが先だったのだろう。俺は、彼を失うのが怖くて言い出せなかった。
 昨日、翠は少し震えていた。こんなに強気な男が、酷く怯えていた。もしも彼が俺と同じ考えを抱いていたのだとすればそれも納得がいく。なのに一線を踏み越えてみせた彼の方が心は間違いなく強い。待つという気弱な手段をとった俺は頭が上がらない……。彼の方が、俺よりも強いんだ……。
 翠がのしかかったまま楽しげに俺の髪の毛を指先で遊ばせてる。今日の彼がいやに無邪気なのは昨日酷く緊張した反動なのだろうか、それとも素なのか。
 可愛い人だと思いながら好きにさせた。……そしたら髪を三つ編みに結われた。
 楽しい時間ほど早く過ぎていく。翠がそろそろ帰る時間だと名残惜しそうに言った。俺もぼちぼち仕事の時間だ。そう連日、暇を貰うわけにはいかない……。
 ただゴロゴロしながら二人でくっちゃべってただけなのにこんなに楽しいなんて。本当に別れが名残惜しい。
 門まで送ることにした。「また来るよ」と言って翠が笑う。
 ……仕事まで、まだ時間があるな。
「翠、もうちょっと先まで送るよ」
「そうか? じゃあ頼む」
 門をくぐり抜け、大通り近くまで送ることにした。
「蒼志、この辺まででいいよ」
「そう? ……いや、もうちょっと先まで送るよ」
「そうか~? もう大丈夫だって」
「いやいや、もうちょっと送るって」
 なんか、心配で。世の中物騒だから何事もなく翠が家に帰れるかどうか。だって翠に万が一の事があったら俺はどうなっちゃうんだ。そんなの、絶対に嫌だっ。
 大通り近くどころか大通りに出た。馬車がパカパカ走ってる。俺と翠が二人で並んでると目立つのか行き交う人がチラチラと視線を向けてくる。
 翠がなんだか苦笑い顔で俺を見た。
「蒼志、もうこの辺まででいいって」
「いや! もうちょっと先まで送る! 心配だし!」
「心配と!? あのなあ、気持ちはありがたいけど俺は立派な大人なんだからちゃんと一人で家にくらい帰れるって~」
「いやいやいや、お前一度倒れて額かち割ったことがあるし! 心配だからもっと先まで送る!」
「倒れたのはあれ一回きりだよ! ……ん~、しょーがないな。じゃあもうちょっと先まで頼む。仕事の時間は大丈夫なのか?」
「大丈夫。まだまだ時間には余裕があるっ」
 ……で、結局このまま翠の家までついて行ってしまったわけでありまして。
 彼の家の場所が分かってちょっと嬉しい。華やかな歌舞伎役者が住んでるとは思えない質素なお家だ。借金のせいかな。
「えっと、せっかく此処まで来ちゃったんだからお茶の一杯でも飲んでくかい?」
「うん! 頂きまーす! わーい、翠のお家だ、翠のお家!」
「見たままそのまま狭いところだけど、どうぞ上がって。お茶飲んだらちゃんと帰りなさいよ~? 仕事あるんだろ?」
「……離れがたいよ翠ぃ……」
 思わず、本音が溢れてしまった……。
「言い出すと思った!」
 翠がケラケラと笑い飛ばす。だって本当に離れがたいんだもの……。ずっと一緒にいたいなあ……。
「そんな顔すんな! 大丈夫、すぐまた会いに行くっ。俺だって離れがたいのは同じだ」
 グシャグシャと頭を撫でられた。
 やっぱり、彼の方が強いみたいだ。こりゃ当分は敵わないや。
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